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休みながら歌うこと

私は高校生の頃、芸術科目で音楽を選択していた。
通信制高校のことをもっと知ってほしいという思いから、音楽室の思い出を書いてみる。


窓の外を眺める時間

私が通っていた高校には、授業中挙手をする場面がなかった。
これは中学校までの”当てられる”という経験に配慮したもの。

私の記憶では、先生はいつもピアノの伴奏を間違えまくっていた。
先生はにこにこして、もうちょっと練習しないと、とちょっと恥ずかしそうにする。間違えることが当たり前で、誰も気にとめず授業は進んでいく。

音楽室では出席番号順に生徒が座っていて、私は窓側の席だった。
窓から風が入ってきて、渡り廊下が見えて、そこから一人で廊下を歩いている人を見ていた。
授業に出ずに学校を歩き回っている人だ。

高校では休める回数を自分で数えるため、サボるという概念がない。
だから少し疲れたら、風に当たったり歩き回ったり、図書館のソファで過ごすこともできた。

授業はいつも、積極的なヤンキーたち(敬意を込めて)が先生としばらく雑談をする時間から始まった。私はその間、教室の中のいろんな人を眺めてゆったりするのが好きだった。

風が吹いてくる

自分の歌いたい歌

授業では歌を歌うほか、リコーダー、鑑賞、楽譜の読み方などの音楽理論を勉強する時間があった。
一つの歌を歌い終わると、先生は「次、何歌いたい?何か歌いたい曲ある?」
と聞いて、ヤンキーたちが口々に歌いたい曲を発表してくれた。

『君をのせて』を歌うことになったとき、あるヤンキーが
「うち、君をのせてのピアノなら弾けるよ」と言ったことをすごく覚えている。

私はそう聞いて、当時とても驚いた。
自分の中の偏見でできた塊が、登校する度に溶けていくような感覚があった。
彼女はいつも兄弟の心配をしていて、家の生活費を稼いでいると教室で話していた。

歌う曲については、先生がおすすめを紹介してくれることもあった。
学期の初めの方に『なごり雪』を歌ったのを思い出した。
先生の提案で、立って歌い始める前に、座ったまま練習してみることになった。
そのとき『なごり雪』の歌詞を初めてはっきりと読んで、すごく感動した。

先生たちは授業中ちょっと休憩をさせてくれる。力を抜いて不安を和らげて、少しずつ慣らしていくのが上手だったと思う。

音符をなぞること、読むこと

通信制の教科書には、全教科に学習書というものがついてくる。
宿題を作成するとき、一人でも教科書を読み進めていけるように解説してくれる本だ。

私は小さい頃ピアノを習っていたけれど、楽譜を読むのがすごく苦手だった。
楽譜はほとんど数学のようなもので、数字の量感が分からない私は、音符の長さを数えられなかった。楽譜を読むのが遅くて、先に耳で音を覚えていた。

音楽の科目には音楽理論がたっぷり載った学習書を使った。
そこに音符の長さがイラストで書かれていて、10年近くピアノをやってようやく楽譜が読めた。

はなまると図書カード

レポートに、どんな音楽でもいいから、最近聴いた曲の感想を書いてくださいという問題があり、私は宇多田ヒカルについて書いた。

アルバム『Fantôme』や『初恋』の中に大切な人を失ったことが入っていて、
私自身そんな喪失に似た空間へほっぽり出されたように、学校のない時間を孤独に過ごしていたと思う。
私は一人ぼっちだったし、人が怖くて、好きな人もいなくて、
『あなた』という曲を聞いて、こんなに誰かを愛せる人がいるんだと驚いた。

そんな恥ずかしいことを恥ずかし気もなくレポートに書く。
先生ははなまるをくれた。

宿題には音楽家の名前を答える問題もあった。
通信らしいのは、名前を答えた後で、音楽家の似顔絵を描く欄があったことだ。
私はどの程度描いたらいいのかわからず、ベートーベンやシューベルトを毎回本気でデッサンして出していた。

先生ははなまるをくれた。大はなまるをくれた。
すばらしい!すばらしい!と何度もコメントを書いてくれた。

しばらくして、先生が私のレポートを職員室で見せ回っているという事実を知る。どの先生からも廊下で会うと「レポート見たよ」と言われる。

先生はあんまりうれしかったようで、私に図書カードをくれた。
私は本が大好きで、今も本に一番お金を使っている。
7千円のエナメルの靴と7千円のハリー・ポッターを天秤にかけて、本を買ってしまったから、本当にありがたかった。

それから先生方は文化祭のポスターやリーフレットの挿絵を描く役割を与えてくれた。
音楽家肖像デッサンは卒業するまで本気で続けた。
卒業するときも、先生は図書カードをくれた。

パレットにとまる

特別支援学校の自由さ

私は中学生の頃、特別支援学校に通っていたことがある。
そこで受けた美術の授業が最初で最後、ほんの一瞬の出来事だったけれど、心に残っている。

少人数のクラスの中で先生も一緒に絵を描いてくれる、すごくのびのびとして自由な時間。
絵を描いているとき、はみ出すことや間違えることを「なるべく気にしないように気をつけて」と言うのが先生の口癖だった。

通信の自由な雰囲気はどことなく特別支援に似ている。偏見ではなく体感として。
そんな授業が通信でできたらいいなと大学で教職を取っていた。

先生、図書カードをたくさんくれて、たくさんはなまるをくれてありがとうございました。
大学生になった今も誕生日には図書カードがほしいです。
体調不良で教職は辞めてしまったけれど、私は美大で元気にやっています。

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