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1人が恥ずかしい・苦しいと思った時に〜子ども大人に惑わされないように〜


1人は恥ずかしいことではない

1人は苦しいことではない

もし、1人でいることや行動することを悪としたり、悪だと思い込んでしまうのならば

一旦、周囲を確認して欲しい。

きっとあなたがおかしいのではなく、周りがおかしいと気がつくはずだから。

あなたの行動や言動に制限や善悪は存在しない。

本当の友人や大人の人ならば、あなたが傷つけることをせず、大人であるあなたを賞賛するはずだから。


この社会には、常に相反する考え方が蔓延っている。

正常の裏側は、常に異常であることのように。そして、正常や異常は常に誰かたちに作られている。

自分の基準を作るためには、自分という存在を理解し、認識し、正当であることの担保が必要となる。

他者からの評価や信頼がベースとなり、自分自身はこうであるという確固たる自信が誕生する。

他人の意見に左右されないでいられるのは、自分が認められて愛されていることを間接的に自慢しているに過ぎない。

だから、愛や評価が欠落していたら、自分を自分で保つことは難しいのである。

自分で決めたことでさえ、揺らぎが生じてしまう時点で過去の傷は途方もない。

そもそも、なぜそう思ったとかというと自分が1人で行動することに苦しみを感じていて、常に集団に属したいと考えていた。

特に最近、30歳を過ぎてあらゆることへの諦めが行われ始めた。

もう何事に対して希望を持たないと。しかし、周囲は常に自分の手に入れたいものを手にした、それに対しての愚痴や自慢を繰り広げていく。

そうした現実を受け入れて、孤独に戦い続けることを選んだわけであるが簡単ではなかった。

自分自身もどこか希望を抱いていた。

そして、周囲は自分の行動を寂しいや哀れとして扱い追い込んでくる。あるいは、いわゆるマウントをとってくる。

いくら受け入れたからといって、好きでこの状況になったわけではないし、得たいという気持ちは変わらない。

そこに対しての攻撃には、やはり強くはないのだ。

1人で行動するというのは

大人であるとか、自分自身を確立しているとか、強さの象徴であること語られる。一方で、哀れや否定、人間関係がうまく行かない人、問題があるとして印象付けられることもある。

特に、常に集団行動をする人やある程度声がかかる人たちにとっては異常な行動なのだろう。

自分も1人で行動するって恥ずかしいと思っていたし、そうなりたくないのにならざるを得なくて心が安定しない時がある。

そこには期待ということがあるからこその苦しみかと思うが…

現在の社会は、善悪での判断が多く、キラキラしている人が正しくもあり、そうではない人が素敵だとされる場合がある。

でもよくよく注視すれば、それはどんな集団に属しているかで変わるシンプルなものなのだ。でも、そのシンプルさが立ち回りを困難にさせることもわかる。

一部の集団や人は、あるなにかを犠牲あるいはできないからこそ「多数」と「買える経験」で補おうとしている。

そして、大人になっているにも関わらず、小学生から中学生の集団形成のような不全を起こしては、近くにいる大人(自立した人、1人で行動する人、趣味趣向が被らない人など)を毛嫌いし攻撃する。あるいは、その人の欲しいだろうものを見せつけるというマウントを取る。

いくら大人でも、心が弱っている時や余裕のないの時、受け入れていても憧れていたものを見せつけられれば対処に苦慮する。

そこをさらに攻めてくる、子ども大人はタチが悪い。加えて、成り上がった元子ども大人もさらにタチが悪い。

結局は、その個人の性格や価値観でしかないけれど、全てをどうこうできるほど人は強くない。

考えない、何とも思わない人ほど
過去を見ると幸せであった人も多数いる。

過去も苦しく今も1人で周囲から攻撃を受けるのならば、簡単でない受け入れをし続けなくてはいけない。

でも思うのだ

1人で行動するとか、1人ぼっちは
目に見えないだけで常に経験している。

どうしても集団でいる人にかき消されてしまうけれど、確実に存在している。

そして、案外1人で行動して揶揄してくる人たちはいないことに気がつく。というよりも、食事してて、映画を見てて、何かをしている人に口を出す馬鹿はそうそういない。

「あの人、1人だわ、可哀想、プププ笑」と言われたら言い返してもいいレベルである。

それはあくまで1人行動を実行している最中であってその後が問題なんだよ!!っていうのはよく理解できる。

そう、結局1人で行動することに自信がないから「認めて欲しい」という気の迷いが攻撃を受けるきっかけになってしまう。

だからこそ

人を選びなさい。
あなたを傷つける人達とはいてはいけない。

なのである。

1人でいることを恥ずかしいとする社会なら、今の行動はおかしい。でも1人いることを賞賛する社会なら、今の行動は素晴らしくなる。

そして、大人なら1人行動をおかしいと感じることはない。おかしいのは、1人行動を非難する、哀れむ人たちである。

ただ、自分自身にも非があるとこともある。

そう、本当は、自分自身が1人行動に対して哀れみや忌避を感じているのだ。それは無意識に、1人の人を同じように哀れんでいるということでもある。

人は変えられない、自分の気持ちだけでも変えてみるのはどうだろうかと。1人行動をしている人がいたら、素晴らしいと心から思えるように。そうしたら、自分にもきっと自信が生まれる。

もちろん勘違いしないで欲しい。
友達や恋人が欲しいというのは別議論であるから。

1人行動は恥ずかしいことではない。
だから自信を持って欲しい。

1人行動は自分の尊厳を取り戻すことにもよい効果があると思う。自分の行動一つで、日常や世界を選択できるという本来の心を取り戻すことができるのだから。

常に集団行動で、孤独に弱く、他者に対して攻撃的な比較しかできない子ども大人に惑わされてはいけない。

大丈夫。もうあなたは大人だから。
素晴らしい。素晴らしいのだから。


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