可能なるコモンウェルス〈74〉

 「拡大されていくコモンウェルス」とは、「それ自体としてそのまま『世界そのもの』となるように構想された」ものであると言うことができる。これは、アメリカを「新しい世界として創設した現実の経験」から出発している観念であって、なおかつそ事実に裏付けられた観念として、すなわち「現実において実際に成立したもの」として表象された観念であった。
 だがそのような観念を、「今後の未来においてもまた、現実にありうるものとして理解する」ためには、「それに類似し比較しうるような、過去に実際あった現実」と照らし合わせる作業が必要になってきた。「未来においてそれが再現しうる」ことを確証するためには、そしてその確証が「未来の人々」に一定の説得力をって受け入れられるようにするためには、是非ともそのような作業が必要となったのである。
 その「現実の先例」として見出されたものこそ、古代ローマなのであった。
 アメリカ合州国建国者たちにとって、彼らの経験に照らし合わせるべき「偉大なモデルと先例こそはまさしくローマの共和政であり、その歴史の偉大さ」(※1)に自らの経験を重ね合わせることが必要だった。たとえば、「ハリントンの『増大のためのコモンウェルス』という観念は、まさにローマ共和国がいつもそうであったような姿」(※2)として見出されていた、といった具合に。
 アメリカ建国者たちは、まさしくそのように「古代ローマの学校に通い、その古典によって育てられた」(※3)と言っても過言ではない、とアレントは評するわけである。つまり彼らアメリカ建国者たちは、「偉大な教師たちが実際に成してきた偉大な事績を、自らの現実において《形式的に反復する》こと」により、「その偉大さをそっくりそのままの形で継承しよう」としていたわけだ。はたしてそれが結果として「同じ」となったかどうかは別の話だとしても。

 もちろん結論としてそれは、「そっくりそのまま」というわけにはいかなかった。むしろ、「最初から違っていた」ものですらあったわけである。
 アメリカは、「アメリカを世界にする」というのが一つの野望としてあったと言える。一方のローマは、「世界をローマにする」という野望において成立していた。ただしそれは、「世界をローマに服従させる」というようなものだったわけでは、実のところはなかったのである。
「…ローマの野望は、全世界をローマの権力とその支配(imperium)のもとに服従させることではなく、ローマの同盟システムを全地球上に投げかけることであった。…」(※4)
 この「野望」は、まさしく彼ら古代ローマ人自身においてもやはり、その現実の経験から出発していたものなのであった。彼らの野望を具体化した同盟システムとはそもそも、「ローマの人民(populus Romanus)自身が、その存在を貴族(パトリシアン)と平民(ブレビアン)の同盟という、戦争から生まれた同盟関係に負うていた」(※5)ことから考えられたモデルであり、このような具体的経験からはじまっているからこそ「ローマが、敵対しても当然であるような二つの異なった民族の間の、条約=法にもとづいて建てられた以上、最終的に『全世界を法のものにおく』(totum sub leges mitteret orbem)ことをローマの使命とすること」(※6)について、具体的・現実的根拠を纏わせるのもまた可能なところとなったのだ、というように考えることができるのである。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「革命について」
※2 アレント「革命について」
※3 アレント「革命について」
※4 アレント「革命について」志水速雄訳
※5 アレント「革命について」
※6 アレント「革命について」

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