星加優和
ルカの福音書からの礼拝説教要約
コンテンツの感想、クリスチャンとしての一つの見方について。
聖書の最初から最後まで、ストーリーをざっくり掻い摘めるマガジンです。 ぶあつい聖書。バラバラにかいつまんで読んでも、さっぱりわかりません。道徳の教科書?神の姿が恐すぎたり優し過ぎたりちょっと矛盾? 何が書いてあるか理解するために大切なキーワードが「契約」という言葉です。 契約をテーマに扱った全13回の礼拝説教の要約。
今回は、神を呼びかける時に使う「父」という語に注目します。 イエスは主の祈りを教える時、 偽善者や異邦人のようであってはならないと言われました。 偽善者とは、信…
初めてスーツに袖を通した時、着られている感と同時に、 大人になっていく自分の両方にむず痒い感じがしました。 愛されている子どもらしく、神に倣う者の歩みとはどのよ…
エペソ人への手紙では教会の一致、ひとつであることの大切さが強調されています。 しかしキリスト教全体の歴史に目を向けるならば、 必ずしも一致を保つことができなかっ…
以前住んでいた家の近所に、 とても美味しいラーメン屋さんがありました。 しかしそこに掲げられている看板は、地味なものでした。 現代は「映え」が大切とされます。 写…
ある時、弟子たちはイエスに願いました。 「私たちにも祈りを教えてください」。 何をどう祈ったら良いのか、教えてもらわないとわからない。 古今東西、あらゆる宗教や…
私たちにとって、教会はどのような場所でしょうか。 奉仕や人間関係に疲れてしまうことや、 大切な人との時間を天秤にかけなければならなくなったこと、 それまで来ていた…
イエスには様々なタイトルがつけらています。 救い主、良い羊飼い、罪人の友、神の子などです。 マタイは、福音書の最後の1/4の文量をイエスの最後の1週間を描くことに割…
「目が開かれる」という経験を、 人生の中で何度かしたことがあるでしょうか。 それまで狭まっていた視野が、新しい経験や見識、 気づきによって広げられることで「心の目…
『お宝カーマスターズ』というリアリティ番組があります。 価値のない、あるいは安い車を手に入れて、 それに熟練工の技を加えて生まれ変わらせて価値をつけ、 顧客に売…
福音は私たちを力づけます。 そもそも福音とはなんでしょうか? 聖書には「福音とは…御子に関するもの。御子はキリストです」(ローマ1:2-4)とあります。 福音とは、…
いつの時代も、 人間は自分たちが住んでいる世界とは別の、 目に見えない世界があると信じてきました。 そして目に見えない霊的な世界を映し出す鏡のようなものとして、 …
ヨナ書は、神の正義と人間の正義とが衝突した物語です。 ヨナにとっての正義は敵国の首都であったニネベが滅ぼされることでした。 彼が自らの正義を固く握りしめていたま…
マルコ福音書2章では、 イエスが公に活動を開始し、神の国の教えを広める様子が描かれています。 イエスがカペナウムの家で教えていた際、 その場所は混雑し、様々な人々…
ヨナ書は聖書の中でも特筆して面白い物語の一つです。 ヨナが神に対してさえ強情な人物として理解するなら、 ヨナ書は更なる立体感をもちます。 一度は御顔を避けて船に…
私たちは現在、 自分が正しい側にいることを確かめなければ気が済まない社会に生きています。 SNSに投稿すれば、見た人の反応が気になります。 正しくないように受け取れ…
私たちは自分の心の奥深くの状態についてチェックする 判断基準を何かもっていますか? 「教会での奉仕」や「毎朝のデボーション」は霊性を保つ手段ですが、 それをどのく…
2024年5月15日 23:39
今回は、神を呼びかける時に使う「父」という語に注目します。イエスは主の祈りを教える時、偽善者や異邦人のようであってはならないと言われました。偽善者とは、信仰を持っている人でもあります。しかしその人は自分が本当は何を求めて祈っているのかがわかっていません。偽善者の祈りや断食の結果、彼らはすでに自分の報いを受けているとイエスは言われました。それは彼らが心の奥底で本当に求めている
2024年5月9日 20:41
初めてスーツに袖を通した時、着られている感と同時に、大人になっていく自分の両方にむず痒い感じがしました。愛されている子どもらしく、神に倣う者の歩みとはどのようなものか。パウロは衣服の比喩でもって語りかけます。古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着ることで、着ている人は新しくされ続けるのです。「新しい」という言葉がキーワードです。4章24節の「新しい人」で使われているギリシャ語はカイノ
2024年5月9日 20:36
エペソ人への手紙では教会の一致、ひとつであることの大切さが強調されています。しかしキリスト教全体の歴史に目を向けるならば、必ずしも一致を保つことができなかったことも事実です。プロテスタントやカトリックだけでなく、ギリシヤ・ロシア正教や聖公会など、教会は様々に枝分かれしてきました。礼拝形式や会堂の設計思想などが様々に異なり、初めてミサなどに参加するならば物珍しく感じることもあるかも
2024年4月21日 20:51
以前住んでいた家の近所に、とても美味しいラーメン屋さんがありました。しかしそこに掲げられている看板は、地味なものでした。現代は「映え」が大切とされます。写真映えするもの=おいしい、見かけの良い人=正しいという公式が成立しつつある社会です。看板は、その店の商品の前味を伝えるものです。教会がキリストにおいて一つであることは、時が満ちて神が計画を実行されることの予告です。教会
2024年4月14日 21:31
ある時、弟子たちはイエスに願いました。「私たちにも祈りを教えてください」。何をどう祈ったら良いのか、教えてもらわないとわからない。古今東西、あらゆる宗教や文化に「祈り」という文化があります。だから私たちは、祈りならなんとなくわかると考えているのではないでしょうか。しかし実のところ、天地を創造され私たちを愛してくださっている神に何をどう祈ったら良いのか、私たちは本当にはわかって
2024年4月9日 19:30
私たちにとって、教会はどのような場所でしょうか。奉仕や人間関係に疲れてしまうことや、大切な人との時間を天秤にかけなければならなくなったこと、それまで来ていた人や子どもたちが来なくなるのを見るなど痛みを経験することがあります。パウロはエペソの人々に対して、教会は「主にある聖なる宮、神の御住まい」であると語ります。罪やさまざまな痛みによって、私たちは教会に失望することがあります。
2024年3月24日 20:09
イエスには様々なタイトルがつけらています。救い主、良い羊飼い、罪人の友、神の子などです。マタイは、福音書の最後の1/4の文量をイエスの最後の1週間を描くことに割き、イエスの「王」、そして「祭司」という側面に光を当てます。それは「先の者が後になり、後の者が先になる」という大逆転の神の国の、王であり祭司です。イエスがエルサレムに到着した時、群衆はそれまでで一番大きな一団となって
2024年3月17日 21:03
「目が開かれる」という経験を、人生の中で何度かしたことがあるでしょうか。それまで狭まっていた視野が、新しい経験や見識、気づきによって広げられることで「心の目が開かれる」ことがあります。「心の目が開かれる」とは、自分の立ち位置について正直に見る経験を言うのかもしれません。自分がどういう状況に置かれているのか、正直に把握すること。それが心の目が開かれるという体験だと思います。で
2024年2月21日 11:30
『お宝カーマスターズ』というリアリティ番組があります。価値のない、あるいは安い車を手に入れて、それに熟練工の技を加えて生まれ変わらせて価値をつけ、顧客に売り、その資金を元手にして扱う車をステップアップさせていく構成に、私は惹きつけられます。値段交渉の場面で、売り手はできるだけ高く、買い手は安く交渉をしようとします。荒野において、悪魔とイエスはこの世界にどれほどの価値
2024年2月20日 09:48
福音は私たちを力づけます。そもそも福音とはなんでしょうか?聖書には「福音とは…御子に関するもの。御子はキリストです」(ローマ1:2-4)とあります。福音とは、イエスが誰であるのか、イエスが何をなさったのか、それによって世界がどのように変化したのかを語ることです。イエスが洗礼を受けた時、彼は父なる神から「わたしの愛する子」という約束を受け取りました。しかし直後の荒野において、
2023年12月17日 16:52
いつの時代も、人間は自分たちが住んでいる世界とは別の、目に見えない世界があると信じてきました。そして目に見えない霊的な世界を映し出す鏡のようなものとして、夜空の星を見上げることがありました。古代のイスラエルも、また他の文化圏の人々もまた似たような世界観を持っていました。イエスの誕生を祝いに東からやってきた博士たちは、占星術に精通していたと考えられています。彼らは「ユダヤ人
2023年12月3日 19:01
ヨナ書は、神の正義と人間の正義とが衝突した物語です。ヨナにとっての正義は敵国の首都であったニネベが滅ぼされることでした。彼が自らの正義を固く握りしめていたまま、物語は進みます。彼の視野は狭まったままです。世界を単純化し、そして神に対してさえも冷笑的な態度をとります。しかし神はそんなヨナを追いかけ、ニネベへと向かわせ、ニネベを赦し、そして不機嫌なヨナをなだめました。このように聖
2023年11月19日 14:28
マルコ福音書2章では、イエスが公に活動を開始し、神の国の教えを広める様子が描かれています。イエスがカペナウムの家で教えていた際、その場所は混雑し、様々な人々がイエスの言葉に耳を傾けていました。教えを聞く者たちの反応は多様だったことでしょう。熱心に耳を傾ける者から、奇跡を待つ者、さらにはイエス様の言葉に疑問を持つ者までいました。このシーンは、私たちが教会に集まる際の様子にも似て
2023年11月12日 20:38
ヨナ書は聖書の中でも特筆して面白い物語の一つです。ヨナが神に対してさえ強情な人物として理解するなら、ヨナ書は更なる立体感をもちます。一度は御顔を避けて船に乗って逃げ、魚の腹の中で祈ってもなお、彼の特性は変わりません。ヨナは魚に吐き出された後でさえも嫌々ニネベの町へ行き、そこで滅びのメッセージのみを短く語り、町全体が悔い改めると彼は非常に不機嫌になります。多くの場合、人は一瞬
2023年10月29日 20:13
私たちは現在、自分が正しい側にいることを確かめなければ気が済まない社会に生きています。SNSに投稿すれば、見た人の反応が気になります。正しくないように受け取れる発言や、そう見える人物にはみんなで石を投げることで、自分はあの人よりはマシであることに安心します。対立する主張は論破し、正しさによって最も親しい人をも支配しようとします。一方で、正しさの基準は多様です。多様であり
2023年10月22日 13:00
私たちは自分の心の奥深くの状態についてチェックする判断基準を何かもっていますか?「教会での奉仕」や「毎朝のデボーション」は霊性を保つ手段ですが、それをどのくらいやっているかは判断基準にはなりません。ヨナ書1章から、私たちは2つの判断基準を見出せます。①普段の生活で感謝は見つけられるでしょうか。②困難に直面した時、背後にあるものを理解しようと努めているでしょうか。ヨナ書は聖書の