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鯛タクシー (1分小説)

ベージュのコートを着込んだ女性が、お腹を抱えながら、後部座席へ転がり込む。

「運転手さん、私、生まれそう…」
苦しそうに、救急病院の名を告げる。

緊急事態だ!

返事もそこそこに、アクセルを強く踏み込む。映画さながらの運転さばきで、国道を突っ走った。

「こんなタイミングで、鯛タクシーに乗るだなんて、奇跡…」

座席に横たわった女性は、バックミラー越しに弱々しく微笑んだ。

俺は、思わず目を逸らしてしまった。


きっかけは、鮭タクシー株式会社が始めた、短期間のキャンペーンだった。

鮭のマークが入った車体100台のうち、1台だけ鯛のマークに塗装して、乗った客は幸運になると宣伝広告したのである。

ところが、「鯛タクシーに乗ったら、宝くじが当たった」「プロポーズされた」など、本当に幸運を引き当ててしまった客が続出。キャンペーンは、無期限に延長されたのだった。


【12分後】

信号無視、スピード違反を繰り返し、救急病院へたどり着いた。驚異的な速さである。

門扉の前で急ブレーキをかけると、待機していた看護師が走ってきた。

「お電話いただいた女性ですよね?すぐこちらへ」

女性は、うめき声を上げながら、コートのポケットをまさぐっている。

「払わなくていいから!」

女性は俺に礼を言うと、看護師に腕を抱えられ、よろめくように出て行った。


車中から、院内へ2人が入っていくのを見届ける。

きっと、生まれてくる子供に「鯛タクシーに乗ったから、無事出産できたのよ」なんて言うんだろうな。

本当は、個人タクシーなのだが。


長年の不況に苦しんだ俺が行き着いた先が、自分の車を鯛タクシーに改造することだった。

改造した途端、売上もUP、お客からも感謝されてきたのだが、さすがに今日の一件には考えさせられた。

相手が、俺のウソに気づかなければ、俺は、相手に、幸運を与えたことになるのだろうか?

いや、たぶん違う。明日から、車体を元に戻そう。


病院に入ると、女性は、コートの中からカバンを取り出し、スタスタと歩きはじめた。

「医者が、タダ乗りするなんて」
看護師が、後を追う。

「私だって、非番で休みたかったわよ。急患が入ったって言われてさ」

看護師から、白衣を受け取る。

「でも、私のウソは、人生最大の幸運と引き換えになるから、きっと許されるわ。

それで、本当に生まれそうな妊婦は、どこ?」

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