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『かなでの宇宙』(短編小説)


「あれがカシオペア座だよ」
「カシューペ座?」
「カ・シ・オ・ペ ・ア・座」
「えっと、カシューペア座、どれ?」
「ほら、あのマクドナルドみたいな形の・・」
「あった!」

   父が教えてくれたカシオペア座は、奏(かなで)が生まれてはじめて知った星座だった。

   奏が住んでいる街は、四方が山に囲まれた高地にある。“星に近い街”というキャッチフレーズの通り、標高が高く空気も澄んでいて夜になれば空には数え切れないほどの星が輝く。


   7歳の奏が夜空の存在を意識しはじめたのは、ついこの前のことだ。

   夏休みが終盤に差し掛かった頃、家族で花火をした。たっぷりあった手持ち花火も尽きてしまって、父が最後の線香花火に火をつけた。その繊細な表情の火花にみんなの視線が集中する。父と母は今年も夏が終わるのかとしみじみとした顔をする。

   その時、奏はふと空を見上げた。まるで宝石箱をひっくり返したみたいな無数の星が空に散りばめられていた。線香花火の先端の小さな火の玉が力尽きて地面に落ちてしまう儚さとは対照的に、夜空の星たちは弱々しくも決して消えるのことのない光をたたえていた。奏は一瞬で濃紺の夜空に吸い込まれた。

   それ以来、奏は星を見るのが好きになった。夜の闇の中、庭先で空をじっと眺めていると、自分が立っている地面と宇宙に境界線がなくなったような錯覚にとらわれた。満天の星に手が届くような気がした。ずっと見ていても飽きなかった。


「ほのちゃんっ!昨日ね、カシューペア座みたよ!カシューペア座!」
「カシューペア座?」
「そう。マックみたいな形のやつ・・」

   父に星座を教えてもらった翌日、奏はクラスメイトのほのかに報告した。ちょっと得意げな口調で話していると、ほのかは驚きもせずに言った。

「カシオペア座のこと?」
「うん、それ」
「かなちゃん、流れ星を見たことある?」
「ながれぼし?それなに?」
「星が動くんだよ。ちょー早くビューンって」
「すご・・・」

   奏は、ほのかに聞くまで流れ星を知らなかった。想像するだけで胸が熱くなり、そんな素敵なものがあるのかと驚いた。

「ほのちゃんは見たことあるの?」
「うん、見たよ」
「すご・・・」
「かなちゃん、今度一緒に見ようよ」
「うん、絶対の絶対に見よう」

   奏の頭の中は「流れ星」でいっぱいになった。カシオペア座なんてどこかに飛んでいってしまった。夜が待ちきれないと思って教室の窓の外を見ると、灰色の雲が煙みたいにモクモクしていて今にも雨が降り出しそうな空模様だった。奏は、母から「今日は雨が降るから傘を持ってきなさい」と今朝言われたのを思い出した。

   家に帰ってから、奏は畳の上にうつぶせになって肘をつき、ずっと星の図鑑を見ていた。外では雷がとどろき、大粒の雨が家の屋根をたたき付けていたけれど、奏はとても機嫌がよかった。

「るんるんるん〜♪ おひとつください雨しずく♪ るんるんるん・・・」「かなで、何かいいことあったの?」
「うん」
「そうなんだ」
「あっ、ママ。明日ほのちゃんと流れ星を見る約束をした」
「え、うちにくるの?」
「うん。庭で一緒に見る」


   翌日。奏の想いが伝わったかのように、雨も上がって、街は冴え冴えとした空に包まれた。

   学校が終わった奏とほのかは、鼻歌を歌いながら手をつないで一緒に家に帰ってきた。これからほのかと一緒に夜ご飯を食べて、その後は、ほのかのママが夜9時くらいに迎えにくるまでの間ずっと一緒に星空を見るのだ。

「ごちそうさまー」
「ごちそうさまでしたっ」
「あら、二人とも、もう食べ終わったの?」
「星見てくるー!」
「見てくるー!」
「夜は冷えるから、ちゃんとジャンパー着てね」
「わかってるー」

   奏とほのかは夜ご飯を早く平らげて、庭がある縁側の方に向かった。

   大雨の翌日ということもあってか、空気が澄み渡った冬の夜空には幾千もの星が煌めいていて、天体観測に最高のコンディションだった。二人は、ひんやりとした風も気にせず、庭の草っ原に大きめのゴザを敷いて、仰向けで大の字になって寝っ転がった。二人の口から白い息がふわっと舞い上がった。

「ねえ、かなちゃん?」
「なに?」
「ほら、あれとあれとあれ、3つの大きな星、わかる?」
「うん」
「冬の大三角って言うんだよ、知ってる?」
「うん、昨日図鑑で見た」
「星の名前は、えっと・・・何だっけ・・・まあいいや」

   そこにふらっと父がやってきた。ちょっと仲間に入れてほしそうな顔つきで、話しかけた。

「楽しそうだなっ!ちょっと寒そうだけど」
「あっパパ」
「ほら、あのあたり見てごらん。大きな星が3つで三角形になっているだろ。冬の大三角って言うんだよ」
「知ってる!今、ほのちゃんが話してたしっ!」
「へえ、ほのかちゃんは詳しいんだね」
「3つの星の名前はね、シリウス、ベテルギウス、プロキオンっていうんだ」
「そう、それ」

   父とほのかは奏よりも星のことをいっぱい知っている。奏はそれがちょっと悔しかった。父はゴザの横にずっと立っている。

「パパ、入れてあげよっか?一緒に流れ星見る?」
「そうだな・・・一緒に見たいところだけど寒いからパパはおうちに戻るよ。夏だったらなあ〜」

   父は「夏だったらな〜」を10回くらい言って、名残惜しそうに家の中に入っていった。父がいなくなってしばらくすると、寒さのせいか、奏は急におしっこがしたくなった。

「ほのちゃん、ちょっとおしっこ行ってくる」
「うん」

   奏は縁側で靴を脱いで早足でトイレに向かった。トイレに行くと誰かが先に入っていて鍵が閉まっていたので少し待っているとドアが開いて父が出てきた。

「おっ、かなでか。ごめん待たせたな」

   奏が急いで庭に戻ると、一人で待っていたほのかが目を輝かせて興奮気味に言った。

「かなちゃん、今ね、すっごくすっごく大きな流れ星を見たよ!」
「えっ、ほんと?」
「うん。ビューンって線を引いたみたいだった。かなちゃんにも見せてあげたかったっ!!」
「・・・」
「また出るかもしれないよ!」
「うんっ」
「あっ、願いごとするの忘れたっ!」
「願いごと?」
「流れ星を見たら願いごとを言うんだよ」

   その後、特に言葉も交わさず二人はずっと星空を見ていた。でも一向に流れ星は出現しない。奏には「諦める」という発想がなかった。正直な話、ほのかだけが見ることができてずるいと思った。奏はまだ一度も見たことがないのに。

「ほのちゃーん。お母さんが迎えに来たわよ!」
「あ、ママだ。迎えに来た・・・はーい!」

   ほのかはちょっと眠たそうな声で返事した。

「じゃ、かなちゃん、私帰る。バイバイ!」
「うん、バイバイ」

   ほのかは、ほのかの母に連れられて帰って行った。消化不良の奏は、夜9時を過ぎてもゴザから離れようとしなかった。どうしても流れ星が見たいのだ。

   ほのかが帰ってから30分ほどが過ぎた頃、何度言っても戻ろうとしない奏に、母は大きな声で言った。

「かなで!そろそろお家に入りなさい!あんまり長くいると風邪ひくし、それにね、もう寝る時間でしょ!」
「あとちょっとだけ!ちょっとだけだから!」
「いい加減にしなさい!明日にしたらいいでしょ」
「だって、だって・・・流れ星がもう少ししたら出てくれるかもしれないもんっ!」

   奏は目に涙を浮かべていた。明日じゃダメなのだ。今日見て、明日ほのかとその話をしたいのだ。わがままを言う奏に、父は優しく言った。

「かなで、パパにすごくいい考えがあるんだ」
「なに?」
「今度の日曜日ね、ふたご座流星群が見れるんだって」
「なにそれ?」
「流れ星がいーっぱいいーっぱい見える日だよ。その日にまた、ほのかちゃんと一緒に見たらいい。パパも一緒に見ようかな」

   曇っていた奏の表情は、みるみるうちに輝きを取り戻した。冬の夜空に瞬く星たちのように。

(了)


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