淡中 圏
幼い日の思い出を捏造していきます
カリカリカリ 壁の中から音がしていた。 母はネズミだと言った。 引っ越ししても、やはりその音はした。 母は、どんな家でも壁の中にはネズミがいるものだ、と言ってい…
口のなかに髪の毛がはいっていた。 とろうとしてもなかなかとれない。 つばで舌に張りついてしまっている。 口のなかに指をいれて、なんとかとる。 それを捨てたかとお…
ちいさいころ、夜中に目がさめると、自分の心臓の鼓動がよく聞こえた。 ドッドッドッドとリズミカルにうごきつづけていた。 ずっと聞いていると、おおきくなったりちいさ…
団地には地下室はなかった。 団地の階段の一番下は、一階でおわりの日もあれば、さらに地下にのびている日もあった。 下にいける日におりてみたが、くらくてジメジメして…
風呂の鏡の湯気のむこうにうつっているのが自分だとはおもえないことがあった。 ぼやけてみえないその顔が、いびつにゆがんで笑っている気がしてならなかった。 おそるお…
まだ小学校にあがっていなかったとおもう。 そのころ住んでいた団地のちかくにムクドリが落ちていた。 羽はひどくみだれ、息もたえだえだった。 死ぬんだな。かわいそう…
小学校にあがったばかりのころだ。 友だちといっしょに団地のまえの公園でかくれんぼをしていた。 かんぺきに隠れられたとおもった。うらをかいて、オニのスタート地点の…
抜けた歯を投げ上げる屋根なんてなかったし、下に落とせば誰かの上に落ちるかもしれなくて危なかった。 あの頃は「歯の妖精」なんて西洋の概念も知らなかった。 そしてな…
母はめったに料理なんかしなかった。あまりうまくなかったから、そちらの方がたすかった。 ある夕暮れどき、コンロになべがかかっていた。グツグツとなにかが中で煮たって…
母は、いつも子どもにつきっきりでいられるタイプではなかったので、よくテレビに子守をさせていた。 一日中、テレビを見ていたといっても言いすぎではない。 意味もわか…
母と風呂にはいっていたときのことだ。ほとんど立方体のせまい湯船。 母が髪をあらうのを見ていた。 底に足が余裕をもってつくようになっていた。 油断していたのかもし…
母の里帰りについていくと、祖父母の家の近所の子どもたちは私を快く仲間に入れてくれて、一緒に「警察と泥棒」で遊んでくれた。 ケイドロ、ドロケイ、ドロジュン。一体ど…
まだ携帯電話は普及していなかった。 家の電話が世界への窓だった。 子どもだったので、自分で世界を見にいくことはできなかった。母にかかってくる電話だけが、母の世界…
託児所で母を待っていたときだった。 母はなかなかむかえにこなかった。いつものことだから気にしなかった。 一人で積み木くずしをしていたとき、職員に呼ばれた。言って…
洗面台に水をためる。そして栓をあけて、水をぬく。 すると水が渦を巻いて、ゴゴゴと音とたてながら吸いこまれる。そして最後にガゴゴとげっぷをする。 母が仕事で家にお…
母が運転する車の助手席でまどろんでいた。 本人としては起きているつもりだったが、気がつけば瞼を支えるのがつらくなっていた。しかし、なぜか自分が寝てしまうことを認…
2018年2月24日 17:33
カリカリカリ壁の中から音がしていた。母はネズミだと言った。引っ越ししても、やはりその音はした。母は、どんな家でも壁の中にはネズミがいるものだ、と言っていた。だが、友だちの家でそういう音が聞いたことはなかった。祖父母の家にしばらくあずけられていたときも、その音はしなかった。母が退院して、しばらく祖父母の家に一緒に住むことになったとき、またその音がしはじめた。カリカリカ
2018年2月23日 00:24
口のなかに髪の毛がはいっていた。とろうとしてもなかなかとれない。つばで舌に張りついてしまっている。口のなかに指をいれて、なんとかとる。それを捨てたかとおもうと、また口のなかに違和感。今度は舌の根元のほう。飲みこんでしまうのもいやだとおもった。口の奥に指をいれる。指が喉の内側にさわってしまった。我慢をしようとするひまもなく、胃から酸っぱい液体が逆流してきて、床に吐きだ
2018年2月22日 00:43
ちいさいころ、夜中に目がさめると、自分の心臓の鼓動がよく聞こえた。ドッドッドッドとリズミカルにうごきつづけていた。ずっと聞いていると、おおきくなったりちいさくなったりしている気がした。単に姿勢が変わって、聞こえかたが変化しただけだったのかもしれない。でも、なんだか遠ざかったり近づいてきたりしているように聞こえたのだ。どんどん遠ざかって、どんどん遠ざかって、そして聞こえなくなる。
2018年2月20日 23:19
団地には地下室はなかった。団地の階段の一番下は、一階でおわりの日もあれば、さらに地下にのびている日もあった。下にいける日におりてみたが、くらくてジメジメしていたので、すぐにもどってしまった。母に、階段が地下につづいている日といない日があるのはどうしてか聞いてみたが、変な顔をされただけだった。
2018年2月19日 23:26
風呂の鏡の湯気のむこうにうつっているのが自分だとはおもえないことがあった。ぼやけてみえないその顔が、いびつにゆがんで笑っている気がしてならなかった。おそるおそる手をのばして、指で湯気をぬぐう。しかし、そういうときにはそいつは出てこない。鏡にうつっているのは、ただの自分の顔だ。そいつはこちらが油断したときをねらってくるのだ。なにげなく右手をのばして湯気をぬぐおうとする。こ
2018年2月18日 16:01
まだ小学校にあがっていなかったとおもう。そのころ住んでいた団地のちかくにムクドリが落ちていた。羽はひどくみだれ、息もたえだえだった。死ぬんだな。かわいそうだな。たすけることはできないけれども、できることはしてあげたいな。そうおもった。スコップをもってきて土をほり、うめてあげた。春になったらうめたムクドリから芽がでて、みきがのび、そしていつかおおきなムクドリの木になるよう
2018年2月17日 23:54
小学校にあがったばかりのころだ。友だちといっしょに団地のまえの公園でかくれんぼをしていた。かんぺきに隠れられたとおもった。うらをかいて、オニのスタート地点のすぐちかくに見つかりにくい場所を見つけたのだ。考えていたとおり、オニはその場所を素通りして、とおくにさがしにいってしまった。しめしめだ。オニは隠れていた友だちをどんどん見つけていく。みんななさけないな。そうおもっていた。
2018年2月16日 23:26
抜けた歯を投げ上げる屋根なんてなかったし、下に落とせば誰かの上に落ちるかもしれなくて危なかった。あの頃は「歯の妖精」なんて西洋の概念も知らなかった。そしてなにより、抜けた歯をなくしてしまうのがひどくもったいない気がしていた。だからすべて大切に瓶の中にしまっていた。寝ている間に抜けてしまうと呑んでしまうかもしれないから、血まみれになりながらむりやり抜いた。おかしな子どもだ。先日、
2018年2月16日 22:44
母はめったに料理なんかしなかった。あまりうまくなかったから、そちらの方がたすかった。ある夕暮れどき、コンロになべがかかっていた。グツグツとなにかが中で煮たっていて、コトコトふたを押しあげて音をたてていた。いいにおいがした気がした。ふたをあけてみた。鼻と目にツーンとくる刺激臭。泡だつなべの中一面にひらがる黒い毛のすじ。なべの中で、なにかが一回転した。目玉がなくて空っぽの暗
2018年2月15日 00:11
母は、いつも子どもにつきっきりでいられるタイプではなかったので、よくテレビに子守をさせていた。一日中、テレビを見ていたといっても言いすぎではない。意味もわからず見ていた。なにがおもしろいのかもわからずおもしろがっていた、ただ目の前でなにかがおこることがたのしかったのかもしれない。そのころ見ていた番組は、記憶が断片的すぎて、今さらなんだったのか調べようもないものばかりだ。テレビを
2018年2月14日 13:40
母と風呂にはいっていたときのことだ。ほとんど立方体のせまい湯船。母が髪をあらうのを見ていた。底に足が余裕をもってつくようになっていた。油断していたのかもしれない。湯船の底で足がすべった。声を出すひまはなかった。スッ、と体がお湯の底にしずんだ。水音もたてなかったと思う。頭の上にゆらゆらと水面がゆれていた。きれいだった。あのうつくしさは一生わすれない。少しこもってはいたが、
2018年2月13日 19:24
母の里帰りについていくと、祖父母の家の近所の子どもたちは私を快く仲間に入れてくれて、一緒に「警察と泥棒」で遊んでくれた。ケイドロ、ドロケイ、ドロジュン。一体どんな名で呼ばれていたか、よく思い出せない。盆踊りの太鼓の音が耳に残っている。車道から外れた場所に小さなお薬師さんが古い家に囲まれていて、そこを大抵警察署にした。そして捕まった泥棒たちをそこに留置した。車道に囲まれたブロックの四
2018年2月12日 15:58
まだ携帯電話は普及していなかった。家の電話が世界への窓だった。子どもだったので、自分で世界を見にいくことはできなかった。母にかかってくる電話だけが、母の世界をかいま見せてくれた。男の声、女の声。向こう側を本当の場所として想像したことはなかった。ただなにもないまっくらな空間に、声だけが泡のように浮かんでいる世界。それが母の世界だった。いつもなぜか母がすこし家をはなれているすきにか
2018年2月11日 11:42
託児所で母を待っていたときだった。母はなかなかむかえにこなかった。いつものことだから気にしなかった。一人で積み木くずしをしていたとき、職員に呼ばれた。言ってみると知らない男の人がいた。いつもはママがむかえに来るから、少しびっくりしてるんですよ。その男は職員にそう言った。その男の車がたどりついた家は、小さいけど全部の部屋を自分たちで使うことができて、一つの建物に一つの家族しか住ん
2018年2月10日 12:34
洗面台に水をためる。そして栓をあけて、水をぬく。すると水が渦を巻いて、ゴゴゴと音とたてながら吸いこまれる。そして最後にガゴゴとげっぷをする。母が仕事で家におらず、ベビーシッターがテレビを見ているあいだ、そうやって遊んでいた。排水口はおぼれる人のような声をだした。ガ……ダ……ガゴ……ダゲ……それがおもしろくて、その喉に何度も水を流しこんだ。ズゲ……ダズゲデ……ゲンヂャ……
2018年2月9日 13:22
母が運転する車の助手席でまどろんでいた。本人としては起きているつもりだったが、気がつけば瞼を支えるのがつらくなっていた。しかし、なぜか自分が寝てしまうことを認めたがっていない部分もあった。車がトンネルにはいった。まわりが暗くなり、同じリズムで通り過ぎるオレンジ色のライトがますます瞼を重くする。耳だけは妙に冴えているように感じていた。トンネルの中では車の動く音が少し変わる。そう思いながら