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「自分になる」ことへの障害

人に合わせるほうが、楽なんじゃないか。そのほうが生きやすいんじゃないか。でも、やっぱり、限界があるらしい。


この間、昔のテレビドラマ「3年B組金八先生」を観た。もう約15年も前に放送されたものだが、「性同一性障害」をメインテーマに扱う第6シリーズは、同世代であれば記憶に残っている人は多いのではないだろうか。

上戸彩演じる鶴本直は、自分を「生物学的には女だが、性自認は男」だという。「男らしく」「女らしく」という言葉に敏感で、すぐ暴力を振ってしまう問題児だったが、教師たちの特別授業やクラスメイトへのカミングアウトをすることで少しずつ周囲の理解を得ていく。

卒業後の第7シーズンではついに、金八先生や昔の同級生に見送られながら、自分が本来あるべき姿である「男」になるため男性ホルモンの投与を始めることとなる。


"彼"が抱えていた「性同一性障害」は、"医学的疾患名"とされているが、この言葉が認知されはじめたのは2000年頃からである。それまでは病気として知られていなかった。

多様性が認められ始めている現代。その背景には、逆境の中で「生きづらさ」を感じる人が声をあげたことから始まって、社会問題となり、ドラマなどで取り上げられることも後押しとなりながら理解が広まったという、歴史があるのだと実感する。
インターネットの普及で個人単位での訴えが当たり前に行われるようになっている今、これからもより多くの"マイノリティ"が受け入れられる時代になっていくと信じたい。


劇中で印象的だったのが、カミングアウト前の鶴本直が、書初めの授業で「自分になる」という言葉を黒板に貼るシーンだ。

私たちは、"自分"になれているのだろうか。


程度は違えど、社会で生きていく中で「生きづらさ」を感じる人はいるだろう。少なくとも、私はそうだ。

理解されつつあるといってもまだ差別は無くならないし、弱い者へのハラスメントは今日も大きな問題となっている。
そうでなくても、皆、自分が一番かわいい。Webという比較的新しい業界にいても、会社は古いままだ。社会的保身に必死な人たちの前では、正論が正しいとも限らない。


私たちは、自分と社会の間に存在する障害を、乗り越えなければならない。自由が許される現代だからこそ、その選択肢は無数にある


自分の道をまだ見つけられていない私でも、ひとつだけ言えるのは「無理をしてでも周りに合わせて頑張る」ことは、「自分を殺しかねない」ということ。その世界の中で求められるものに則る。それに徹した結果として「適応障害」になったのだから、この選択は間違いだったのだろう。


誰も助けてはくれない。

でも、生き方の多様性は確実に広まりつつある。


「自分になる」ための選択をしよう。



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