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小説探訪記11:マルチバースと『裸のランチ』

 今日もまたTwitter風に書いてみる。おしながきは下記の通り。

01.マルチバースと小説について
02.第168回直木賞候補作のラインナップ
03.2022年12月の読了ツイート集

マルチバースと小説について

 マルチバースを題材にしたSF小説として有名なのは、伴名練「なめらかな世界と、その敵」という短編だろう。自由自在にユニバースを移動できるのがマジョリティである世界群。しかし、その一方で乗覚(移動能力)を持たないマイノリティの人たちもいる。そんな設定の中で事件が起きていく作品である。

「なめらかな世界と、その敵」が意識的に世界を移動できるSF小説であれば、ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』は無意識的に世界を移動してしまうSF小説として読み直すことも可能なのではないか? 

 突然そんな説明を受けてもチンプンカンプンだと思われる。そこで、少しばかり『裸のランチ』の説明をしておこう。

『裸のランチ』とカットアップ

 本作はカットアップという手法によって書かれた小説である。カットアップでは、普通に書かれた小説たちを一文ごとにバラバラにして、それらをミックスする。とにかく短冊状に切った文章を混ぜる。出鱈目にミックスしたおかげで、読者は強烈で不思議な光景を目にすることになる。

“先ほどまで、古代ギリシアの庭園で美少年が退廃的にくつろいでいたのに、次の瞬間にはスーパーマーケットで人々がカート・チェイスしていた”、というような光景(文章)を読者は何度も目撃することになるのだ。

 当時は、麻薬中毒者が見る幻覚を再現したものとして受容されてきた。しかしSF的に見直すとどうだろうか? 無意識的に絶え間なく世界を移動しているかのようにも映る。つまり、『裸のランチ』をマルチバース小説として捉えなおすこともできるのかもしれない。

第168回直木賞候補作について

 今回はBL出身の作家2人(一穂ミチ『光のとこにいてね』、凪良ゆう『汝、星のごとく』)、SF出身の作家1人(小川哲『地図と拳』)の長編小説がノミネートされている。

 SF作家を伝統的に避けてきた面があったが、最近はこの流れが変わりつつあるらしい。同様の指摘はBL作家についても言えそうだ。直近の直木賞候補作を眺めてみると、時代の潮目が変わってきたように感じる。

 しかしながら、BL小説あるいはSF小説そのものがノミネートされているわけではない。私はこの点を少々苦々しく感じている。

2022年12月の読了ツイート一覧

01.恩田陸『ライオンハート』(12/1)
時空を飛び越え、姿形を変えてもなお惹かれあう男女の魂。しかし歴史は残酷であり、運命も二人を翻弄する。17世紀のロンドンから19世紀のシェルブール(ノルマンディー地域圏)、20世紀のパナマとフロリダ。時空を超えた情熱の裏には、現在と過去の悲惨が潜んでいる。

02.高村光太郎『智恵子抄』(12/2)
伝記になる偉人は多くとも、詩集になる偉人は案外少ないのではないか。モーセやアレクサンダー、聖母マリア、イエスキリスト、カエサル、ナポレオンくらいかもしれない。優れた詩人から自分のための詩集を捧げられるというのは、非常に尊いことなのかもしれない。

03.ヴァージニア・ウルフ『幕間まくあい』(12/4)
大量生産、大量消費、大量殺戮。効率化に窒息させられる現代において、谷崎潤一郎は「おろかという貴い徳」を過去に見出した。一方、ウルフはそれをイギリスの片田舎の名演とは言い難い野外演劇に見出したのではないか。1939年6月のある一昼夜のことである。

04.ディケンズ『大いなる遺産』(12/6)
自分は少年ではない。だからピップに感情移入しながら読むことはできない。代わりに私はディケンズの文章や風景描写を観察するようになった。霧や墓地。泥の河に浮かぶ監獄船から澄んだ湖沼地帯を進んでいくカヌー。整然とした勘定書に、しつらえられた紳士服。

05.砂川文次「小隊」(12/7)
本州に住む私にとって陸戦は想像がつかない。最初は寒気団のように北海道へジワジワ浸透してきたロシア軍との戦闘も、すぐに激化する。人は焼け、町は焼け、隊員を顧みない銃後に腹を立て、知人の消息を心配している余裕も果て、過酷な状況下で次第に思考も燃え尽きていく。

06.太宰治「かもめ」(12/8)
戦地におもむいたことのない作家の小説に毒されて、兵士が目にして感じたことを自身のことばで書けなくなった。戦地からそんな小説ばかりが届く。そんな旨の記述がとても印象に残った。また「遊戯文学」に徹しきる作家としての態度にも感心した短編だった。

07.芥川龍之介「アグニの神」(12/9)
白昼の大都市にすら闇が残っていた頃。舞台は上海。昏睡させた少女に「アグニの神」を口寄せさせて、金儲けをする占い師。そんな占い師を退治して少女を救い出す男の話。筋に無関係な米国人が不穏な時代の雰囲気を物語る。日米戦争の勃発はいつか? 占ってくれ、と。

08.椎名麟三『深夜の酒宴・美しい女』(12/11)
ニヒリズムの独擅場どくせんじょうのようなバラックで、肺炎に飢餓、数々の死を目撃しつつ現実に堪える男を描く「深夜の酒宴」。左右どちらの政治運動にも協力せず、淡々と勤め続けた鉄道マンを描く「美しい女」。理念のとりこにならず、滑稽こっけいにあがいて生きる崇高さを感じる2作。

09.アンドレアス・エシュバッハ『NSA』(12/12)
ドイツ語作家による歴史改変SF。第二次世界大戦期に、携帯電話やネットが普及し、国民番号制度およびビッグデータを手にしてしまった強化版ナチス・ドイツ。もちろん通信傍受もお構いなし。我々はこの第三帝国を打ち破れるのか? 現代への風刺が効いている。

10.小川哲『ゲームの王国』(12/20)
記憶すらも最適化の質に入れ、曖昧模糊としたゲームに勝とうとする。避けがたい人間の性質を見せつけられるような小説だった。ポル・ポト時代のカンボジアを舞台とした歴史小説のような前半から、SF小説としての後半に展開していく。スケールの大きい、開かれた小説。

11.伴名練『なめらかな世界と、その敵』(12/21)
短編小説集。ほとんどの人が並行世界を自由に往来できる一方で、少数ながらできない人も存在する世界群。後天的にその能力を喪失したらどうなるのか、を起点に物語が展開される表題作。猛暑と厳寒、過酷な状況がしれっと描写されている作品が多いのも特徴。

12.斜線堂有紀『恋に至る病』(12/28)
飛び降りる蝶たちをサイトから二人で観るのは、燃え尽きる手持ち花火をカップルで眺めているようで、案外ロマンチックなのかもしれない。本当に怖いのは景よりも宮嶺だと思う。特に宮嶺が言う「ヒーロー」と「余生」という単語は恐ろしい。そうなる事情があるにせよ。

13.小田雅久仁『残月記』(12/29)
月昂に感染し、永久的な隔離が運命づけられた冬芽。救国党の独裁下にある日本で、感染した男性は剣闘士となり勝ち抜くことで、女性は剣闘士に抱かれる勲婦になることで、延命が許されるディストピア。で、終わると思いきや、予想外の展開や月昂の厚い設定描写に舌を巻く。

トルストイ『戦争と平和』新潮文庫版全4巻(12/24-1/7)

第1巻
第1巻はナポレオン戦争・ロシア戦役の前日譚のようなものであり、戦前のロシア社交界に漂っていた不穏な雰囲気が感じられる。アンナ・パーヴロヴナが(当時はよく知られていなかった)インフルエンザに罹患するシーンから始まるのは、本当に示唆的だ。

第2巻
ときおり挿入される詩や自然の描写が心地よいので、ピエールの哲学的思索に胸やけするようなことなしに読める。その匙加減が絶妙な第2巻であった。月明りの下で納屋に向かっていく雪の小道にてソーニャとニコライが出くわすシーンが実に美しい。

第3巻
燃えさかるモスクワの街並みから、ピエールはかえって解放感を覚え、活力がみなぎってくるとさえ描写されている。もちろん、その興奮は近視眼的であり、自分の隣でフランス軍に略奪されている女性がいても気付かない有様だった。恐ろしくも美しい文章だった。

第4巻
2023年の私から見ると、トルストイが英雄史観を否定したのは、個人的な思想というよりも普遍的な歴史感覚にるように感じる。ナポレオン戦争の後、待っていたのは国民を総動員した世界大戦であり、チャーチルの言う通り戦場で兵を先導する英雄は現れなかった。

カトリック・プロテスタントのクリスマスから東方正教のクリスマスまで。そういうスケジュールで『戦争と平和』を読んできた。

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