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言葉の砂漠、文字の海

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言葉や文字にまつわる書き物をまとめました。
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記事一覧

文字屑拾い

文字屑拾い

 文字の屑を拾って売っている。文字の屑とは何かといえば、人が使いそこなって削除した端切れの文字である。メールや何らかの文章を作成するときに必ず出る、一旦表示させて削ってしまった文字たち、誤変換した文字たちのことだ。あるいは、本当に伝えたいメッセージを下書きして、結局は全部消してしまうという事態に、誰しも覚えがあるだろう。すなわち不要になった文字たちのことである。そういった文字の屑どもをまとまった数

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文字のリズムとニヒリズム

文字のリズムとニヒリズム

 書くことは運動である、というと妙な感覚を抱かれるかもしれない。確かに手を動かすという意味では運動と言えなくもないが、書くとは静座して行うもので、むしろ動きを抑制するイメージがある。
 しかし、文字を記すという行為は本来的に運動の要素を含むのではないか。古代メソポタミアの楔形文字は粘土板に一文字一文字削るように刻まれたものであるし、原初の漢字とされる中国の甲骨文字は、小刀で彫り付けたものである。こ

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悲恋の文字がたり

悲恋の文字がたり

 人間と同じように、文字にも相性がある。
 同じ要素を持つ文字同士は相憐れんで寄りあい、仲間となり友人となり、恋人となり一族となる。熟語を形成する文字ともなればその惹きあう激しさは人知を超えるに違いなく、文字の世界では日々数々の事件が起こっているはずである。

 例えばこういう話は考えられないか。

 手元の書物に悲恋という文字が貼り付いていたとする。悲と恋はそれぞれ独立した固有の人格を持っている

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漢字について考えたこと(「悲恋の文字がたり」あとがき)

漢字について考えたこと(「悲恋の文字がたり」あとがき)

 以下は、上掲の記事を書くにあたってこんなことを考えましたという楽屋裏をつらつら語るような内容です。
 作家が自分の書いたものをくどくどと解説するのは、自分が作品内で表現する力がないことを告白しているに等しく、場合によってはかなりみっともない行為になりえます。画家が自分の絵の見どころを語ったり、音楽家がここを聴いて欲しいと主張したり、芸人が自分のネタの笑いどころを解説しはじめるようになっては興ざめ

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漢語の魔力

漢語の魔力

 漢語が好きである。ただし好きだからといって深い知識があるわけではない。ただ音の響きと硬質な見た目が好きなのである。

 趣味と仕事で、ともに昔の書き物を見ることが多いのだけれども、明治以来の戦前期については当然として、第二次世界大戦が終わってからでも、1950年代前半あたりに活躍していた日本の官僚や知識人は、大正期から昭和初期の教養で育った世代であり、漢籍と欧米語の素養を両方兼ね備えている傑物が

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老鶴一聲山月髙

老鶴一聲山月髙

 会話の最中に、あるものごとを適切に表現する言葉が出てこなくなることが、このところ特に多くなった。

 誰でも歳を取るとそうなるのかもしれないが、自分の場合は若い頃からそういう健忘症に悩まされており、簡単な表現がとっさに思い出せなくて、わざわざ代替の、―多くの場合はより難解な―語彙を用いて取り繕う場面があった。やたら耳慣れない言葉を使う厭味な人間だと思われたかもしれないが、実際仕方なかったのである

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