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【ブッダ】縁起や諸法無我・一切皆苦などの言葉を深く理解し、一歩踏み出す知恵にする

みなさんこんにちは!
あなたをモチベートと申します!

最初に一つだけみなさんにお願いがあります。今回お伝えする言葉は盛りだくさんになるんですが、その中で「一つだけ」、たった「一つだけ」でいいのでみなさんの今後に役立つような内容を持って帰っていただきたいんです。あなたが重要だと思ったこと、胸に響いた言葉、その一つのエッセンスがあなた自身の人生を良くするカギになってくれるはずです。

まずはじめに今回の内容についてなんですが、

【ブッダには世界がどう見えていたか?】
【語り継がれる言葉6選】

というテーマで「一歩踏み出すための知恵」を考えていきたいと思います。


変化し続ける複雑な環境

まず、みなさん「一切皆苦」という言葉をご存知でしょうか?

ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)の思想の中で、一番本音の部分がこの言葉だと思っています。

「一切皆苦」ということで、なぜこの世界は苦しみに満ちているのか、「縁起」「諸行無常」「諸法無我」といった言葉から、苦しみの理由とわたしたちが具体的にどのようにして克服していけば良いのかということを読み解いていきます。困りごとがある方はぜひこの先まで御覧ください。


「一切皆苦」が指している苦しみというのは、「四苦八苦」と言って、生きること、老いること、病むこと、死すること、大事な人を失うこと、求めているものを得ることができないこと、憎しみなど人間関係の呵責に苦しむこと、自分でコントロールできず思い通りにならないことに悩み苦しむこと。

代表的にはこのようなことを苦しみとして挙げています。

このように苦しみが多い人生なので、わたしたちにはなすすべがないのでしょうか?ブッダは、次のような教訓を示してくれています。

そもそも生きることの本質が苦しみであるから、「世界を正しく見ることで、執着心を捨て中道を生きる」という教訓です。

これからお話していく「世界を正しく見るための知恵」を身につけることができれば、あらゆる苦しみを生み出す根源の「執着」を薄めていけますので、一緒に学んでいきましょう。


世界のシンプルな仕組み「縁起」

ということで、「世界を正しく見る」とはどういうことでしょうか?

結論から言うと、この世界は「縁起」で成り立っています。

「縁」によって「起こる」という字のごとく、全ての事物や現象は、何か一つを原因とした結果なのではなくて、互いに関連し合い、影響を与え合うことで成り立っているものだという意味です。

こう聞いてもよくわからないと思いますので、一つ例を挙げたいと思います。待ち合わせ時間が14:00だったのに、電車が30分遅れていて、10分待ち合わせに遅れてしまった、ということがあったときに、

その人が時間通りに来なかったことの要因は、一つには電車が遅れてしまっていたことがあると思います。ただそれだけではなく、その人がその日の天候などを考慮して何本か早い電車に乗っていたなら時間通りに行くことができたかもしれません。

また、仮に待っていた人が遅刻されたことに腹を立てて感情のままに怒り散らかしていたとするならば、その不穏な状況を作り出しているのはその人の寛容さが足りないからという見方もすることができるかもしれません。

「遅刻」「トラブル」という状況を一つとっても、その原因は3つ4つと考えることができ、何か一つのことを原因として起こっていることとは考えにくいんです。一つの結果を生み出すのは、多くの原因である、言い換えると、出力結果に繋がる入力が多い、多くの変数の影響を受けているということですね。


ここで、「縁起」について理解を深めるために「諸行無常」という言葉を紹介したいと思います。「正しく世界を見る」ための結論に至るためにとても重要な部分ですので、ぜひ一緒に理解を深めていきましょう。

「諸行無常」、聞いたことがある方は多いかも知れませんが、

一言でいうと「変化」こそがこの世界の真理であるということです。

平家物語の一節に、

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のあらはすおごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語『祇園精舎・冒頭』(祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり)のわかりやすい現代語訳 / 古文 by 走るメロス |マナペディア| (manapedia.jp)

という文がありますよね。

すべてのものは常ならん、一生続くものなどないということが説明されています。鐘の音も消えてしまう。花の色も移り変わる。栄えていた者も必ず衰える。春の夜は短い。塵は無力に風に飛ばされ、抵抗はできない。

つまり、「変化」という真理がまずこの世界に存在しているので、

鐘の音、花の色、栄えた者、春の夜、風の前の塵、そしてわたしたち一人ひとり

その「世界における(主観的な)主人公」は外部環境の「変化」に逆らうことができないんですね。

日本には1億人以上の人間がいて、それぞれの人が多様な「関係性」をもつことで「社会」が成り立っています。その中の一人が「わたし」という人間であるわけなんですが、この環境においては自分の力がとても小さなものに見えてしまうはずです。

これは、「諸法無我」という言葉で理解することができます。

我というのは自分のことで、諸法というのはこの世界の仕組み、「変化=縁起」のことですね。

「諸法無我」という言葉で何を言いたいのかというと、自分の外にある外部環境が、「変化」を起こす要因として強すぎて(多すぎて)、自分の思う物事の結果や自分が信じている「絶対不変の自分自身」のようなものはなくなってしまうということが強調したいんです。

仮にこのような「縁起」の仕組みを知らなかったとしたら、今目の前にあることに対して一つの因果関係で考えて、例えば自分が全部悪いんだとか、自分が思う自分自身になれないのは自分に能力がないからだ、というふうに苦しみのドツボにはまってしまうことになるはずです。

「我執」と言ったりするんですが、自分自身に対する執着、変わりたくない現状を「縁起」という変化の性質を持つこの世界において過剰に信じてしまうことは、大きな流れに逆らう行為であるということが示唆されます。

「色即是空」、絶対不変の物事や自分自身というものはない、なぜなら全てが変化し続けているからということなんですが、

こんなただ変わり続ける外部環境優位の世界で、私たちはどう苦しみを克服していけば良いのか?変化を恐れる執着を捨てて、どのようにして「世界を正しく見る工夫」を続けていけば良いのか。

ということを最後にお伝えしていきます。


エイムを絞れ!

抑えておかなければいけないポイントは、どこまで言っても「変化」は起こり続けるもので、がぜん結果をもたらす変数は多いということです。

老いること、病むこと、死すること、失うこと、届かないこと、コントロールできないこと。どこまでも苦しみはついてきます。

しかしながら、それを避けられないんだからただ無抵抗で、無力感を感じて生きろということは絶対に言いません。それは、解決策があるからです。

たった一つの解決策。それは「コントロールできる範囲において主体的であること」。

影響力の及ぶ範囲のみで自分の力が有効であることを知ること。

え??って思われますよね。最後に解説をしていきますね。

まず、多勢に無勢で自分自身の力が弱いという話はその通りで、自分の影響力が及ばないから、周りの環境から受けた刺激に対してただ何も考えずに反応をして、例えば「こうなったのは誰々のせいだ、ああなんでだよ~!」と非力な自分を嘆いたりするじゃないですか。

でもわたしたちは、「縁起」、「諸法」の強さを知っていますので、自分の想定していないことが起こってしまう、想定との差、「変化」が起こってしまうことは逆に想定通りだと思うんですね。なので、そのような周りの環境から受けた刺激に対してただ自動的に反応を返すことはしません。

ではどうするのかというと、

影響力の及ぶ範囲のみで自分の力が有効であることを知って、「コントロールできる範囲において主体的である」ということを意識するんです。

コントロールできないのは過去や他人です。

コントロールできるのは今と未来、自分です。

周りの環境から例えば「友人が遅刻してきて自分は腹が立ってきた」という刺激を受けたときに、その刺激への反応に一時停止ボタンを押します。自分とその行動、これからのことについては自分は影響力を持てるんです。

「こうなったのは誰々のせいだ、ああなんでだよ~!」

じゃなくて

「こうなったか、仕方ない、じゃあ…こうしよう!」

というふうに自分が影響力を持てる範囲、今と未来、自分についてだけ考えれば良いんです。

一人の人間が持っている力というのはとても「微力」なんですが、自分ができることだけに集中していけば、その「微力」を発揮することができるんです。「小さな力」が発揮されるのか、それとも自分の力が小さいことをただ嘆いて「小さな力」を使わずに生きていくのか、その選択で人生は大きく左右されます。

冒頭で

「世界を正しく見るための知恵」を身につけることができれば、あらゆる苦しみを生み出す根源の「執着」を薄めていけますので、一緒に学んでいきましょう。

と言いましたが、

自分がコントロールできないこと、例えば絶対不変の自分自身であるとか、もう過去に起こってしまったことであるとか、周りの人の気持ちや行動であるとか、そういったものに「執着」を持ち続けてしまうと苦しみが大きくなってしまうということだったんですね。

「仕方ない、じゃあこうしよう!」の精神で今と未来、自分だけに「エイム」を絞って行動していくことで、コントロールできない範囲での執着や苦しみはだんだんと薄まっていくと思います。

最後にブッダの言葉を引用します。

真実から目を背けている人は、生きる目的を失っていることと同じなのです。(世界を正しく見る重要性)
問題を解決できるならば、なぜ心配などするのでしょう。また、もしも問題を解決することができないならば、心配をしても何もいいことはありません。(変化し続けるという仕組みは一生変わらない)
1000の戦いに勝つよりも自分に打ち勝つ方が良いのです。そうすれば誰にも奪われる心配はないのですから。(これからと自分はコントロールできる)
真実に向かう途中で犯す間違いはたったの二つです。諦めてしまうことと、始めないことです。(一歩踏み出すために、変化の中にいる自分がコントロールできる範囲にエイムを絞れ!!)

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最後までご覧いただき、ありがとうございました!!次回もみなさんの背中を押すことができるような内容をお届けしていきたいと思いますので、ぜひフォローやYouTubeのチャンネル登録をよろしくお願いします!!☺

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