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私の人生の目的を自分語りさせてください|100記事以上ある記事の総まとめ(約2万字)

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あなたをモチベートの個人的な思い

みなさんこんにちは、あなたをモチベートと申します。
今まで色々な記事を書いてきたんですが、
知識の紹介や論理を並べ立てるだけで、
自分の思いをお伝えすることはあまりありませんでした。

ですが、今まで文章にしてきた知識が
今後発信していくことの土台になってくれると
思っておりまして、
ここから先はその上でもう少し踏み込んで
私の個人的な「思い」も伝えて、

それがみなさんの
一歩前に踏み出したくなる
きっかけになればいいなと願っています。

何か漠然とこうなりたいとか
こんなことをやりたいと思ってはいるけれど
一歩踏み出すことができずにくすぶっている
そんな人の背中を押すことが私の人生の目的
です。

なので、みなさんに前に進みたいと思ってもらえるように、「あなたをモチベート」という名前で情報発信しています。


自分語りをしたいと思います。

私は4月から大学三年生になるのですが、
本格的に就活等に向き合っていかなければならず
最近自分を振り返る機会がとても多いんですね。

その中で、自分がどのようなモチベーションで
生きてきたのかということが分かってきたので
ここで記録として残しておきたいと思います。

まず、あなたをモチベートがどう始まったかというと、
一番最初は確かライブドアブログ、次に
アメーバブログか何かを触れてみて、
その後に「note」のプラットフォームに
出会うことができ「なんだこれは、シンプルで
書きやすいしSNSみたいに他の方と交流できるの⁉」
という感じで衝撃を受けました。

100記事以上も何かの記事を書き続けて
継続するのは容易ではないと思うのですが、
良いプラットフォームを探しながら転々と
諦めずに続けることができて本当に良かったなと思っております。

あなたをモチベートで
発信している内容の一番中心にあるのは、
個人的に「」についての話だと思っています。


私は昔から、自分自身の精神的な働きや、
他の人の心の機微のようなものに関心の強い子でした。

末っ子として生まれ、上の兄弟や両親の顔色
見ながら育ってきたので、「失敗しないように
「指摘されるようなポイントがないように」
という感じで、細かいところが気になるような
幼少期だったんですが、

そのような部分も影響してか、
大変引っ込み思案で、幼稚園バスの送り迎えを
待っている場所で
一緒に乗り込む同じ幼稚園の子に対してでさえ
とても人見知りを発揮してしまい、
親の後ろに隠れるようにずっとひっついていました。

昔は学年の中で抜きん出て身長が高く、
さらに横にも太かったので、
でくのぼうと呼ばれるようなこともあって
繊細に傷つくようなこともあり、

だからこそ他の人の気持ちのこともちゃんと
考えるように
という風に、
いつも考えていたような記憶があります。

そんな中で、人の「心」や気持ちについて
関心が膨らんできたということが今に大きく影響しています。

インターネットがすでに普及している
時代だったので、すぐに調べることができて
心理学系の知識であるとか、
人間についての基本的な知識のようなものは
少しずつ、興味の赴くまま
吸収してきた幼少期でした。

心とはなにか?という問いに答えを出せる人は少ないと思うのですが、納得のいくような答えは当時検索しても出てこずに、最近になるまで深くは考えられていませんでした。しかし、「長期休みに人とあまり会っていないと精神衛生が著しく悪化する」という気づきから、人の「幸せ」について考えるようになり、そこからヒントを得て少しずつ心とはなにか?という問いへの答えを固めてきました。)


小学校にかけて、外に出て友達と遊ぶことが
とても増え、公園で走り回ったりすることで
高学年の頃になると、前に比べ体型が
細くなってきていました

もともと外見に対するコンプレックスも
人見知りの要因の一つだったと思うので、
それから中学生にかけて自分を表現していくことをできるようになったのは、このおかげでもあると思っています。
少しずつ、自信も付きはじめていました。

小学校低学年のときに、
仲の良い友達もできなかった人見知りの私に
始めてとても仲良くしてくれる友達と出会い、
その子が引っ越しをするとなったときに
悲しさから号泣してしまうくらい心を許すことができていた友人ができて、

それくらいのタイミングから、
自己主張と言いますか、
自分を表現することに対してストップをかけずに
自然体の自分を他の人に見せられるようになってきて、
少し生きるのが身軽に
なった時期だったと思い出せます。

心の壁を取り払ってくれたその友達には感謝です。

ちなみに、この頃私は「物語シリーズ」という
少し厚めのライトノベルを読むのにハマっていまして、
西尾維新さんという方が書く軽快な文章、
少しくどい言葉遊びが大好きで、影響されまくっていました。

小学校の作文集のようなものを
最近になって読み返してみると、
むずかしい言い回しやくどい言葉遊びのようなものを書こうと頑張っていて
西尾維新さんの小説に影響されているのが
笑ってしまうくらい目に見えて分かりました。

その長ったらしい文章の表現の仕方が
少し改善されていったのが中学生時代
です。


中学校に入り、私はサッカー部に所属しました。
今まで一度も習い事や塾などには行ったことがなく、
始めて集団で活動をしたのが、
このサッカー部です。

兄がサッカーをしており、
遊びでボールの蹴り合いっこのようなことは
していたものの、
私はチームでサッカーをしたことはなかったので
始めてのスポーツに1から取り組み、

さらに初めて複数の人と協力して何かを行なうという
社会生活において極めて大事な経験をすることができた機会でした。

野球部やバスケ部に比べるとハードさは劣るかもしれませんが、
それまでは学校が終わった後に辺りが暗くなるまで活動をするなど
したことがなかったものですから、

私にとっては
毎日帰ってきたらバタッと寝てしまうくらいの
ハードなスケジュールでした。

運動部で体を動かしながら、
他の人とコミュニケーションを取り
ハキハキと声を出して社会生活を学ぶという体験をし
その中で少しばかりのタフさ、体力をつけることができた
というのは今振り返ってみると本当に経験しておいて良かったなと思います。

恩師や他の部員たちには、感謝してもしきれません。


中学校で部活動の他に頑張っていたこととしては、
生活体験文」という作文を書いて発表していたことがあります。

小学生のときに小説を読んで言い回しを真似しながら
くどい文章を書いていたと先程言ったんですが、
そこから少しずつ文章の書き方を修正していきながら、
他の人に読ませられるくらいの整った文章は書けるようになっていました。

心理学に興味を持ったり、インターネットで
色々調べていたりする小学生~中学生の時期だったので、

例えば作文の中で哲学者のアリストテレスの言葉を
引用したりして、作文を評価していただき、
クラスで代表になり、学年でも代表になり、
中学校全体の代表として大きなホールで大人数の前で
発表させてもらえたくらいに
文章を書くことに熱中することができた
んですね。

これは自分特有の個性かなと思うのですが、
文章を考えているときや無心でペンを動かしているときに
いわゆるフロー状態と言いますか、充実した状態になることができて
一番好きな作業と言っても過言ではないと思っています。

そんな好きなことをしながら、他の人に認めてもらえるというのがとても嬉しくて、他の人が作文を書くのにそんなに真剣に頑張ろうとしていない中、異常に時間をかけて、何度も案を出し推敲を重ねて一番を狙っていました。

しかしながら、その中でも挫折はありまして、
学校全体の代表になった当時、
大きなホールの本番で発表する用の生活体験文を
書くのにフィードバックしてくれる国語の先生
いました。

その先生は、これはダメだ、一から書き直せとか、
これは長すぎるから一文を三つの文に解体しろとか
何度もズバズバと指摘をしてくれて、
当時は「ええ…そんなに変えないとダメな文章なのか…」
と苦しんで向き合った記憶があるんですが、

今になって考えてみるとあの経験があったおかげで
西尾維新さんもどきの長ったらしい読みづらい文が
少しばかり端的に伝わりやすい文章に変わったのかな
という気がしていて、当時のフィードバックに感謝したいです。

先程、幼少期から人見知りな子だったと
お伝えしたと思うんですが、この作文発表を
大人数の前でするという肝の大きさが問われる
舞台で、私の精神はかなり鍛えられました

他の人よりも何倍も準備に時間をかけ、そして
本番で腹式呼吸で発表するイメージトレーニングを
重ねた上で、

「緊張はパフォーマンスを上げてくれる」
と自分に言い聞かせながら本番を迎えました。

大学生になってからあるプレゼンコンテストに
参加したのですが、中学生の時の
生活体験文発表を思い返してみると
全くプレッシャーを感じないくらいの
胆力が身についていて、当時の挑戦した経験が今の自分の血肉として活躍してくれているのをとても嬉しく思いました。

それくらい規模(観客数)の大きなステージを、ありがたいことに当時中学生で経験できたんです。

また、高校で学校祭のカラオケ大会に参加したときも、その経験があったおかげで、あがらずに歌い切ることができました。

(余談)私は秦基博さんの「ひまわりの約束」を歌ったんですが、なんと前後をAdoさんの勝負曲でたたかっている方々に囲まれてしまい、ものすごいプレッシャーを感じながら歌っていました。(Adoさんの曲を歌った人たち、とてもお上手でした。)


中学校時代のことでお伝えしたいことがもう一点
ありまして、私の価値観や物事に向き合う姿勢が
醸成されたエピソード
なんですが、少し説明させてください。

元々は
・人見知りで人に話しかけることができない
・人の顔色を伺って自分の表現、自己主張ができない

という感じの小学生で、それに加えて

・学校での授業や勉強に対して、サボるわけでは
ないが特に熱意を持って取り組むわけでもない
・習い事もしていないし、真剣に何かをした経験
が今までで一つもない

というように、ただ漫然と生きていました。

それが、確か中学校2年生のときだったと
思うのですが、授業中に挙手を求められる
場面で、「答えが出たけど合っている自信はない」
だから手を上げるのをやめておこう

という思考回路を断ち切って、
とりあえず手を挙げるようにしてみたんです。

答えが合っている確信はないけれど、
誰よりも先に手を挙げてみるとどうなるか
という感じで試しにやってみたんですね。
すると、今でも忘れられないくらい、

手を挙げなかったから後悔の気持ちがモヤモヤ
というよくある「挑戦しなかった後悔」みたいな

霧がかかったようなその感覚が、視界から
サ-っと消えて行き、

その瞬間物事に向き合う姿勢が
「漫然」ではなく「主体的」に
180度変わっていきました。

ここでは、自分の意志
真剣に「やること」を決めて、
そこに熱意を持って取り組むという
姿勢にただただやりがいを感じて、

今までは、ただ「やってみる」
ということをしていなかっただけ
だったんだなという気づきを得ていました。

このような経験から、定期テストや
普段の授業に対しても主体的に取り組む
ように
なりましたし、成績も少しずつ上がっていきました。

塾のCMじゃないですが、「やればできる
ということが本当の意味で分かったのがこの時期です。
(この時期にあった様々な気づきを、当時生活体験文に書いてアウトプットすることで絶対に忘れないようにしようとしていました。)


そのようにして毎日学校生活に背中を
ピンと張って向き合うようにした私は、
クラスメイトとの掛け合いの中でとても嬉しいことを言われました。

当時隣に座っていた同級生が、
「〇〇が横で授業の挨拶を真剣にやってるから、私も声出してちゃんと礼もするようになったよ」
という感じの声掛けをしてくれたんですね。

私はその言葉を聞いて心の底から嬉しくて、
こんなふうに人の背中を押すことが出来る、
何かへのモチベーションを作ることができる
というのは
自分の人生の大きな価値軸かもしれないと思いました。

何か漠然とこうなりたいとか
こんなことをやりたいと思ってはいるけれど
一歩前に踏み出すことができずにくすぶっている
そんな人の背中を押すことが私の人生の目的

と、この記事の冒頭にあったと思うんですが、
その源泉は今お伝えした経験にあります。

他にも、私が歌を歌うのが好きなのは
素晴らしい曲を聞いて心揺さぶられ背中を押される経験があったからですし、

私の生活体験文の発表を聞いて
「〇〇って言ってた部分は、こうこうこういうことなの?へー!俺もちょっとそれ調べてみようかな」
というようなことを言ってくれた当時の
あまり言葉を交わしたことが無かったような
教科担任の先生に、
作文に興味を持ってもらい何か行動を起こしてもらえるように促すことができたことも、

全て「一歩前に踏み出したい人の背中を押す
という私の人生の目的に基づいて
最大限の充実感とモチベーションを与えてくれた
経験ですし、これからも人生の軸になってくれる
目的観なのではないかと思っています。

だからこそ、「あなたをモチベート」として
これからもみなさんの背中を押させていただくべく
note や YouTube を通して
情報発信していきたいと考えています。


ところで、この記事の冒頭から
人生の目的、人生の目的とよくわからない
何か凄くだいそれたことを言っていませんか?

と感じられたかもしれませんが、
私が就活の準備をする中でUtsuさんという方の
YouTubeを拝見し、「人生の目的」という
話をお聞きしてそれがピーンと来た概念でしたので、
みなさんにも共有したいと思いこの記事を書いています。

Utsuさん 人生の目的
と調べたら動画が出てくると思うんですが、
簡単に言うと、

(※私個人の解釈なので、Utsuさんのお話とは少々違うかもしれません)

生きていく上で、生きる理由を考えたときに
その人生の目的があったならば
自分の中心に一本軸を通して、
充実して生きていくことができるよねという考え方で、

あなたの人生の目的はなんですか?と聞くと
まず真っ先に出てきそうなのは「幸せになること」

となるかもしれないんですが、それでは
抽象度が高すぎるし、
生命・自由・幸福については
日本国憲法の中でとりあえず保証されています。

なので、自分にとっての究極的な
「幸福、幸せ」というものがあるのだとしたら

その一歩手前にある、自分が思うなりたい状態
というのはどんなものですか?
その、自分が人生をかけて在りたい状態というのが
人生の目的」という概念です。

自分の在りたい姿を軸に就活をしていかないと
内定後に納得してやりがいを持って
働いていくことはできないし、
その前に面接で自分について深掘りされたときに
耐えることもままならない、ということで

就活に限らず、生きていく上で、
幸せに生きていたいと考える上で、
この究極的な到達点の一歩手前の「人生の目的」
というものが私たちにとって
とても有益なものであると思ったので、

みなさんにも共有してみました。
ぜひ一度ご自身の人生の目的についても考えてみてくださいね。

改めて、私は
一歩前に踏み出したい人の背中を押す
という私の人生の目的に基づいて、
そこに近づく手段として、
発信活動を通してみなさんの背中をどんどん押していくということをしていきたいと思っていますので、どうかみなさんよろしくお願いいたします。


あなたをモチベートのコンテンツ総まとめ

今回書きたいことは大方ここまでで
終わりなのですが、
「あなたをモチベート」の今までの note
の振り返りもしたいと思います。

先程書いた通り、
「心」についての話を一番してきました。

初めに投稿した、ずっと固定している記事には何を書いたかと言うと、

  • 幸せは3つのステップで見つけられる

  • 1. 幸せホルモンと呼ばれる物質と結びついた行動

  • 2. アドラー心理学では「貢献感」こそが幸せ

  • 3. 自分にとってのオーダーメイドの幸せは、自己理解を深めて「好き」と「得意」と「大事」を知ることで追求していくことができる

ということで、
幸せホルモンについては樺沢紫苑先生の書かれた
『精神科医が見つけた3つの幸せ』という本の中で

セロトニンという神経伝達物質は
健康的な生活を送ったり、日光を浴びたり散歩を
したりすることで「爽やかな気分」を作ってくれる。

オキシトシンという神経伝達物質は
人との繋がりを感じること、
例えば単純に会話をしたり、スキンシップや
その人のことを思いやったりするだけでも
「穏やかな気分、温かい気持ち」を作ってくれる。

ドーパミンという神経伝達物質は
(依存や中毒のもととなるので注意だが)
良い働きとしては、何か小さなことでもいいので
目標に達することができたとき、
決めたことをやることができたとき、
達成感、とても嬉しい気持ち」を作ってくれる。

ということを知識として得て、

さらにアドラー心理学の『嫌われる勇気』
という本の中では、

自分の人生に対して諦めてしまっている人や
色々なことが上手く行かないと言っている人に
対して、

「上手くいっていないのは自分がそう決めているから」

という素直には受け入れられないようなことが書かれています。

つまり、アドラー心理学の中では
「原因論」ではなく「目的論」で人が動いている
という説明の仕方が採用されていて、

水をこぼしたウェイターの人に
大きな声で怒鳴りつけるのは、
水をこぼされたから怒って声が出たのではなく
ウェイターを威嚇したいから大きな声を出すんだ

という目的論の理屈を使って説明するわけです。

言い換えると、
時間軸の過去側にある原因に私たちが突き動かされるのではなく
自分自身が主体的に作り出した先の目的に対して
みずから足を踏み出して向かっていくのが人間
であるという人間観を持っているんですね。

古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、
(自然観として)
物事には複数の原因があるという説を唱えており、
それは四原因説と呼ばれていたりします。

その中で、「作用因」というのは
ある物が今の状態になった理由について
「目的因」というのは
ある物が目指している最終的な姿、目的について

それぞれを物事の原因と見なしていたようです。
この「作用因」と「目的因」というのは、
コインに裏表が必ずあるように、
物事にも原因としての理由と目的としての理由が
少なからず存在している
ということを教えてくれています。

私たちの一般的な認識では、
例えば「嬉しいから笑った」が普通ですが、
「笑って周りの人を明るくしたかった」とは
あまり考えられないと思います。

そのようにして、ある意味直感では考えにくい
ものなんですが、アドラー心理学のような「目的論
を生活の中に少しずつ組み込んでみるだけで、
世界の見方がちょっとずつ「自分事」に変わって、
他の人のことも考えて行動できるようになっていきます。

幸せとは貢献感である」ということを
説明するためにここまでお話ししてきたんですが、
もう少しだけアドラー心理学にお付き合いください。

まず先に言うと、アドラー心理学の中での
究極目標は「共同体感覚」
と言って、
私とあなたと他の人たち、もっと広く色々なことが
調和した状態を理想的だと考えます。

例えば、人が「自分一人だけの世界」にいたとして
何の喜びも、何の生きがいも持つことはできないと
思います。

かつてアリストテレスが言ったように、
人間は社会的(ポリス的)な動物である」ので、
人間関係の中で幸せを感じる生き物なんですね。

しかも、悩みについても人間関係の中でのものがほとんど。

アドラー心理学は
無条件に自分を受け入れること
無条件に相手を信じて生きること
を私たちに求めます。

これはなぜなのか順を追って説明するんですが、
到達点には「目の前にいる人との調和」
があるとして、私と目の前にいる人が
一緒にポジティブな感覚を持てるならそれは共同体感覚だということにしましょう。

そして、そのように目の前にいる人と
一緒にポジティブな感覚を持つためには、
私がその人に対して何かをしてあげること
が必要となります。

そうすると、私はその人に何かしてあげて、
(例えば素直に褒める言葉を言うとか)
とても温かな、満足した気持ちになれて、
そして目の前の人もとても嬉しく思って喜んでくれるはずです。

これが、「私」が持つ「貢献感」なんですが、
アドラー心理学ではこれこそが「幸せ」である
と主張するわけです。

アドラー心理学は
無条件に自分を受け入れること
無条件に相手を信じて生きること
を私たちに求めます。

というのは、この「人に貢献すること
という最終的な目指すべき地点に向かうために
クリアしていくべきハードルなんですね。

どういうことかというと、
人に対して何かをしてあげようと思ったときに、
その人に対して自分が信頼感を持つことができていないなら「何かを与える、貢献しようとする」その行動に踏み出すことができないと思うんですね。なので、「貢献感」というもののために「無条件に相手を信じて、見返りを求めずに、マイナスな結果の可能性に怯えずに、人間関係に向き合う」ということが大事になってくるんです。リスク(変動幅)とリターンは釣り合うものなので、人を信じるという不確定性を伴うことをしないと、貢献感を感じるというリターンは得られないということです。

そして、他人を信じるためには、自分自身を受け入れることができていないとダメです。なぜかというと、

「その人を信じる」のは誰か?
答えは「自分自身」で、

もし自分自信のこと自体を拒絶しているなら

自分✕ → 相手✕

必然的に相手にもマルではなくバツを付けてしまう。
自分自身を受け入れられないなら、自分が信じる相手のことも芋づる式に受け入れられなくなってしまうんです。
ということは、相手のことを信じることができなくて、相手に対して何かをしてあげることも少し難しくなってくるというわけです。

そこで、自分自身のことを受け入れられているなら

自分◯ → 相手◯

相手を信じることも、少しずつできるようになっていくのではないかということですね。そうすることで、「貢献感」に近づいていきます。


少しだけアドラー心理学の「目的論」に話を戻すと、
人間が生きていく上で
今までの人生があまり自分にとって
良いイメージのものではなかったとして、

アドラー心理学においては
そんなの関係ないから目的(未来)に向かっていこうよ
「だって原因論じゃなくて目的論なんだから」
という考え方をすると言いましたね。

後ろに理由があるんじゃなくて、
前に理由があって、ただただ今までとか関係なく
先に据えた目的に向かって歩いていけばいい
主張するのがアドラー心理学。

これと似ているものに、
選択理論心理学というものがあります。

話を分かりやすくするために、
一般的な心理学の「心」の仕組みに
ふれておきたいのですが、

ABCモデルと呼ばれるモデルにおいては、
出来事(A)→ 信念(B)→ 結果(C)
という流れで「心」を説明していて、

例えば
失恋(A)→ 受け取り方(B)→ 悲しい(C)

というようにして出来事から感情が生み出される
までの間、それか行動が起こるまでの過程を
説明しています。認知行動療法などで用いられるとても役に立つものなのですが、

これって選択理論心理学と比較してみると
少しばかり受動的で、自動反応的なモデルなんですよね。

選択理論心理学においては、

まず人が行動や思考を選択し実行します。
そして、それに随伴して何かしらの感情
それか自動的な反応(反射的行動なども)
後からついてきます。

という感じで、人が能動的に、
意図を持って何かをした後に
感情や反応が遅れて生まれるという構図なんです。

これは、何かの目的を先に見据えて
人が行動しているのであって、
過去の原因に突き動かされて行動するのではない
というアドラー心理学
にも通ずるところがあると思います。

しかしながら、選択理論心理学やアドラー心理学だけが正しいというわけでも、ABC理論だけが正しいというわけでもなくて、コインの裏表のようにどちらも正しいし、どちらも、人間の活動の一部を切り取ったものに過ぎないという部分があります。

この2つの考え方を統合することができたら
良いのになと考えているときに、
「7つの習慣」という本に出会いました。

著者のスティーブン・R・コヴィーさんは
アドラー心理学の影響も受けているらしいのですが、

「7つの習慣」を一言で表すなら
何かと考えたときに、
これは確実に第一の習慣「主体的であること
で決まりだと思っています。

これはつまり、
刺激に対して間髪入れずに反応を返すのではなく、
自分の自動的な反応に一時停止ボタンを押して
自分の「選択」の余地を残す
ということです。

「主体的であること」の
逆の概念である、「反応的であること」を
考えてみるとわかりやすいんですが、

例えば目の前に食べきれないくらいの
ステーキとサラダとパンと白米とラーメン
とパスタとピザと鮭のソテーとコンソメスープ
があるときに、自分がどれくらいの量を
食べるか考えずに、
摩擦がない中で慣性の法則で動き続ける
ミニカーのように、
とにかく身体が拒否反応を起こすまで
本能の赴くまま食べ続ける人が居たとしたら、

これは「反応的な人」ということになります。

何かのプロジェクトを行なっているときに、
誰かがミスをしたとします。

このとき、その人の責任を追求し、
大声を出して責めたい感情が湧いてきたとして、

その自動的な反応にストップボタンを押せずに
そのまま攻撃してしまうとき
は、その人は「反応的」になってしまっています。

それと比較して、
その人がミスをして現状がこうなっているから、
「じゃあこれからこうしていかなきゃいけない」
ということで、原因論から目的論に視点を
移して、「主体的」に考えることができる人
がいたならば、その人は「主体的な人」ということになります。

ここまでの話を先程のABCモデルなどと
同じようなモデルで考えてみたいと思うんですが、

人の活動するメカニズムは、
まず

外部環境に対する知覚(外部刺激)

があって、それに対して
自動的な反応を起こしたり、
反応的に感情が生まれたりします。

例えば、
視覚を通して綺麗な夕焼けを見て、
とても気持ち安らぐ感情を得たり、

熱いやかんに素手で触れてしまって、
触覚から熱さが脳に伝わって
すぐに手を引っ込めるように「反射」の
行動が行なわれたり。

というようにして、
外部からの刺激(入力)から、
間髪入れずに感情や反射的行動(出力)
が生まれるという身体活動がまずあります。

そして、人の活動するメカニズムとして、

外部環境に対する知覚(外部刺激)

があるんだけれども、
五感を通して身の回りの状況を
知った上で、自動反応的に動くのではなく

【外部環境からの刺激】 → 反応(感情)

意図を挟む(思考や行動)→ 反応(感情)
 ↓
【外部環境への作用】

というようにして、
私たち一人ひとりと外部環境の
相互作用が行なわれ、

その中で刺激に対してただ自動的に反応する
のではなく、自分の判断する時間を挟んで
「主体的」に活動を行なっていく
ことも
できたなら、

周りとの関係性も含めて
より良好な状況を作り出すことができるのではないでしょうか。


という話にも絡むのが「心」とは何か
という議論なんですけれども、

精神科医の益田裕介さんという方が、
人の心とは脳の現象であり、
内部刺激(遺伝的な要素と記憶・経験)

外部刺激(現在の状況や環境の知覚)
で心が生じている
と仰っていました。

先程ふれた、外部環境への知覚というのが
外部刺激であり、
そして元々その人が持っている
遺伝的な身体の条件や記憶・経験など
(内部刺激)が外部刺激と交差して
生まれる現象が心だということです。

私はそれに加えて、
内部刺激としての「思考」や「行動」
つまり、自分自身の意志、意図によって
身体が活動を促されることも内部刺激である
と考えていまして、

それらの内部刺激と外部刺激が
私という存在の外界との境界線で
交差したとき、「心」という
現象が生まれる
と思っています。


だいぶ話がとんでしまったんですが、
初めに投稿した記事に書いたのが

  • 幸せは3つのステップで見つけられる

  • 1. 幸せホルモンと呼ばれる物質と結びついた行動

  • 2. アドラー心理学では「貢献感」こそが幸せ

  • 3.自分にとってのオーダーメイドの幸せは、自己理解を深めて「好き」と「得意」と「大事」を知ることで追求していくことができる

という話で、
ここまでで1と2については説明が終わりました。

最後に、3の自己理解についての話をさせてください。

八木仁平さんの書かれた
「やりたいことの見つけ方」という
本の中で、

好きなこと(興味や情熱)
得意なこと(自然と楽にでき、夢中になれる作業)
大事なこと(優先したい価値観、進む方向性・人生の目的)

これらの3つの要素が人生の中で
良い感じに充実しているなら
「本当にやりたいこと」をやれている状態

と紹介されています。

まず好きなこと(興味や情熱)について
説明したいと思うんですが、

ここでマーティン・セリグマン博士という方の
ポジティブ心理学というものを説明して、
合わせて好きなこと(興味や情熱)についても
ご理解いただければと思います。

従来の心理学がマイナスの状態にある
人の心の状態、ネガティブな病理に対して
異常のない状態、問題のない状態に
治療するということが目的であったのに対し、

ポジティブ心理学はもともと
マイナスではなくニュートラルな精神状態を
ポジティブな方向に、プラスに持っていく
ためにはどうしたら良いのかという、

「Well-being」良い状態(幸せと言ってもいい)を研究するものとして生まれたんですね。

なので、ポジティブ心理学で重要な
PERMAという5つの要素があって、

Positive Emotion ポジティブ感情
Engagement 何かへの没頭・熱中や人への貢献
Relationship 人との関係性やつながり
Meaning 人生における意味、意義
Achievement 達成

という5つの要素が人生のWell-beingに
繋がるという理論があります。

この中で、ポジティブ感情、何かへの熱中、
人生における意味
というのに関わるのが
好きなこと(興味や情熱)だと思っています。

例えば、趣味としてガーデニングが
大好きなのであれば、植物と向き合うことが
熱中できることだし、楽しい気持ちになれることだし、自分の人生を充実させる意義深いものとなるからです。

また、仕事として興味や情熱を持てることを
しているなら、
より仕事を通した喜びを感じながら
生きていくことができると思います。

また、

好きなこと(興味や情熱)
得意なこと(自然と楽にでき、夢中になれる作業)
大事なこと(優先したい価値観、進む方向性・人生の目的)

の中の得意なこと(楽にできて夢中になれる作業)
についてですが、

例えば私は文章を書く作業であれば
苦を感じずにずっとやっていられるくらい
夢中になれます。

この記事は今ここまでで12,500字なんですが、
こんなに文字を書くのは書くのが
好きじゃないと辛いかなと思いますね。

過去に私はスーパーのレジバイトをしていて、
お客様が持ってきた商品をカゴからピッと
商品登録して横に持っていく作業をしていたんですが、

手先の不器用さから、たったそれだけの
作業であっても無心でやることはできず
緊張感を持ちながらとても頑張ってやっていました。

得意なことであれば、人は「頑張らなくても」
人よりも集中してやることができ、パフォーマンスを上げることができます。PERMAの中の「達成」にも繋がるはずです。

そして、そのように不思議と夢中になって
やれることに取り組んでいれば、人は
PERMAの「意味・意義」や
充実感(Achievement, Positive Emotion)
を感じながら仕事などをしていくことができるんです。

なので、ここまで話してきた
「好きなこと」と「得意なこと」、
この2つは好きな作業=得意なこと
だったり、趣味や仕事だったり、
色々重なるところもあったりするのですが、意識していくことでPERMAの要素を満たしていきながら充実した人生を目指すことのできるものです。

そして、

好きなこと(興味や情熱)
得意なこと(自然と楽にでき、夢中になれる作業)
大事なこと(優先したい価値観、進む方向性・人生の目的)

の中の大事なこと(優先したい価値観、人生の目的)
についてなんですが、

ここについては先程お話しした
Utsuさんの「人生の目的」の話と
重なるところがあります。

そして、『7つの習慣』の中で出てくる
第二の習慣「終わりを思い描くことから始める」
というものとも密接に関わるものです。

ということで、

一番わかり易い「終わりを思い描くことから始める
を説明したいと思うんですが、
端的に言うと「最期のときを思い浮かべる」
ことで、人生悔いないように過ごすことができるという話です。

例え話ですが、
もし明日が人生最後の日になるなら
今日から明日にかけてやり残していた
最後にやりたいことは
何かと考えると、

私であれば、親に今まで育ててきてくれたことを
心の底からちゃんと感謝を伝えることができて
いなかったと思うので、

手紙に書くでも、直接言葉をかけるでも、
自分のやり残したこととして明日までに
絶対やろうと考えると思います。

これを抽象化してみると
普段から家族を大事にする
という意識が生まれるでしょうし、

他にも、
『やりたいことの見つけ方』の
八木仁平さんの本やYouTubeで
色々なワークの質問に答えながら、

私は人生を振り返って
「一歩踏み出したい人の背中を押すこと」
という社会・外に向いた自分の価値観を見つけまして、

それをUtsuさん風に言うと
「人生の目的」として、
これから頑張っていきたいと考えているんですね。

この「価値観」「大事なこと」
については、自分に矢印が向くものと、
社会や他の人に対して矢印が向くものがありますが、

前者だと自分の人生を豊かに、幸せにするために必要なものだと考えられますし、

後者だと社会や他人に価値を提供し、その対価を得たり貢献感を得たりすることができるものになります。

生きていく上で、生きる理由を考えたときに
その「人生の目的」は人生に一本軸を通し、
充実して生きていく指針
になります。

あなたの人生の目的はなんですか?という問いに
「幸せになること」と答えてもいいんですが、

生命・自由・幸福については
日本国憲法の中でとりあえず保証されていて、

その一歩手前にある、自分が思うなりたい状態
少し具体的な幸せというのはどんなものなのか

その、自分が人生をかけて在りたい状態を探していく(仮決めしていく)のが私たちに求められることだと思います。

究極的な到達点の
一歩手前にある、
少し具体的な「人生の目的」
というものが私たちにとって
とても有益なものなんです。

それを、例えば私の場合ですと

健康的な食事や生活リズムを維持し、
心身ともに健やかな自他の状態を作る

家族や大切な人たちを大事にして
精神的な豊かさを感じられるという社会に貢献

・響く、影響力のあるスピーカーであること
・ポジティブで前向きな考え方を普及して、自信が満ち充実した人生を送る人を増やすこと
・バランス感覚を保って、自己管理・スケジュール管理をしっかりできる人を増やすこと

上記と一緒に、

背筋を伸ばしてちゃんと挨拶するように
なったよと言われるような、
背中を押すブースターのような存在として
人に影響を及ぼすこと

というような
「大事なこと(優先順位の高い価値観)」
すなわち人生の目的、行動指針を持って
生きていくようにする
ということです。

八木仁平さんのYouTubeやUtsuさんの動画、
『7つの習慣』について調べると、
質問などに答えるワークを行なうことで
自己理解を深められると思うので、ぜひやってみてくださいね。


ここまで、自己理解
及び自分の人生を豊かにすることについて
お話ししてきたんですが、

他者の価値観については触れてきませんでした。

『人を動かす』という世界的名著、
デール・カーネギーさんの本があるんですが、

この中で最も重要な概念は
人が誰しも持っている「自己重要感」というものです。

自己重要感」とはどういうことかというと、
例えば自分のお腹が痛い時に
目の前に少し顔色の悪い人がいても
体調悪くないですか?大丈夫ですか?
と声をかけにはいかない。

一つの例ですが、他の人に対しての関心よりも
自分自身に対しての関心のほうが何十倍も強いということです。

これは当たり前のことですよね。
名前を持った一人の人間(自分)として生きているのですから、この人生において「自分」よりも大事なものなんてあるわけがありません。

自分に対しての興味が一番強いので、例えば他の人と会話をしているときに、自分が好きな漫画の話になると凄くテンションが上がって楽しそうに話すんだけれども、他の人が好きで自分は興味のない漫画の話になるとそっけない返事で流して、すぐに他の話題に話を移してしまおうとしたりする

(ずっと俺のターン!)

というようなことが起こってしまうこともあります。

ここから分かるのは、他の人が自分と違う
どのような価値観を持っていて、
そして何に興味があるのかということに
関心を示すことが人間関係においては重要
だということです。

自分のことを差し置いて、他の人に関心を示すこと。

「自己重要感」が人間の習性として
とても強いものであるからこそ、
人との関係性を良好にするために
この態度を示すことが必要になってくる
んです。

例えば、
自分のために親切にしてくれたり
全然知らないものなのに話を合わせてくれたり
何かの行動で好意を示してくれたり

といったことがあれば、
その「自己重要感」を満たしてくれる
ことをしてくれた人に対して、
自分の中でもとても好意が出てきますし、
返報性が働いて「何かを返してあげたい」
という気持ちにもなると思います。

結果的に、お互いに「貢献感」を持つことのできる
関係性となって、調和した状態になる
ことでしょう。

なので、自己理解をして、
自分の価値観を見つめることで、
幸せな生き方をしていこうとすることも大事な一方、

他の人と良好な関係を持つために、
他者の価値観を見つめ、
他者理解を積極的にしていくことも
とても重要であるということ、
良ければ覚えておいて頂きたいです。


最後に、「幸せとは何か」という
人類最大のテーマに終止符を打たせてください。

例えばポジティブ心理学のPERMAなどでは、
Well-beingという状態を
ポジティブ感情、熱中・没頭・貢献、意味、達成
といったものの複合的な概念として説明
しますが

これはこれで合点がいくものだと思います。

アドラー心理学の「貢献感」や
人生の目的・やりたいこと
などについても「意味」「ポジティブ感情」他で
説明することができると思いますし、

PERMAは幸せを考える上で納得のいくものです。

ここから考えたいのは、幸せの性質についてです。

「幸せ」というのは、人生において志向される
究極的な到達点
としたいと思うんですが、

その最高にWell-beingな良い状態の人生というのは、

人それぞれに多種多様な形で存在するだというふうに
思っております。

つまり、人それぞれの主観的な見方に沿って
様々な「幸せ」の形というものがあるということです。

ここで、「幸せ」という現象が
人に対してどのように現れてくるのか

人の主観というものはどのように生まれるのかということを考える必要があります。

ここで、中盤で考えた人の「心」のモデル
が少し役立ってきます。

外部環境からの刺激】 → 反応(感情
 ↓
意図を挟む(思考や行動)→ 反応(感情
 ↓
【外部環境への作用】

このような人間の活動のプロセスがある
としまして、この中で人は
様々な「感覚=クオリア」を持っています。

例えば、英単語帳をパラパラしているとき、
「単語を見るのが疲れてきた感じ
(外部環境への知覚・目や神経の疲れ)
「この単語覚えられたかもしれないという感じ
(記憶の働き・思考・嬉しい感情)
「手を動かして紙の質感を感じ、めくる感覚
(運動神経・意図と行動・触覚を通した外部環境への知覚)

といったように、様々な感覚(クオリア)を
人間は持ちます。

これが人が感じる「主観」の説明としても
成立すると私は考えています。

人間が自身の身体で活動をしている中で、
その複雑な諸活動に伴う「感覚=クオリア」
を持つ。それこそが「主観」
なのではないでしょうか。

人生において様々な場面があると思うのですが
「幸せ」かどうか確かめるのは
自分自身が「幸せな感じ」というクオリアを
持っているのかどうかという自己判断でしか

できないことだと思っています。

なぜなら、自分以外の他の人とは
自分の価値軸は全く違いますし、
どのような感じ方を持っているのかということも全く変わってくるからです。

だから、自分が幸せだと思うならそれは幸せだし、幸せじゃないと思うならそれは幸せじゃないということなんですね、きっと。

という結論なんですが、これじゃあ
なんの役にも立たない「幸せ」の定義だ

ということでですね、

もっと納得していただける話を最後にします。


「幸せ」とはなにか?というときに、

・自分の大事な人と一緒にいること
・お腹いっぱいご飯が食べられること
・健康で暮らしていけること
・毎日和やかな気持ちで、明るい気分で生活できること
・自分の大好きな趣味に打ち込めること
・自分が目標としていたことや、ささいなことで達成感を感じられること

これら全ての、みなさんの頭の中に浮かんできた「幸せ」だと思うものは、全て紛れもない「幸せ」ですし、全てが問いに対する正解です。

それぞれが、
PERMAの各要素とも重なるような回答ですよね。

これは凄くわかりやすい「幸せ」の例です。

ここから、もっと単純にした「幸せ」の定義の話を展開したいと思います。

幸せとは感謝と希望のことである
というふうに私は考えています。

それぞれ説明すると、
感謝」については、
日常の些細な部分、満たされたところに対して「感謝」、ありがたさを感じることができれば、小さな幸せに気づくことができるという意味で、感謝=幸せと考えることができると思います。

ご飯についても、大事な人についても、
健康についても、趣味や達成感、気分などについても、

全てその自分の満たされた部分について
着目して適正に評価した結果が「幸せ」
というものに繋がるんですね。
身の回りの様々なことに意識をしてみると
小さな「幸せ」をたくさん発見できると思います。

そのためには「3good things」という、
毎日紙などに
・カレーうどんが美味しかった
・カーテンを開いたときに日光が気持ちよかった
・友達に〇〇と言われて嬉しかった
みたいな感じで、
良かったことを書き出すというものです。

日々の中で「満たされた部分」を見つける
小さな幸せ発見の癖をつけることができます。

さらに、日々の中で達成感を感じられるように
箇条書きの「Todoリスト」を書いて
ハードルの低い小さな目標達成をたくさんしたり、
モヤモヤする気持ちがあるときは
ジャーナリング(浮かんだ言葉を書く)」
をスッキリするまでやることでメンタルヘルスが改善されたりします。

ぜひ「書く習慣」を身に着けてみてください!


「幸せとは感謝と希望のことである」

の後者、「希望」とはどういうことかというと、
太陽に向かってすくすくと伸びていくような植物を
イメージするとわかりやすいです。

私たち一人ひとりが、草木と同じように、自分の伸びていくべき方向にすくすくと成長していくことができたなら、その未来に対して「希望」を持って、生き生きと過ごしていくことが出来ると思います。

              ☀
            ↗
          ↗
        ↗
      ↗
    ↗
  ↗
🌵


右上に向かって一直線に向かう矢印。
この一次関数の直線のように視線を少し上げて、前を見て
歩んでいくことができたら、私たちはとても
「希望」に満ち溢れた幸せな人生を送れるんです。

明るい未来に期待を持てるような「希望」
これが、幸せな人生に繋がってくるんですね。

誰しも、「感謝」と「希望」で
幸せを感じることができます。

当たり前にある目の前のものに対して、満たされた部分を見つける「感謝」をしてあげて、目線を少し前の上の方に向けてみて、「希望」を持ってみる。

そうすることで、精神的な豊かさに繋がったり。

なので、アクションプランとして
3つやっていただきたいのは、

「3good things」
「To do リスト」
「ジャーナリング」

の3つの書く習慣でしたが、

シンプルな幸せの定義は
「感謝」と「希望」。

やるべきことは上に挙げた3つ。
この習慣を通して「感謝」と「希望」を増やしていくこと。

これが結論です!!

ここまで約2万字になってしまいましたが、
本当にこんなに長い記事を最後まで読んでくれて
ありがとうございました。🙇‍♂

私の思いがみなさんに伝わったら嬉しいなと思いながら、頑張って書きました。これからもよろしくお願いいたします☺

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