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抑うつ状態とは、どういうものか。

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自分自身へ、同じような症状で悩まれている方、またその周りの方々へ。 私が自分の抑うつ状態と向き合った日々のnoteをまとめます。「素敵な向き合い方」だと感じた時には他のnoter… もっと読む
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あの日々の麺と涙を啜る夜思い返して研ぐ白米よ
理由なく涙が出る日もある。いろんな感情が押し寄せて、何もできなくて、非常用のカップ麺を啜る。味が感じられないことを思い出す。
あの日々を繰り返さないために、明日の私へのエールとして白米をジャリシャリと研ぐ夜。

まとまらない気持ち

まとまらない気持ち

私の気持ちは、なんだか最近まとまらない。
悲しくないのに涙が出てきたり、身体が軋むように痛かったり、疲れたなという言葉が自動的に出てくるようになったからだろうか。
やじろべぇのように、どうしよう、このままでいいのかな、とふわふわとしつつ、心の中はとってもざわざわしているのだ。

ざわざわを収める方法は、原因の排除だけれども、それが簡単にできるのならばここまでの状態にならないだろう。
だから、違う方

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「怖い」の正体を内に見た

「怖い」の正体を内に見た

「怖い」と思って足がすくんでしまう経験はないだろうか。対象は必ずしも、暴力的なものや、恐怖心を煽るものとは限らない。
例えば、私は高校で習ったはずの理系科目に対して苦手意識を持っている。そう、「理解出来ないこと」が「怖い」のだ。

その次に、高校を出た人であれば出来るであろう、と思われていることを基盤として生計を立てているにも関わらず、「出来ないかもしれない自分」が露見することが「怖い」。

いや

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こころの風邪、といふ人よ。

こころの風邪、といふ人よ。

むかしむかし、私が小学生の頃(20年くらい前)、不登校になった同級生がいた。A君と遊んだことは、記憶が確かであれば一度もない。ただ、「A君はこころの風邪をひいたので、暫く学校をお休みする事になりました。」と先生が言っていた。まだ低学年か中学年くらいだったので、周りも、「なぁにそれ?」という反応だったと記憶している。

同じようにお休みをする子は少なくなかったように思う。でも、何故か今、私はA君のぼ

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グルグルとスパスパの間

グルグルとスパスパの間

最近気がつくと、準備の為の準備をしている。
どういう事かというと、数週間先の予定の準備を何件かぐるぐると回している。

9月は学会シーズンで、何件かハシゴする予定だ。その為、スケジューラーが割とてんやわんやしている。
学会開催地までの経路確認やチケット購入、もちろん発表に向けた準備などは、少しずつ落ち着きつつある。(見ないフリしてたりする。)

けれども、我が家は一人と猫二匹体制の為、何泊も家を空

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引っ越してからもう10ヶ月ほど経つ。
少しでも周りの環境を知ろうと歩いて5分ほどの距離の公園に来たことがあった。
そして公園の端っこのこのベンチで挫折した。(あ、駄目だ、Uターンして戻ろう。)

今朝はこのベンチを起点にウォーキングをした。体力も気力も少しずつ回復しているかも。

どれも自分

どれも自分

最近ストレスへの対処法を見失いがちである。大きく分けると、「自分」は2モードある。仕事モードの自分と私生活モードの自分だ。(雑な区分け)

仕事モードの自分は、会社員としての自分。若くもないが、全体で見ると経験値がそれ程多いわけでもない自分。上司や先輩たちからの一言に言い返したり、致し方なく業務を請け負ったりする。それでいて、たまに耳にする不協和音のような嫌味や風評をサラッと受け流すには、まだ青い

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私と料理と包丁と

私と料理と包丁と

キャベツ半玉、にんじん1本、ぶなしめじ1パック、ソーセージ2袋、コンソメキューブ等々調味料を、圧力鍋に放り込んだ。量産的ポトフである。40分放置すれば、多分出来る。自動メニューから選択しているのでその間ゴロゴロしたり出来る。圧力鍋を買ったのは、もう何年も前であり、旦那さんチョイスである。

当時の私は、料理ができなかった。正確に言えば、今も包丁を扱う料理は、ほとんど出来ない。何故なら精神的に張り詰

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期待する生き物

期待する生き物

「私は/スーパーマーケットに/美味しい/バナナが/売っている/ことを/期待する。」などのように、日々私は(私たちは)何かしらの期待を抱えて生活している。

「期待に胸躍る」という言葉を使うことがあるけれど、その期待を裏切られたとき(そもそも期待したのは自分自身であるので裏切られる/られないもないと思うのだが)、時として切なくなることがある。

そういうことがあるのは至極当たり前のことなのだろう。け

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ぽんコツ子の成長

ぽんコツ子の成長

私は今でも偶に、自分自身のことを「ぽんコツ子」と呼ぶことがある。ドン小西さん的なイントネーションで、「ぽん•コツ子」である。

この呼称を使うようになったのは、1年半ほど前だろうか。定かではないが、休職期間中であったことは確かだ。
何をやってもダメなことが続き、「私は、ポンコツです。」と布団にくるまって泣きながら休んでいた頃だったと記憶している。

例えば、張り切って買い物に出かけたのに、スーパー

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真夜中の弱気

真夜中の弱気

よる、不意に弱気になることがある。「こんな、で、ごめんね。」「寝させて。」「つらい。」涙とともに溢れてくるのはそんな言葉ばかりで、猫の運動会ひとつ止められやしない私に、育児なんてとても出来ないであろうと思うのが常だ。

真夜中、という時間帯は不思議なもので、開けない夜はない、とわかっているのにしんみりとする。いろんな悩みがあぶくのようにふつふつと湧き、炭酸のペットボトルの側面みたいに付着する。

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曖昧でいい

曖昧でいい

小さい頃から曖昧なことが苦手だった。ハッキリした態度でないことは、少しざわざわした。でも、大人になって、それが処世術であったり、誰かの為になったりする場面に多く出会った。以来、曖昧にしてもいいことは放っておくようにしてきた。

以前、「本当に嬉しい時は、あなたは笑わないんだね」と指摘されたことがある。その通りだ。本当に嬉しいことが起きた時、それを噛み締め、次の展開を予想してしまう癖がある。石橋を叩

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減点方式

減点方式

中学生の頃、技術の先生がつくるテストは加点方式だった。満点という概念がなかった。どのように統計処理していたかは、今となっては分からないが、とてもワクワクした記憶だけが残っている。

その先生の示した出題と答案はこうだ。
問、電池を発明した人の名前はなにでしょう。
例)かん でんち さん
「このように、先生がクスッとなる答案であれば、例え間違っていたとしても、加点します。」
(勿論、正答よりは点は低

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心の澱をフィルターする

心の澱をフィルターする

引っ越しを控えて、家の中の物を片付けている。以前はちょっと目を瞑って全部段ボール箱に詰めていた。けれども、今回の引っ越し作業は物凄くひとつひとつのものに向き合って、そして結構な量を捨てている。

その代表的なものが、過去3年分のスケジュール帳である。今は百均のスケジュール帳を愛用しているのだが、当時は日毎にメモができるような千円くらいする手帳を愛用していた。でも、自分で仕事のスケジュール調整が出来

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