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キャリアカウンセリング② #セッション3

前回からの宿題が、自分の状態が今外との関わりの中での視点に寄っているのか、それとも自己の中で完結する視点に寄っているのか観察していくことだった。
それぞれが意識レベルに昇ることはそうなくて、むしろ何かダメージを受ける事柄が起きた時に外との関わりの視点にぐっと寄って、そうなると自分がそうなっていることが意識に昇って自己の中で完結する視点を意識して追加してバランスをとっている、というイメージが普段の生活には近そうだ。

今回何を話そうか決めかねたまま前回からの変化を問われ、特に大きな変化は感じられなかったと答えた。
そこから話をそのまま広げた今回は、無意識下で行われる意思決定の判断基準となっているものに触れるような感覚があった。

他者との関わりが生じれば、それがいいことであれ悪いことであれ不安に繋がる。
褒められれば次に失敗することが怖くなるし、怒られても次に失敗することが怖くなる。
自分の中で前よりできるようになったと思えることは、人からの見られ方が関与しない分、恐怖心や不安と結びつく要素が弱い。
誰かから見てできていないと判断されることであれば、他の誰かから見てできている状態であったとしてもできていると自分から言ってしまうことが怖いし、そう言える状態であることには穢れのようなものさえ感じてしまう。

私の中の自己の中で完結する視点というのはここ数年で培ったもので、学生時代とかには存在しなかったものだ。
だからこそその頃、友人の話す落ち込んでいない時間が続く状態というのがあまりよく理解できなかったし、ただひたすら常に苦しいと感じ続けていた。
ティーンエイジャーが終わって、社会人になって、完全に打ちのめされた状態から経験値を積んで歩きやすくなって、また大きく打ちのめされた状態から考え方を変えようと試行錯誤して、そうして手に入れてきた自己の中で完結する視点は、ある種反抗期のようなものだと言われた。

奥深いところではやっぱり幼少期の記憶が結びついていて、母が厳しい人だったからこそ、それなりにではなく母の基準に沿う必要があったということが、外との関わりの視点がほぼ全てとなったきっかけにあたる部分になると思う。
そういう状態から新しく自己の中で完結する視点を生じさせ育てていくというのは、通常一人暮らしや別居のタイミングで起きることが多いそうで、それ自体はとても納得いく説明だったけれど、一人暮らしをしてた時にはそんな視点を育てることなんて考えてもみなかった。

反抗期が私はほぼなくて、それって反抗することでより何かを言われることが怖かったしそういうエネルギーがなかったからだったのだけど、反抗期が主体的心理の社会実装の第一歩となるのかもしれないと思う最近。
反抗をしない反抗期でも、しっかり自分の足で歩ける力を、満足いくまで育てたい。

次回に向けての宿題は、自己の中で完結する視点を応援する、より俯瞰的な視点を意識して持つことになった。
何がいい悪いではないけれど、外:自己が80:20くらいになっているが故の動きづらさを、60:40くらいまでバランスをとって、あまり重荷に感じずにいられるようになれたら。

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