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【富士登山準備】
【富士登山】 ・スケジュール 2019年7月27日(土)〜28日(日) 7月27日 10:00 新宿バスタ 集合 10:35発、13:10吉田口着 http://bus.fujikyu.co.jp/highway/detail/id/2 …
せいろ蕎麦(大阪府堺市 ちく満)
日本人と蕎麦の関係は古い。9,000年前の遺跡から蕎麦の花粉が見つかったと言うのだから、相当に古い。当時は蕎麦の実を雑炊のようにして食べていたが、石臼の普及とともに蕎麦がきが食べられるようになり、江戸時代には蕎麦切りとして、せいろで蒸されるようになった。これが現代の「せいろ蕎麦」の原型だ。
大阪府堺市、千利休屋敷跡近くにある「ちく満」は、江戸時代のせいろ蕎麦を食べられる貴重な店である。
現
八王子ラーメン(中央道 石川PA下り)
初台から首都高速に乗り、中央自動車道へ入ってしばらくすると、石川PAが見えてくる。今日はここで「八王子ラーメン」をいただく。
八王子ラーメンは醤油ベースのスープに透明なラードを薄く浮かべ、刻み玉ねぎが入っているのが特徴である。
昭和30年代、八王子市子安町にあった、当時は珍しいラーメン専門店が発祥とのことで、どこか懐かしい感じのする味だ。
一緒にいただいた「激辛高菜ごはん」は、激辛と言う
【富士登山準備】
【富士登山】
・スケジュール
2019年7月27日(土)〜28日(日)
7月27日 10:00 新宿バスタ 集合
10:35発、13:10吉田口着
http://bus.fujikyu.co.jp/highway/detail/id/2
19:30頃、八合目 東洋館にて一泊
翌28日午前2:30起床
2:45、山頂へ向けてアタック開始
5:30頃 登頂、ご来光。
6:00〜8:30 お鉢巡り
【世阿弥編 風姿華傳 第一 年来稽古条々】
七 歳
まず、この芸においては、だいたい七歳ごろから稽古を始めること。この年頃の能楽の稽古では、必ずその者が自然に振る舞うことのなかに、その者に合った芸の良さがあらわれるはずである。
舞や動きの間、音曲との合わせ方など、つい怒ってしまうことなどもあるだろうが、やりたいように、心のままにやらせる方が良い。
あまり善いとか悪いとか言うべきではない。あまりにきつく叱れば、子どものことだからすぐにや
【世阿弥編 風姿華傳 序】
申楽延年(申楽を見ると寿命が伸びる)と言われるようになったのは、いつごろからなのか、その起源を調べてみたが、ある人は仏陀がいた頃のインドを起源とすると言い、ある人は神代の日本が発祥であると言うなど、もう時代を経てはるか昔の事となってしまったので、本当のところを知るのは難しくなってしまった。
ここ最近、皆の間で話題となっているのは、申楽の起源は推古天皇の御代、聖徳太子が側近であった秦河勝(は
【沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その14:水焦上、火酒雲】
水焦上、火酒雲ということについて。
「武蔵野はけふはなやきぞ若草の妻もこもれり我もこもれり」
(あるとき、男が女をさらって武蔵野へ連れて行こうとしたとき、途中の国守の検問で見つかりそうになったため、女を草むらの中に隠したまま逃げよてしまった。国守が草を焼き払って探しだそうとしたとき、さらわれた女がこの歌を詠んで、火をつけないで欲しいと頼んだという故事)
この歌を、誰かが同じ意味のも
【沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その13:前後際断】
前後際断ということについて。
その前の心持ちを捨てることなく、また、今の心持ちをその後へ残すことは、良いことではありません。
前と今との間を、バッサリと切って捨ててしまいなさいということを意味した言葉です。
これは、前後の際(きわ)を切って放てという意味です。心を今にも後にもとどめてはなりません。
前後際断
と申す事の候。前の心をすてず、又今の心を跡へ残すが悪敷候なり。
【沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その12:急水上打毬子念々不停留】
急水上打毬子念々不停留ということについて。
これは、急流となって流れている川の上に手毬を投げ込めば、波に乗って動きまわり、ぱっぱっと一箇所にはとどまらないことを言い表した言葉です。
12 急水上打2毬子1念々不2停留1
と申す事の候。急にたぎって流るる水の上へ手毬を投ぜば、浪にのつてぱつ/\と止まらぬ事を申す義なり。
【沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その10:應無所住而生其心】
應無所住而生其心。
この言葉を読み下すと、おうむしょじゅうじゅうごしん(金剛般若経の一節)となります。
金剛般若経
「是故須菩提
諸菩薩摩訶薩応如是生浄心
不應住色生心
不應住声香味触法生心
應無所住而生其心」
「是故に須菩提(しゅぼだい)よ、
諸々の菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)は應(まさ)にかくの如く清浄の心を生ずべし。
まさに色に住して心を生ずべからず。
まさに声香
【沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その11:求放心】
求放心とは、孟子の言葉で、いったん放たれた心を再び自分の身のうちへ引き戻すという、心の動きのことです。(「沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その6」参照)
たとえば、犬や猫、にわとりなどがどこかへ行ってしまうと、わたしたちはそれらを元の場所に戻そうと、あちこち探し求めることでしょう。それと同じように、本来、正しい所業を行なうための心が、悪行や卑しい行為へと逃げて行くようなことを何としても引き止め、元
【沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その9:水上に胡蘆子を打ち捻着すれば即ち轉ず】
胡蘆子(ころす、ユウガオまたはヒョウタンの別名)を捻着するとは、手で胡蘆子を押すということです。
ヒョウタンを水に浮かべて手で押そうとすると、ひょいと向きを変えて動き、何をどうしても一箇所にとどまりません。
修行を積んで道に到達した人の心も、このようにいっときも何事かに心がとどまりません。水に浮かんだヒョウタンを押すようなものです。
水上打2胡蘆子1捻着即轉
胡蘆子を捻
【沢庵和尚から柳生宗矩への手紙その8:有心の心、無心の心】
有心の心と無心の心ということについて。
有心の心というものは、妄心と同じ事です。有心とは、あるこころ と読む文字で、何事においても何か一方に思いつめていることです。
心に思うことがあって、あれこれ考えたり判断に迷ったりするような思いが生じることを、有心の心と言うのです。
無心の心というものは、本心と同じ意味のもので、何かに偏ったり固まったりすることなく、あれこれと考えたり判断に迷ったり