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『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

『珈琲と煙草』 フェルディナント・フォン・シーラッハ

『コーヒー&シガレッツ』というクールな映画があるが、映画とは全く関係なくたまたまほぼ同名のこちらの書籍も、最高にクールな逸品だ。
エッセイ、小説、小論がぎゅっと詰まっていて、どれ一つとして退屈なものがない。内容は違うが本のタイプとしては、ミヒャエル・エンデの『エンデのメモ箱』とも似ている。
とても面白い、何度も読みたい、大事に手元に置いておきたい一冊だ。

少年時代の思い出と厭世的な10代の頃を書

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『生は彼方に』 ミラン・クンデラ

『生は彼方に』 ミラン・クンデラ

この小説はミラン・クンデラがまだチェコにいた1960年代末に書かれた。しかし、自由化運動に加わっていた著者は自国では弾圧の対象になったため、小説はフランスの出版社から、フランス語版で出版されることになる。
その後フランスに亡命した著者が、著作のフランス語訳の全面的な見直し作業を行い、そうした見直しを経て1991年に「新訳」(および「決定版」)として出版されたもの(の日本語訳)が本書である。

本書

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『メグレと若い女の死』 ジョルジュ・シムノン

『メグレと若い女の死』 ジョルジュ・シムノン

ルコント監督による映画化に合わせてだろうか、出版された新訳版で、初めてのシムノンを読んでみた。

*****

舞台はパリ。
午前3時過ぎ、仕事を終えたメグレ警視が帰ろうとしていると、女性の死体発見の一報が入る。
気になり現場の公園に駆けつけるメグレ。
雨に濡れた歩道に頬をつけて横たわっているのは、まだ二十歳にもならないような若い娘だった。持ち物はなく、寒い季節だというのに肩を出したイブニングドレ

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『そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所』 松浦寿輝

『そこでゆっくりと死んでいきたい気持ちをそそる場所』 松浦寿輝

インパクト大な題名とおしゃれ怖い装丁のこの一冊。
12の短編を3作品ごとにまとめた4部構成になっているが、その各部には例えば次のようなタイトルがついている。

・黄昏の疲れた光の中では凶事が起こる…
・冷たい深夜の孤独は茴香の馥りがする…

これらを読んで惹かれるものを感じる方ならば、本書を読んできっと満足できるはずだ。
期待通りの不気味、暗澹を心ゆくまで堪能できること請け合いである。
(同時に、

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『生きものたち』 吉田知子

『生きものたち』 吉田知子

6の掌編から成る短い作品『生きものたち』から、「鳥」という一編を紹介したい。

*****

サラリーマンの岡と妻の末子は結婚して15年。子供はなく、岡の会社から程近いアパートに2人で暮らしていた。
末子は異常がつくほど繊細な性格で、度を超えた人嫌い。デパートもレストランも映画館も嫌いで、唯一の楽しみは、部屋の隅っこで小さくなって刺繍や編みものをすることだ。

ある日、岡が帰宅すると末子の気配がな

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『望楼館追想』 エドワード・ケアリー

『望楼館追想』 エドワード・ケアリー

円屋根のある古い大きな建物「望楼館」は、周囲が都会化する中で古色蒼然、陸の孤島だ。
「ぼく」ことフランシス・オームは、この望楼館に、両親と一緒に暮らしている。

望楼館の住人はフランシスを含めて7人。風変わりな彼らは、やがて自分が最後の住人になってしまうことを恐れながら、ひっそりと暮らしている。

フランシスの仕事は、町の中央にある台座の上に全身白ずくめで立ち、彫像のパントマイムをすること。
白ず

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『海事史の舞台』 別枝達夫

『海事史の舞台』 別枝達夫

激安古本で出回っているが、お値段以上の価値がある、この一冊を紹介したい。

著者、故別枝達夫氏(1911-1978)は、イギリスの海事史を主な研究分野とした歴史学者。
本書は、海事史研究に関する氏の貴重な著作を長いものから短いものまで集めた一冊である。

*****

骸骨旗の帆船に凄みのあるいでたち。カリブ海で暗躍したような、いわゆる海賊たちの起源は、16世紀、エリザベス朝のイギリスにあるという

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『菓子祭』 吉行淳之介

『菓子祭』 吉行淳之介

夏の休日。
冷房の効いた快適な部屋で、たまには吉行淳之介でも、と短編集を手に取った。

*****

「煙突男」

『ヒトラー』というドキュメント映画を観に行く、麻田という男。
彼はヒトラー及びナチスに関心を持っているようだが、その関心は奇妙にねじれて、過去の日本で起きた二つの殺人事件の方により強い興味があるようにうかがわれる。

一つは阿部定事件、もう一つは、とある青酸カリ殺人事件だ。
二つの事

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『生きる哲学』 若松英輔

『生きる哲学』 若松英輔

その言葉は、必ずしも言語の姿をしているとは限らない、と著者は書く。
例えば朝日や雨や川の流れを私たちが見たり聞いたりすることで美しさ、充実、畏敬の念などを感じる時、それは万物が語る言葉である。
また絵画や彫刻や音楽など、人間が表現するものの中にも言葉がある。
そのような、言語の姿にとらわれない「言葉」を、著者は本書の中でコトバと書く。

コトバがあり、そしてまた哲学がある。
重要なのは、狭義の学問

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『貝に続く場所にて』 石沢麻依

『貝に続く場所にて』 石沢麻依

うっすらとした非現実が淡々と現実に溶け込む世界が、美しい文章で描かれる。
そして幻想的な全体の中に、哲学的な内容があれこれ詰まっている、豆大福的な小説。
主題は重いが、短時間で読める長さでつまみ読みにも適した、文句なしの絶品だ。

*****

ドイツの大学に留学して博士論文に取り組んでいる主人公。彼女は震災を経験しており、仙台の大学で同じ研究室にいた仲間を一人、津波で亡くしている。
震災から9年

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『考えの整頓』 佐藤雅彦

『考えの整頓』 佐藤雅彦

そのまえがきの言葉の通り、日常に散りばめられた異次元ポケットをひょいと開いてみせる、最高に面白いエッセイ集だ。

例えば、単純な円や三角だけで描かれた4コマ漫画からおおまかなストーリーを読み取ったりするような、断片的な情報群から物語を想像する能力。
また例えば、そこにあるとわかっていれば、それが隠されて見えなくなっていても存在していると認識する、「物の永続性」に支配された人間の認知の現象。
そんな

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『時は老いをいそぐ』 アントニオ・タブッキ

『時は老いをいそぐ』 アントニオ・タブッキ

老いと人生の物語。
ひとつの生を生き、後ろに伸びる過去の道を振り返る時に、人は何を思うのか。
タブッキの作品は全てそうだが、この本も、何度も読んで、繰り返し読むことでゆっくりと吸収していきたい一冊だ。

*****

『亡者を食卓に』は、東ドイツの諜報部員だった男が、過去に囚われて生きる孤独な老人となり街を彷徨う物語。誰に打ち明けることもなく彼が心に抱えている秘密が苦い。
読み終わった時に自分の心

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“The Cement Garden”  Ian McEwan

“The Cement Garden” Ian McEwan

兄弟たちの一夏の物語、ではあるのだが、そんな言葉で表すにはあまりに生臭くえぐみが強い。にもかかわらず、えもいわれぬ引力のある小説だ。

15歳の少年ジャックの、一人称による語り。
ジャックには歳の近い姉と妹、少し歳の離れた弟がいる。

前の年のある日、家にセメント15袋が配達されて来た。注文したのは父。
何に使うのか聞くジャックへの父の答えは「庭にだよ」。

庭は、父の王国だった。
花壇や踊る牧神

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“Carol”  Patricia Highsmith

“Carol” Patricia Highsmith

映画化で有名な本書は、クリスマスシーズンのニューヨークで始まる恋の物語だ。
私も先に映画を観ていたため、2人の魅力的な主演女優の印象が焼き付いており、小説を読むに際しても映画の面影が常に重なって来た。
だが、できるだけ映画のイメージを引き離すように努力しながら読むと、この小説にはドラマチックな恋物語以上に、多くのものが詰まっていた。

*****

19歳のテレーズは舞台美術見習い。
とは言っても

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