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思考整理の文章置き場

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日記ではない長文のエッセイや、もぐら会「書くことコース」の原稿などをまとめています。
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気づかずに通り過ぎることだけは避けたい愛を書き連ねる

気づかずに通り過ぎることだけは避けたい愛を書き連ねる

・夏の早朝の透き通った空気

夏の朝はやく、5時でも6時でもいい。
まだ暑くなる前の透き通った空気、騒音のない静かな雰囲気、誰にも汚されていない時間帯。まだ鳥も人間も目が覚めていないような、世界中がまだ眠っているような、そんなぽっかり穴があいたような空間にただひとり、起きる。この世界をはじめるのはわたしだ、と高らかに宣言しても誰も聞いていないような、そんな見放された時間がとにかく好きだ。

・ヨー

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カナダの映画監督グザヴィエ・ドランが、すべてのはじまりだった。

カナダの映画監督グザヴィエ・ドランが、すべてのはじまりだった。

グザヴィエ・ドランが映画監督としての仕事から身を引く。

と、聞いたのは7月8日のことだった。

引退発表につながる、スペイン雑誌の取材で彼の言葉として引用された
「アートは役に立たない。映画に打ち込むのは時間の無駄です」という言葉は、わずかばかりの悪意をもってソーシャルメディアで広がり、彼自身の映画業界からの撤退をさらに大きく知らしめることになった(それは翻訳のあやで、実際は本人が詳しく自分の言

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命の不可逆性についてふと思ったので

命の不可逆性についてふと思ったので

わたしたちは、「あれ・それ・だれ・これ」があることを当たり前だと信じ、失われなわれるはずがないと願う。同じや繰り返しをどこか嫌悪しながら、恒常的な存在を「当然繰り返されるべき事象または現象」と信じる。
あるいはそのような強い思想はなくとも前提条件として意識する。だから、そこから逸脱する出来事にひとつひとつ衝撃を受ける。

誰かの死、事故、突発的な事象におののく。

でもほんとうは、日常で続いている

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私をリスタートするのは誰か。再起動の引き金になるトリックスターの話。

私をリスタートするのは誰か。再起動の引き金になるトリックスターの話。

「トリックスター」という言葉を知っている人はいるだろうか。もしあなたがそれを知っているとしたら、何かしらゲームに詳しいか、あるいは神話に精通している人なのかもしれない。

Wikipediaでは以下のように解説してある。

笑いのメカニズムを解析するという特異なゼミに在籍した大学4年生のわたしは、当時この「トリックスター」の研究をしていた。

発端は、酒好きが高じて教授が提示した古事記の神話。日本

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わからない言語で繰り広げられる朗読。意味を見出さなくてもいい、その音を聞くと、わかることがあるから。

わからない言語で繰り広げられる朗読。意味を見出さなくてもいい、その音を聞くと、わかることがあるから。

静かな感動が全身にわきあがり、魂がふるえる。

その瞬間に聞こえてくるのは、都市部で交わされる忙しいコミュニケーションのための言語ではなく、昔からひっそりと続いていた伝統儀式のあいさつのようでありながら、真実の断片がぽつりぽつりと蛍のような光りを放つ、おだやかで暖かくてやさしい言の葉。ずっとずっと前から憧れていた景色はここにあった、そう確信せずにはいられないほどイタリア語が圧倒的だと感じたのは、コ

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それは風が強く吹く2月の、取るに足らない出来事だった

それは風が強く吹く2月の、取るに足らない出来事だった

別れを告げたのは、風が一段と強い日だった。

外の景色に鳴りひびくのは、大きなくじらの唸り声と、甲高い鳴き声のよう。だれにも制御できないその生き物は、ふいに海面から空中へとゆったり水しぶきをあげて飛び上がったようだ。木の葉が散って遠く向こうへ散らばる。空き缶は、コロンコロンと転がっていく。蔓の葉のからまる柵はいっせいに波を打つ。干しっぱなしの洗濯物はまるでおおぜいの注目を集めたいかのように旗を振っ

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見て見ぬふりはもういらない。誰かのために、ではなく、自分のために。

見て見ぬふりはもういらない。誰かのために、ではなく、自分のために。

パリの9区にある小さな劇場を囲ったアパルトマンで暮らしていた頃、門の左手にはギリシャ料理店があり、沿道にはウッドデッキ調の木材の枠組みではみ出すようにテラス席が設けられていた。その空間は新型コロナウィルスの影響で店内での営業が困難になり、テラス席であれば営業が可能だった時期の名残でもある。
現在フランスでは、全面的にレストランの営業が停止しているので、お店のオーナーや従業員が軽く打ち合わせをしたり

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気分転換のための引っ越しと、理想の居場所を求めることと。

気分転換のための引っ越しと、理想の居場所を求めることと。

自分の居場所を決めるひとは、いったい誰なのか。

心底望んだ場所にいる、と思えるひとは、この世の中にどのくらいいるのだろうか。必要に迫られてそこに暮らすひと。妥協し好きでもない街に滞在するひと。配偶者や家族の都合で、決定に関与することなく日々を送るひと。あるいは治安や安全上の理由から移動を余儀なくされたひと。はたまた居場所なんてどこでもよいと、無関心なひと。

ひとつの地点からもうひとつ別の地点に

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近くにいれば漠然、離れれば輪郭が浮かび上がる。印象派の魔法、モリゾの絵。

近くにいれば漠然、離れれば輪郭が浮かび上がる。印象派の魔法、モリゾの絵。

フランスに来てから「いろんなことがありすぎて」と各方面に言っている。例えば詐欺まがいのトラブルに巻き込まれたり、コロナウィルスの感染者は1日5万人を超えたり、人生で初めて経験する出来事があったり、外出制限が発令されたり、3年前の思い出の延長線をなぞったり。具体的に「いろんなこと」とは一体何なのか、noteでも日記でもいいからどこかできちんと整理をしたい。いったい何に悩んで何に困って、何に苦しんでい

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心のなかにある切実さと向き合う。もぐら会に入って1年が経ちました。

心のなかにある切実さと向き合う。もぐら会に入って1年が経ちました。

紫原明子さんが主催するサロン「もぐら会」に入って1年が経ちました。2019年6月の開催当初から参加していたひとりとして、ひとつの区切りでもあることからこの1年間で自身がどのように変化したか、何が起こったかなどを振り返ってみようと思います。

そもそも、「もぐら会」とはなにか。もぐら会は2019年6月に開始した約100名規模のオフラインサロンで、他者との会話を通して、自分と世界とを"自分自身で"掘り

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語学学習の原点を考えたとき、マーティン・ルーサー・キング牧師の演説と夕方の階段教室が頭のなかに浮かび上がる

語学学習の原点を考えたとき、マーティン・ルーサー・キング牧師の演説と夕方の階段教室が頭のなかに浮かび上がる

高校時代、学校にたくさんの英語教師がいた。

他コースとの入れ替わりで担当は1年だけの場合もあったし、副担任になって付かず離れずの距離で3年間そばにいたケースもあったけれど、思えば4人の英語教師は常に在籍していた、と記憶している。彼らが受け持ったのはたった2クラスで、生徒は4〜50人程度。私立高校の特別進学コースにおける英語教育と考えると、人数体制からうかがえるように学校としても力を注いだプロジェ

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巡礼路、大地を踏みしめて歩いたことの確かな記憶。

巡礼路、大地を踏みしめて歩いたことの確かな記憶。

今日、NHK BSプレミアムで「聖なる巡礼路を行く 〜カミーノ・デ・サンティアゴ 1500km〜」という番組が放送されていた。

全三回放送のこのシリーズは、1ヶ月ほど前すでにBS8Kの高画質でヨーロッパの大地、青空、草花、石垣、教会、巡礼路を美しい色合いそのままに視聴者に届けていたらしい。反響があったことからBSプレミアムで放送、初回が本日だった。フランス国内のLe Puy-en-Velay(ル

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「話しことば」と「書きことば」の違い。そこに含まれる信頼度について

「話しことば」と「書きことば」の違い。そこに含まれる信頼度について

「あなたはたくさん本を読むし、日本語だけでなくフランス語も含めて多くの語彙を知っている。でも、同時にたくさん知っているからこそ、言葉で自分自身も騙すことができる。だからわたしはあなたの話を半分は嘘だと思って、残りの半分しか聞かないことにしているよ」。

先日、ひとからそう言われたとき、こんなふうにわたしを見抜いてくれるのか!という小気味好い嬉しさが胸いっぱいに満ちた。「こうである」と告げる発言の奥

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主体性と、個人主義と、相互作用。

主体性と、個人主義と、相互作用。

今日、渋谷の街を歩いていたら、百貨店の入口の扉に貼られた「当面の間」まで営業を中止するという案内を見かけた。シャッターは降ろされ内部の様子はうかがうことはできないが、いつもの賑やかさは遠く記憶の向こうに追いやられている。当面の間という言葉の解釈、その具体性、判断は各自に委ねられているのだろう。当面、当分、いつまでかはわからないけれど一定期間。

フランスのカフェやレストランでの張り紙では閉店を顧客

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