見出し画像

発達障害が安楽死できない謎。

※センシティブな内容を含んでいます。
(多分今回の記事はちょっと支離滅裂かも。考えがあんまりまとまっていない。矛盾したことを書いているかも 何言ってんだこいつくらいで読んで欲しい)

自分は病院に診断に行ったことがないので自分が発達障害を持っているかどうかを知らない。

病院に行かない理由としては意味がないから。

自分の過去の症状を見てみるとASD(自閉症)の可能性が最も高い。

集団の中で高確率で孤立し、学校でも友達が1人もできない学年が何年もあり、不登校経験者であることを考えるとASDの症状が最も当てはまる。
仮に障害がなかったとしても確実にグレーゾンだ。

ASDは診断を受けたところでほぼ意味がない。

ADHDなら「コンサータ」のような一時的に症状を緩和する薬が存在するが、ASDはそういった薬は存在しない。

診断に数万円の金をかけ、何時間もかかるテストを受け、自分が不良品であるということを認識させられる。

自分に障害があるということを認知して安心したい人からすればありがたいかもしれないが……、自分はそこまでして診断されたくはない。

ADHDは薬で症状は緩和させられるし、コミュニケーション能力が高いパターンもたくさん存在する。

しかしASDはどうだろうか。薬もない、ほぼ100%に近い割合でコミュニケーションに難在り。
本当に救いがないと思う。

発達障害・精神障害は安楽死できるようにすべき論

安楽死を認めている国では安楽死を施行する条件として
「治る見込みがなく、耐えがたい苦痛を伴う」と設定されていることが多い。

あれ?発達障害・精神障害って治る見込みもないし耐え難い苦痛じゃね?

とあるとき、ふと思ってしまった。

鬱病もそうだ。鬱は一度発症すると治ることはない。

治ってるように見えてもそれは鬱の芽を摘み取っているだけ。
地面に残った根っこから鬱の芽はまた再生しはじめる。
そうならないように、出来る限り水や日光を遮断して芽の成長を抑えることしかできない。

発達障害は必然的に精神を病む可能性が高く、鬱病とほぼセットだ。

発達持ちで鬱病、これが生き地獄じゃなくて何なのだろうか?

一生治らない障害・病気と向き合い、症状が重くならないように何とか抑える。

これが耐えがたい苦痛でなければ何なのだろうか?

正直、世間は発達障害や鬱系・精神障害を甘く見すぎだと思う。

2016年に障害者を大量に殺害した 植松聖という人物がいる。
言葉すら喋れない、1人でトイレすらも行けない障害者を無理やり生かし続けることに疑問を感じ、このような犯行を行った。

私がこの人を支持するか支持しないかは置いておいて、世間からの声が非常に気持ち悪いと思った。

「コイツ(植松)の気持ちは分からなくはないけど、殺すのは良くないだろ」
「難しい問題だよね」

この意見が最も多かった。殺すのは良くないって何だ?笑って思った。

臭い物に蓋をして、人間と呼べるかどうかも分からない人達を「殺すのは良くないから」とか曖昧な理由に生かし続け、いざ殺人が起きたら犯人を糾弾するとは、随分都合が良いのだな、と思った。

難しい問題って何だ?笑
安楽死を行うことがそんなに難しいのか?

自分が重度障碍者側、またはその人達をずーっと世話する側に回ったとき、そうなったときでさえも殺すのは良くない、だとか、難しい問題、だとか余裕こいて戯言をほざけるのかな、っていうのが正直の感想だ。

結局この植松は死刑判決を受けるのだが、犯人を死刑にして、はいお終い。
何も変わらない。相変わらず臭い物には蓋をして終わりだ。

どこに行っても生き地獄を味わうという点において、発達障害はこれらの障害とそこまでかけ離れたものではないと、自分が思う。

どこに行っても孤立し、最悪の場合いじめられ、ADHDは症状によっては物を覚えられない・理解できない、発言の意図を汲み取れない、など業務を行う上で明らかな障害が発生する。
すると、窓際社員・障害者雇用のような小学生ができるレベルの単純労働を安い給料で一生こなさなければならない。

求められるレベルは年々上昇する

昭和時代なら発達障害・知的障害の人達でもできる仕事はあった。

しかし今はあらゆる技術は高度化し、求められるレベルも昔と違って段違いに高い。

健常者 以外の人間がついていくには、あまりにもハードルが高すぎるのだ。

健常者ですら、この先 AI技術が発展すればついていくことに困難するかもしれない。

そして企業や国はそういった「下の連中」のために、いやいや障害者年金や障碍者雇用や生活保護などの措置を行い、仕方なく面倒を見ているのだ。

そうしなければ他の国から見た時に、世間体が悪いから。
あるいは、底辺が暴れだして治安を悪化させるのを防ぐため。
あるいは、障害者を雇わないと罰則を食らうから。

本人達もそこまでして生きたくないと思う人が多いだろう。
少なからず私は生活保護が必要になったとき、生きたくない。

そして、最悪の選択である「自殺」を選んでしまう。
安楽死という最善の手から目を背け、自分達で手を汚したくないから、勝手に死んでくれるのを待っている。

安楽死できるビジネスでも作れば良いのに。
国民から搾取して贅沢するのは利権者たちの得意分野じゃないか。

海外では安楽死の基準はどんどん下がってる

これについてはまた別の記事で言及しようと思うが、安楽死を認めている国では年々、そのハードルは下がってきている。

重度の病気でなくとも、安楽死が実行されたパターンはいくつも存在する。

そう遠くない未来に、それらの国で外国人でも安楽死を受けられるようになることを心の底から願っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?