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短編小説集(創作)

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記事一覧

かの文字を追う息子の姿

かの文字を追う息子の姿

「お母さん、そうやって怒りを表に出すのやめてくんない?」

つい数日前、私がヒロに発した言葉をそのまま本人に返された。彼のカウンセリングに付き添った帰り、チェーンのカフェで軽めのランチをとっていたときだった。

私はここのところイライラしていた。その日の朝も不機嫌で、まともに笑うことができず、ヒロに対してそっけない態度に徹していた。

「フリースクールに行って頑張りたい」と決めたヒロが、ほんの数日

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金色の銀杏並木のような

金色の銀杏並木のような

 のどの上のほうがギュッとする。さっき買ったレモン味のミネラルウォーターを飲むと、ギュッと固まった筋肉が少しほぐれるような気がした。
 友介と一緒にいると、ときどきこんな風になる。私は、そんな自分があまり好きではない。

 私たちはよく散歩をする。今日もふたりで、銀杏並木が黄色く色づいた公園を目的もなく歩いていた。
 話題は、友介の上司とのやりとり。ずっと考えていた企画を、昨日上司にプレゼンしたと

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蓮のような君

蓮のような君

「君って、蓮の花みたいだよね」

彼が突然言った。蓮の花の見ごろの朝早くに、上野公園を二人で歩いていたときだ。

私の左手を握っていた彼は、私の手を持ち上げ、顔の近くに持っていき私の手の甲に唇を付けた。私の手の甲には、タバコを押し付けた火傷の痕がある。彼はその傷から唇を離すと、優しく右手の親指でさする。

初めて彼と食事をしたとき、私はその傷の話をした。

「父に、タバコを押し付けられたの」

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次に雨が降ったら

次に雨が降ったら

「濡れるのきらい?」

 そう聞かれたのは、軒のないラーメン屋の前で、席が空くのを待っているときだ。彼は傘を差しているようで、私に言わせたらちっとも差していない。傘の中棒を無造作に右肩にかけているだけで、もう片方の肩には傘をよけた雨粒が容赦なく落ちている。

 私は、できるだけ濡れないように傘をまっすぐに持ち、バッグを体の前で抱えるようにして、心なしか背中を丸めて小さくなっていた。

「うんまあ、

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「B型の人が好きなんですよ」

「B型の人が好きなんですよ」

 2年後輩の三島君は、さわやかで面白くてモテそうな青年なんだけど、入社してきたときはすでに結婚して子供も2人いた。学生結婚らしい。だから他の人たちよりずっと落ち着いて見えたし、新入社員なのに家族を養っているから、他の人みたいに自由に使えるお金がなくて、遊んでいる風もなかった。

 ほとんど一緒に働くことはなくて、というかほぼ皆無だったけど、「よくできる」といいううわさは聞いていた。ときどき、部署全

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輝きを閉じ込める

輝きを閉じ込める

 個展も3回目を迎える。文章やイラスト、音で伝える私の作品群は、なかなかひとつの場所で同時に味わうのが難しかったのだけれど、今はテクノロジーがそれを可能にしてくれる。

 プロデューサーのKは、私が何の力もなかったころ、私を見つけてくれた。作品が稚拙で、人に見せられるものでないと思っていた私に対して「他の誰も持ちえない感性がある」と言ってくれた。

「どうして隠しているの?」

「自信を持って大丈

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額の合図

額の合図

「いま家?」
 それは、同じプロジェクトで働いている女の先輩から届いたメッセージ。俺は何の予定もない土曜日に、自宅で缶ビールを開けてソファに座り、録画したバラエティ番組を見ていた。先日合コンで知り合った女の子に連絡してみようかななんて思って、スマホを手に取ったところだった。
 メッセージの送り主は、子どもを育てながらもいつもパリッとしていて、だいたい優しくて、ときに怖い桜川さん。アラフォーだと聞い

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私の本棚にあるあなたの本

私の本棚にあるあなたの本

 あなたにとっては軽い気まぐれのキスだったのかもしれないけれど、私にとってはそうじゃなかった。あの日からずっと私の心は止まったまま。
 いつか気持ちが冷めるだろうと思っていたのに、「今日も好きだった」って、毎日、負けたかのように思う。
 あの日、電車での帰り道、あなたがバッグから取り出した一冊の本が、今も私の本棚にある。私たちは同じ作家のファンで、あなたは発売したばかりの文庫本をちょうど読み終えた

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彼女は目をそらす

僕たちは決して、男と女の関係になってはいけない。それはお互いがわかっていた。

今日は偶然彼女と帰りが一緒になり、僕から誘って飲みに行くことになった。
薄暗いバーカウンターで、彼女が話してくれたのは些細な心の傷だった。それを聞いた僕は、彼女をあまりにも愛おしく感じた。そのせいなのかわからない。どんな気持ちだったか覚えていない。僕の右手がいつのまにか、彼女がカウンターに載せた左手の小指に、そっと触れ

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雨>涙

「好きな人ができた。もう終わりにしよう」
 外の雨がうるさすぎて、電話の声がよく聞こえない。
 何を言ってるかはわかった。でも彼がどんな気持ちなのか、どんな声で、どんな息遣いで話しているのか、全然わからない。
 ただ、それを知ってどうなるわけでもない。どんな理由で、どんな気持ちでいたって、私が振られたことには変わりないんだ。
「うん。仕方ないね」
 物分かりのいいフリなんかじゃない。私は本当に物分

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見つけた才能

私「物語とか、書いてる?」
 突然そんなこと聞かれたのは初めて。
 何でもない合コン。人数合わせ。それなのに、こんな核心的なことを聞かれるなんてありうるのだろうか。
 隠すなら、一瞬で判断しなければならない。うろたえたり、迷ったりしたら隠していることがばれてしまう。
 ずっと誰にも言わず、書き続けてきた小説。彼はまるでそれを見透かすように、質問を投げかけてきた。
 ただ、予想はできた。私を見透かす

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朝に現れるキズ

朝起きて、いつものようにラジオを付ける。いつものパーソナリティ。明るい声で、テンション高く。――ありがたい。

2週間前、津村が会社を辞めたいと言ってきた。1年前に一緒に会社を立ち上げた共同経営者。会社はようやく僕たちの他にバイトを雇えるくらいになって、これから社員も雇いたいと考えていたところだった。

理由は、深く聞かなかった。僕も悪いし、津村にも悪いところはある。お互いにこんなに同じ時間を過ご

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隠された思い

今年のバレンタインはトリュフにした。去年はマカロンだったけど、マサキの反応でチョコレートの方が好きなんだってよくわかった。正直な人だ。

日曜日に、7歳離れた妹のマナと一緒に作った。マナは女の子同士で渡すみたい。小学3年生にトリュフは高度すぎるって思ったけど、いいんだって。
7歳も離れてると、ケンカもしない。マナは同い年の女の子に比べたらずっとおしゃれで、ませていると思う。私がいろいろ吹き込んでる

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父の夢と挫折

俺は父親を嫌っていた。

東京へ出てきて約10年。仕事の忙しさにかまけ、実家へ帰省した回数は片手で足りるほどだった。
年末年始に帰るのは5年ぶり。帰らなくてもよかったが、幼なじみの友也がしつこく誘ってきた。
「みんなも和彦に会いたいって言ってるしさ。帰ってこいよ」
友也は俺の母親に似ている。周りを巻き込みながら、なんだかんだ世話を焼いてくれる。みんなが会いたがってるんじゃなくて、俺のためなんだろう

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