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先祖は根無し草のホームレス⁉︎ 家系図を辿って発覚した衝撃の真実

~前回までのあらすじ~
いい歳(27歳)して家族と会話をしない四ツ谷氏は、家族の絆を取り戻すため、否、永遠と思われる思春期を終わらせるため、知られざる先祖を探す旅に出るのであった。
案内人:北山

四ツ谷:「前回までのあらすじ」が気に食わないけど、まあいいか。
この前は除籍謄本を取り寄せて簡単な家系図を作ったわけだけど、次はなにをする必要があるんだ?

北山:このシリーズにおいて、君は俺には逆らえないぜ……。
次にやることは、言ってしまえば「勉強」だね。

四ツ谷:随分と簡単に言ったもんだ。何を勉強すれば良いの?

北山:ずばり、地方史だ。先祖調査には、先祖が暮らしていた土地の歴史を知ることが必要不可欠なんだ。産業、支配構造、文化……。
調査には、妥当性のある推理の積み重ねが大事。あらゆる情報を頭の中に入れておかないと、その推理がうまくいかないわけだ。

四ツ谷:なかなかハードルが高そうだね。

北山:正直、日本史について詳しくない人には難しいかもしれない。
今回は俺が案内役になるから、四ツ谷のルーツの地・隠岐島について一緒に学んでみようか。
俺も隠岐島については、これから知っていくわけだけど。

四ツ谷:やってみよう。

まずは地方史を読むと良い

北山:とはいえ、古代から学ばないといけないわけではない。江戸時代、それも後期の様子が頭に入っていれば充分だよ。

一番大事なのは、支配体系と産業。どういう身分・職業の人々が暮らしていたか分からないと、先祖について推測すらできない。
仮に「先祖は武士」という伝承があったとしても、だいたい尾ひれがついているから、調べ直す必要がある。

さて、隠岐は天領、松江藩の預地だった期間が長いみたいだね。

四ツ谷:もう分からない。

北山:「天領」は幕府の直轄領のこと。「預地」はそのなかで、近隣の藩が管理を任されていた地域のことだね。

つまり、松江藩から派遣された郡代、代官が島支配をしていた。郡代、代官ともに任期は3年。政庁は西郷地区。
部下もたくさんいたから、離島だからといって、武士がいなかったわけではない。四ツ谷の本籍地は西郷地区だから、先祖が役人だった可能性もおおいにある。

四ツ谷:島の役人って、なんかかっこいいね。

北山:郡代・代官の下で村を管理したのが、「公文」と呼ばれる上層農民。「公文」ってのは隠岐独特の呼称みたいで、ほかの地域で「庄屋」「名主」と呼ばれた人たちだね。ほか「年寄」「長百姓」という人たちが、実際に村を管理していたようだ。
ややこしいから、いずれも村長・副村長くらいの認識で大丈夫だよ。

四ツ谷:ふむふむ。俺の先祖が代官だったりする可能性もあるのかな。

北山:代官くらい身分が高いと、記録がしっかり残っている。四ツ谷姓の郡代・代官はいないから、少なくともその可能性はないみたいだ。
近代の「公文」「年寄」の末裔たちにも、四ツ谷姓の人はいない。

少し話が逸れるけど、ここで注意して欲しいことがある。「江戸時代の百姓は名字を持たない」と教えられた人がいるかもしれないが、厳密にはこれは間違っている。正しくは、「江戸時代の百姓は名字を公称できなかった」なんだ。多くの百姓たちは私的な場所では名字を名乗っていたりするからね。

ともあれ、四ツ谷の先祖が公文や年寄であった可能性は低い
「長百姓」以下であった可能性はある。

四ツ谷:だとしたら、普通のお百姓さんなのかな。

北山:そこを推理するために、近代時点の職業別人口分布を見ようか。西郷町の壬申戸籍に基づくデータを参照してみると、四ツ谷の本籍地は少し海から遠いけど、漁民はかなりいたようだ。割合で言えば漁民・商人の蓋然性が高いね。
※壬申戸籍:明治新政府による最初の全国的戸籍。身分差別的な記載も多く、現在では開示されていない。

四ツ谷家がどれほどの土地を所有していたかは、法務局にある「土地台帳」を見れば分かる。農地があれば百姓の蓋然性が上がるし、なければ小作や名子・被官と呼ばれる下級百姓、あるいは役人・商人・漁民の蓋然性が上がる。「土地台帳」の調査はそれなりにめんどくさいから、またの機会にしようか。

『西郷町誌 下』より

四ツ谷:なんだ、農業の才能があるからお百姓さんの子孫かと思ってたのに。

北山:……。
それより、隠岐の歴史を調べていて、気になったことがひとつあるんだ。

四ツ谷:なになに??

北山:『西郷町誌』という、それなりに狭い範囲の地方史を調べているのに、四ツ谷姓の人がいっさい出てこないこと。

下の引用を見てくれ。

西郷町の壬申戸籍を通じて称姓の特色と見られることは加茂、今津、平、原田等における特定名字の卓越である。加茂の一三一戸(箕浦を含んでいるようである)の苗字数は三五姓に区分されるがその内、野津姓が五〇、門脇姓が一八、橋本姓が一〇、藤田姓が七で、野津姓は三九パーセント弱を占め、四姓で六五パーセントを占めている。

『西郷町誌 下』

そのほか、近世以降の記録をバーっとさらったけど、四ツ谷姓の人間は、まったく見つからないんだ。

四ツ谷:ってことは何を意味するんだ?

北山:長くその土地に暮らしていると、同じ名字を名乗る子孫たちは増えていくのが普通だ。

つまり、四ツ谷の先祖は比較的に新しい段階で隠岐の島に移住した可能性があるということ!

四ツ谷:なるほど。でも「四ツ谷」という名字が一番多いのは島根県らしいよ。

北山:そうなのか。となると、本土から隠岐に移ったのかもね。武家の蓋然性が高くなる。当時の百姓は、よほどのことがないと移住なんてしないからね。あるいは商人もあり得るか。漁民はあまり移住しないな。

四ツ谷:そういえば、俺の祖父も自分の代で横浜に移ったんだよね。曾祖父も台湾に移ったことが分かったし、根無し草の一族なのかもしれない。

あ、そうそう。前回追加で依頼しておいた除籍謄本が一通届いたんだ。
四代前の先祖、富次郎さんの父親の名前が判明した。常蔵さんというらしい。

北山:常蔵さんは1800年代初頭の生まれだね。
除籍調査では、まずまずの成果と言えるだろう。

ちょっと除籍見せてくれない?

四ツ谷:はい。

北山:んーー?

四ツ谷:どうした??

北山:おい、気になることが書いてあるぞ。本籍地を見てくれ。「無家」と書いてある。

四ツ谷:家がなかったってこと? ひょっとして俺の先祖、浮浪者だったの?

北山:……。
(つづく)


北山:1994年生まれ。ライター/歴史研究者。一橋大学大学院社会学研究科修了。中学時代に先祖調査に夢中になり、そのまま日本家系図学会に入会。その後は大学院で日本近世史・村落史・由緒論を学ぶ。署名は(円)。

四ツ谷:1996年生まれ。学術書編集者。弟と父親のLINEを知らないくらいには、家族と没交渉。署名は(四)。

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