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【映画評】Y・ランティモス監督『哀れなるものたち』:(1)変奏の「美女と野獣」
『フランケンシュタイン』のパロディだが…
『哀れなるものたち』(Poor Things, 2023)の最初のパートでは、ロンドンのとある邸宅に生じている奇怪な出来事が、一部を除きモノクロ画面で提示される。それはこのヨルゴス・ランティモスの新作が、『フランケンシュタイン』(1931)や『フランケンシュタインの花嫁』(1935)といった1930年代のユニヴァーサル・ホラーの、いやそれ以前にメアリー
【映画評】イエジー・スコリモフスキ『ザ・シャウト/さまよえる幻響』(The Shout, 1978)
心を病んだ男(叫びで人を殺せるという)の妄想か、それとも、その男に感化された男(音声技師)の妄想か。黒沢清の『CURE』(1997)、『降霊』(1999)、『叫』(2006)に影響を与えているであろう作品。「男」の妄想は、だが、フランシス・ベーコンの絵を介して「女」の欲望へと帰着する。
本作におけるベーコンの絵の引用は、勿論「叫び」という主題が共通していることによる。叫びは人間を「獣」に近づけ
【映画評】ハワード・ホークス監督『ヒズ・ガール・フライデー』(His Girl Friday, 1940)
Girl Friday とは Man Friday から派生した言葉で「忠実なる女下僕」ないし「会社で雑務をこなす女助手」といった意味だが、スクリューボール・コメディーたる本作では元夫で新聞社編集長のウォルター(ケイリー・グラント)を元妻で部下のヒルディ(ロザリンド・ラッセル)が振り回す。
この2人のジャーナリストは、実際には無実の殺人犯を精神異常と鑑定させ死刑を回避したり、市長と判事の悪徳を
【映画評】飯塚健監督『ある閉ざされた雪の山荘で』(2024)
芳しくないミステリー
a.k.a. 「そして田所の強姦未遂の事実だけが残った」。あれを無かったことにした時点で本作の性的モラルは最低と知れる——登場人物たちは皆よくあんな奴と同じ舞台に立てるものだ。CGによる空想描写とはいえ「山荘」が「閉ざされ」る程の雪が降り募って/積もっていないのも気にかかる——雪国の実情を舐めてはいないか(原作の舞台は本当に「雪の山荘」だった)。そして何より謎解きのテンポ
【映画評】ベネディクト・エルリングソン監督『馬々と人間たち』(Hross I Oss, 2013)。
アイスランドが舞台のオムニバス映画で、とはいえ相互に繋がっているそれぞれのエピソードの始まりを当地の純潔馬の瞳のアップが告げる(左図)。人と馬との密接な関わりを物語る各話において、人間の擬獣化、馬の擬人化が平行して進められ——本作のポスターがそれを象徴する(右図)——、最後は共同放牧地から集められた馬とその持ち主らが人馬の別なく入り乱れる場面で閉じられる。
だが、この最後の場面を(人同士だけで
【映画評】ジャック・オディアール監督『君と歩く世界』(De rouille et d'os, 2012)
このフランス/ベルギー/シンガポール合作映画の原題(仏語)を直訳すれば「錆と骨の」で、省略されているのは、クレイグ・デイヴィッドソンによる原作のフランス語タイトル "Un goût de rouille et d'os" から「味(un goût)」と分かる。先にカナダで出版された英語版のタイトルも「錆と骨(Rust and Bone)」で、 つまりは殴られて切れた口の中の「血の味(le goû
もっとみる【映画評】ルイ・シホヨス監督『ザ・コーヴ』(The Cove, 2009)
海外版DVDと日本上映版の違い
以下は、このアメリカ製ドキュメンタリー映画が日本で公開された当時(2010年)に、事前に入手していた海外版DVDを自宅で見て、その日のうちに渋谷の映画館で日本版を鑑賞した上での記述である。
まず日本版では、①「この映画が示すデータは製作者の見解に基くものである」旨の前口上の字幕画面が入り、②太地町(和歌山県東牟婁郡)の住民の顔にモザイクがかけられ、③エンディン
【映画評】ザック・スナイダー監督『300〈スリーハンドレッド〉』(300, 2007)
ミラーとスナイダー—ヘロドトスの末裔
『300』はフランク・ミラーの同名のグラフィック・ノベル(平たく言えばアメリカの漫画)を映画化した作品だ。この映画はペルシア戦争(前500~前449)中に起きた実際の合戦、即ち紀元前480年にギリシア半島中部で戦われた「テルモピュレーの戦い」の様子を描いている。古今東西、ペルシア戦争にまつわる「物語」は、同時代史家たるヘロドトスの著作(『歴史』)を嚆矢とし
【覚書】D・W・グリフィス監督『東への道』(Way Down East, 1920)
『ステラ・ダラス』(キング・ヴィダー監督、米、1937年)の場合(註1)と同様、終盤のシーンをどう解釈するかが『東への道』を評価するか否かの鍵となっているように思われる。しかし、それについて考える前に、この作品を映画史、あるいは「メロドラマ」という物語ジャンルのコンテクストにおいて再確認しておきたい。
本作の監督は「映画の父」やら「ハリウッドの父」と讃え称されるデイヴィッド・ウォーク・グリフィ
【要約】J・プレイス「フィルム・ノワールの女たち」(Janey Place, Women in Film Noir, 1978)
男性の幻想の産物たるヨーロッパの神話・宗教・文学・芸術において、「ダーク・レディ」や「スパイダー・ウーマン」は、非常に古くから、そのアルター・エゴである「処女」・「母親」等々とともに女性の二大原型を形づくっている。現在(1978年現在)、大衆文化としての映画がかつての神話に相当する役割を果たしているといえるが、中でも1940年代から50年代半ばにアメリカで人気を博した、明瞭で一貫したスタイルをも
もっとみる【映画評】デイヴィッド・ロウリー監督『A GHOST STORY ゴースト・ストーリー』(A Ghost Story, 2018)。
“Whatever hour you woke there was a door shutting.”
“"Safe, safe, safe," the pulse of the house beat gladly. "The Treasure yours."”
A Haunted House, Virginia Woolf
フランスでの低評価
ギレルモ・デルトロが賞賛し、日本でも蓮實重彦が
【映画評】クリス・サンダース監督『野性の呼び声』(The Call of the Wild, 2020)
イギリス動物文学との影響関係
本作が映画館にかけられる前、さもハリソン・フォードが演じる主人公(ジョン・ソーントン)とその飼い犬の物語であるかのような予告編が流されていたが、実際にはこれは犬のバックが主人公の純然たる動物映画である。
だから映画の前半において、大型犬バック――原作小説によればセントバーナードとスコッチシェパードの雑種――は、ゴールド・ラッシュに湧く19世紀末のアラスカを舞台に
【映画評】ウェス・アンダーソン監督『ファンタスティック Mr. FOX』(Fantastic Mr. Fox, 2009)
脱獄、あるいは「人形の家」からの脱出
これはロアルド・ダールの児童文学(Fantastic Mr Fox, 1970)を原作とする人形劇である。ウェス・アンダーソンが試みた初のストップモーション映画でもあるのだが、本作を観た後にそのフィルモグラフィーを振り返って見ると、アンダーソンはもともと「人形(あるいは動物)のように人間を撮る」タイプの作家だったと気付かされる。実際、彼は作品ごとにあらかじ
【映画評】ニア・ダコスタ監督『マーベルズ』(The Marvels, 2023)
広大な宇宙を一人漂うキャプテン・マーベルの絶対的孤独——ぜひIMAX3Dで冒頭の宇宙遊泳シーンを堪能してほしい。他の二人のヒロインの登場とその二人との交流は確かにキャプテンの孤独を癒すが、それは彼女の能力の相対化をも促してしまう。かくて「女たち」は一旦「交換(exchange)」可能な客体の位置に貶められ、だが相互の「もつれ(entanglement)」を手掛りにそのような状況から脱出する。
【覚書】ロバート・ゼメキス監督『ロジャー・ラビット』(Who Framed Roger Rabbit, 1988)
「この映画は、無批判のままアニメのキャラクターを過去から現在に連れてきたのであり、初期のアニメ映画からの不快な表象がまたぞろ繰り返されているのかどうかを問う視聴者もいた。キャスリーン・グレゴリー・クライン教授が書いたように「この映画は(中略)アメリカにとって大いに好まれる他者の最悪のステレオタイプ——即ち黒人——の特徴を召喚する。それは過去2世紀に渡るアメリカの大衆芸術の中から集めてこられなけれ
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