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建築家、映画を語る。『キャノンボール』ハル・ニーダム監督

アメリカの高校に通い、卒業を迎え、卒業パーティーが終わって流れた2次会がモーテル(ホリデイ・イン)の2フロアを貸し切って未曾有の大パーティー。
バスルーム開けたらバスタブ一杯のビールが、、、
隣の部屋を開けたら〇〇〇〇に〇〇〇〇、高校生なのにもうメチャクチャだ。

卒業パーティー一次会
卒業パーティーと翌日の遊園地パーティー
高校の女子たち

そこに至る日本での生活、、、

私は家庭環境が複雑であったため、幼少期の頃から心の中は常にビクビクしながら生きていた。

なかなか分からないであろう、「父の日」「母の日」「親の職業」、、、

これらのイベントの度に、少年期の私の心臓は縮まり、冷汗が溢れ、胃に不快感が満ち満ちた。

私が所謂メンドクサイ人間であるのは十二分に自覚があるが、「私を馬鹿にしたアイツら」を消さなければ私は成仏出来ないのである、

という「殺意」のピーク(17歳)でアメリカに留学した。

アメリカの高校は人種のるつぼであった。
チカーノ、ニガー、アイリッシュ、ワップ、チンク、ジュー、、、私はジャップだった。

「俺はアイリッシュ、祖父母の代でアメリカに渡って来たんだよ」

と、マブダチのデニスは語った。

「俺は今の親(血は繋がってない)に養子として引き取られたんだよ」とはイタリア系のクリス談。

さらにマブダチの一人である「チェン(日本人と白人のハーフ)」の家でのパーティーで、「親に挨拶したい!」って俺が言って、会ったら両親は両方とも白人だった(今なら分かるよ、「沖縄事案」なのだ)。
超気まずかった笑、そしてその後、チェンはドラッグ・ディーリングでトラブって殺されたとのことだ(上記クリス談)。

しかし、しかしである。

奴らは本当に優しかった。

「優しい」なんて私から1番程遠い言葉であるが、それを使わずに彼らを表現出来ない。

アメリカの高校に一年通って卒業したが、嫌な思いは日本の100,000分の1以下。

いや、そもそもアメリカという国家自体が「全員訳あり」なのだ。

私の瑣末なコンプレックスは消し飛んだ。

さて、

本文は「映画評」である。

映画『キャノンボール』には、「アメリカの優しさ」がパンパンに詰まっているのである。

バート・レイノルズ主演『キャノンボール』


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