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「信じる力=最強」説
二か月ほど前の話です。仕事先である人と世間話をしていて、ビックリ!したことがあったんです。
世間話の相手は、横山さん(仮名)と言って、年齢は私と同じくらいのアラフィフ男性です。
アラフィフ男性同士の世間話となると、五十肩だとか、腰痛いとか、老眼でモノが見えにくいなど、
どうしても加齢による悩みが主な共感ポイントになるので、まあそのときも視力の話だったんですね。
私は近眼+老眼なので、焦点が
思考(マインド)は心を支配しようとする ~ 古事記の暗号 9
私は、民族の深層に共通して流れるストーリーが、神話というものだと思っています。
私が「自分」だと思っているものは、私の顕在意識が創り上げてきた個人的ストーリーだとすると、神話は潜在意識に流れる集合的ストーリーではないでしょうか。
神話で語られるストーリーをシンボルと捉えると、いろんなことに当てはめて解釈することができます。
例えば、イザナギとイザナミをシンボルと捉えた場合、
イザナギ
本で伝えたかったこと
昨年、私は「超訳・古事記入門~天地開闢編~」という本を書いたのですが、実のところ
古事記についてのウンチクとか、古事記に関する知識を伝えたかったわけではありません。
勿論、古事記がきっかけで私は「わたし」のことが分かるようになったし、生きるのがとても楽になったのですが、古事記そのものというより「超訳」したことが、私にとって意味をなしたのです。
ですから私にとって、古事記は手段であって目的では
2020年 新年散歩
たまに散歩のことも書こうと思います。
行った場所のこと、そこで感じたことなど・・・。
新年の散歩は、山歩きが多かったです。
正月休みのうちに、以前から行ってみたかった宮崎の「神さん山」に行けたのはよかった。
どーーーーん! ダイナミックな景色です。
この辺りには、古代の磐座と思われる巨石がごろごろしていています。
天気もよかったので、岩の上で昼寝したいぐらいでした。
でも、寝返りうっ
祓戸四神 「黄泉の国、根の国・底の国」~ 古事記の暗号 8
黄泉の国が、根の国・底の国と同一視される根拠は、黄泉比良坂(よもつひらさか)という出口が共通しているからです。
黄泉の国を訪れたイザナギが、イザナミから追いかけられ、命からがら逃げ出てきたのが黄泉比良坂(よもつひらさか)でした。
イザナギは、このとき千引きの岩で、黄泉比良坂(よもつひらさか)を塞いでいます。
イザナミが黄泉の国から出てくることができないように塞いだのです。
根の国を訪れたオ
石長比売(イワナガヒメ)と木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)<後編>~ 古事記の暗号 6
ニニギがイワナガヒメを送り返したのは、イワナガヒメが醜かったからです。
醜い=「見・難い」
イワナガヒメは「見るのが難しい」のです。
永遠性の象徴ですから。
永遠なんて、そんなものどこにある?
私たちは、永遠を見つけることができません。
それは、時間と言う概念に縛られているからです。
でも、時間は概念上のものであって、存在しないかもしれませんよ。
時間が存在するか否かに関する議論は
石長比売(イワナガヒメ)と木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤヒメ)<前編>~ 古事記の暗号 5
新年あけましておめでとうございます。
今年がみなさまにとって、楽しく健やかな一年でありますようお祈りいたします。
みなさまは、どんな正月を過ごされましたか?
私は、長崎の実家で年越ししました。
私の実家は、玄関先から真正面に初日の出を拝むことができます。
まだ薄暗い空に、燃えるような太陽がポコっと頭を出す瞬間は何とも言えませんね。
思わず手を合わせて礼拝してしまいました。
西洋人の目
全ての人はクリエイターである。~古事記の暗号 1
古事記において、最初に現れた神は、天之御中主神(アメノミナカヌシ)です。
続いて二柱の神、高御産巣日神(タカミムスビ)と神産巣日神(カムムスビ)が現れました。
高御産巣日神(タカミムスビ)と神産巣日神(カムムスビ)に共通するのは、神名に産(ムス)という字を持つことです。
産(ムス)とは、産み出すことで、つまり創造することです。
では、この「産(ムス)」は、現代の私たちにどのように対応してい