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海外就職活動①10年ブランク、英語の話せない、パニック障害、シングルマザー

私はシェルターにいる時に就職活動を始めました。
コロナが起こった直後に職を探さないといけないという最悪のタイミングでした。
会社は従業員を解雇しまくり、レストランも閉鎖、お店もクローズ、、求人もほぼ出ない状態でした。

英語も話せないのにオフィスワークを希望し、人と話すことが恐怖のシングルマザーで10年のブランクがある私を雇うようなところなど見つかるわけがないと、シェルターのスタッフには散々言われましたが言われなくても私が一番わかっていました。

カウンセラーは100社以上履歴書を送っても返答は1社あるかないかだから、今のこのコロナ禍でもっと確率は低いはず。
だから履歴書どこでもいいから送りまくれと言われたので、とりあえず出た求人で通える範囲ならのオフィスワークは全部送りました。
そして7社ほど送ったところで全て面接の案内が返ってきたのでした。

そして私はその予想外の出来事にパニックになりました。
面接の予定が立てられないのです。
そんなこともできなかったのです。

そして精神科医との面談をとり、カウンセラーと相談してついに薬を処方してもらうことになりました。

アメリカでの初面接はオンラインでしたが、面接官がとても優しい人で、私が以前住んでいた国に住んでいたことがあるという話題で盛り上がり、私の精神状況からこのようなプレッシャーのない環境で働くのがいいと思いましたがお給料や時間が合わずお断りすることになりました。

でもこの人のおかげで面接のプレッシャーは少しおさまったのは確かです。

その後対面での面接の予定が続き、プレッシャーでパニック発作が出るようになり車の運転も危ない状況に陥りました。
私と子供の命がかかっている、、
人が怖いのに、対面でそんなプレッシャーを背負いながら未経験の仕事についての面接。。。
恐ろしくて何日も前から嘔吐し、こんなふうになるなら子供を夫に預け自分は路上で暮らした方がマシだとまで思いました。

面接に行くにあたり、まともな精神状態ではなかった私はついに薬を処方してもらいました。

薬を飲むと感情は消え、泣きたいのに涙は出ず、怒りたいのに怒れない、笑いたいのに笑えない。

就職活動2ヶ月前に車を購入し、ドライビングスクールの先生を乗せて2日間練習し、シェルターのロックダウン1ヶ月を挟み(シェルターのクライアントがコロナ陽性だったため)その間に履歴書を送り、オンライン面接を受け続けました。
内定をもらっても、子供の送迎に間に合わなかったりアパートを自力で借りられないようなようなお給料であれば働くことはできないので1社を残して最後の大手1社にかけることにしました。

この時には、息ができているのでできていないような気がして、パニック発作が頻繁に起きて面接に受かっても働くことなど不可能だと思うようになっていました。

私は日本でも他の国でも大きな会社で働いていましたが、大きな会社はベネフィットがよく、スタッフが多いのでもし私が子供の病気などで急に休むことになっても埋め合わせをしてくれる人がいると思ったことが選んだ理由です。
カウンセラーも大きい会社に入れるならそれがいいと言っていました。

最後の会社の面接当日は1時間前にその会社に到着しました。
一睡もできず、平穏に見えますが、薬を飲んでいるので感情は空っぽでした。

ビジネス街の大きなビルの前に立ち、シェルター暮らしで路上生活目前の私をこんな大企業が雇うわけがない。
私はどうしてこんな無謀な戦いに挑んだのか?



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