犯罪と精神医学(5): 精神障害者なら無罪?〜疾患別に責任能力の有無を精神科医がざっくり解説〜
皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です!
今回はシリーズ「犯罪と精神医学」の第五回目として、とても重要なテーマをご紹介いたします。
それは、「精神障害者が犯罪を犯したら無罪なのか?」という古くからある問いです。
…重いです、今回のテーマ…。
ネット上でこの手の議論を眺めると、「精神障害者 = 心神喪失 = 無罪」と安易に考えられている節(フシ)があり、その理不尽さが陰性感情を生み出しているように見えます。
この誤解を解かねば…、と勝手に使命感を抱きこの記事を書いた次第です。
…と、何だか大上段に構えた感じですが、小生はいわゆる司法精神医学を専門にはしておりません。
あくまで、一精神科医の20数年の経験と、小生が尊敬する司法精神医学の先輩方からの伝聞に基づく内容とご理解していただければ幸いです。
【刑事責任能力とは?】
「精神障害者が犯罪を犯したら無罪なのか?」という問いをする上で理解するためには「刑事責任能力」について知る必要があります。
刑事責任能力とは...、
を意味します。
では、"自己の行為に対して責任を負うことができる”とは、何を意味するかというと…
この2点が可能な状態であることなのです。
【責任無能力と限定責任能力とは?】
刑事責任能力が全くないことを「責任無能力」、責任能力を著しく限定している場合を「限定責任能力」と呼びます。
責任無能力としては心神喪失と14歳未満の者、限定責任能力としては心身耗弱状態があります。
刑法41条に関しては説明は不要でしょうが(賛否はありましょうが)、刑法39条の「心神喪失者」と「心神耗弱者」については説明が必要と思います。
1931年の大審院判決では、両者を以下のように定義しております。
数字は小生が追記しましたが、上記の1)を生物学的指標、2)を心理学的指標、と呼びます。
そして、この生物学的指標と心理学的指標がセットで存在してはじめて「心神喪失者」または「心神耗弱者」と見做されます。
1)生物学的指標について
繰り返しになりますが、「心神喪失者」または「心神耗弱者」と見做されるのは”精神障害である”ということが大前提です。
例えば、単に「犯行時を覚えていない」や「いつもより興奮していた」という”状態"だけでは精神障害であるという要件を満たしません。
また診断についてはDSM-5やICD-10といった国際診断基準をもとに行うことが適切です。
2)心理学的指標について
心理学的要所の分析として、以下の7点について注目する必要があります(最近の司法精神医学においては、必ずしもこの作法に則る必要はないという意見もありますが…)。
【近年の精神障害者の犯罪統計】
精神障害者における責任能力について考える上で、近年の心神喪失者・心身網弱者(精神障害者の犯罪)に関する傾向をデータで示したいと思います。
これらのデータは法務省の「犯罪白書」を元に作成いたしました。
<精神障害者等による刑法犯検挙人員>
一般的に精神障害者の犯罪率は低いと言われております。
具体的な数字を挙げると、内閣府が公表している「精神障害者数」は320万人程度であり、本邦の人口比で言うと2.6%を占めます。
一方、法務省が公表する「犯罪白書(令和4年)」によると検挙人員総数に対する精神障害の疑いがある者の割合は0.7%にとどまっております。
この数字を見ると「精神障害者は犯罪を犯しにくい」と言えますが、注目していただきたいのは「殺人(6.4%)」「放火(11.4%)」と重大犯罪においては精神障害者の犯罪率は高いという点です(図1)。
この数字をどう思うかは、皆様のご判断に委ねます。
<精神障害を理由に不起訴になった者の推移>
次に過去20年間、精神障害を理由に不起訴処分になった者の推移を示します。
特に割合が大きいのは、傷害、殺人、放火などの重大犯罪ですが、ここ数年に関しては強盗・強制性交などについては不起訴となるケースは若干減少傾向にあるようです(図2)。
また過去20年における不起訴となったの犯罪種を図3に示します。このデータによると、傷害、殺人、放火で9割を占めるようです…。
<不起訴となった精神疾患の内訳>
最後にお示しするデータは、昭和60年から平成17年の21年間で不起訴となった精神障害者の診断の内訳です。理由は不明ですが平成18年以降法務省は心神喪失者・心身網弱者の詳細を公表しなくなりました。本当は直近の動向を知りたいところですが、内訳についてはおそらく大きな変化はないと思います。
ご覧のように6割が統合失調症、ついでアルコール中毒(8%)、躁鬱病(7%)という内訳です(図4)。
ちなみに21年間の不起訴者の累計としては、統合失調症9662名、躁鬱病1161名、アルコール中毒1327名、覚醒剤中毒631名、知的障害613名、てんかん252名、パーソナリテ障害212名、そのほか2170名でした。
【疾患別責任能力の有無】
それでは代表的な精神疾患における責任能力の有無について簡単の説明したいと思います。
尚、●●障害 = 無罪/有罪という訳ではなく、それぞれのケースを前述の心理学的指標の7項目と照らし合わせながら総合的に判断していくので、全てのケースに当てはまるわけではないことを付言します。
<統合失調症>
図4に示したように統合失調症は、不起訴処分となった精神疾患の実に6割を占めます。
"統合失調症”と一言でいっても病態・重症度は多様でありますが、責任能力の有無については概ね”責任能力はない/限定責任能力”と見做されるケースが多いようです。
統合失調症における責任能力は東孝博の論文が分かりやすく示しており、以下にその内容を簡単にまとめました。
しかし、最近の判決をみると上記の4(あるいは3)であっても、有責とみなす例が散見されるようです。
<妄想性障害>
妄想性障害は統合失調症に類似しますが、前者は後者に見られる幻聴・陰性症状を認めず”妄想(間違って訂正不能な考え)”が持続する状態です。
この疾患は図4の”そのほか(14%)”に含まれますが、人格水準の低下を認めないため心神耗弱、現実検討能力の有無によっては有責と見做されることが多いようです。
妄想性障害の刑事責任能力については、一橋大学教授の本庄武の論文がとても分かりやすいです。
<うつ病>
うつ病患者さんが犯罪を犯す…、という状況を想像できますか?
元気がなくて不活発になった人間は悪いことすらできない…、というのは実は間違った考えです。
うつ状態になった結果、自暴自棄、典型的には無理心中という悲劇に至ることすらあるのです(そう言えば少し前に、梨園でも心中騒ぎがありましたね…)。
うつ病患者さんの責任能力に関しては、林幸司がとてもわかりやすい"2x2マトリックス"を提唱しております(図5)。
このマトリックスによると、自殺企図の致死性(企死念慮)、および動機の自責性によって判断します。
つまり致死性が強いほど、そして自責感が強いほど責任能力は無くなり、逆に致死性が低く他責感(人のせいにする)が強いほど、有責となりやすいようです。
<躁鬱病(躁状態)>
テンションが高くなり、易怒的、横暴などが前景に現れる「躁鬱病(躁状態)」ですが、意外にも重大犯罪を犯すことは少ないそうです。
攻撃性へと結びつきそうな病態なのですが、躁鬱病の病前性格(同調性・社交性)のおかげか犯罪を犯しても”許せる程度(無銭飲食、窃盗など)”の犯罪に落ち着くようです。
しかし、躁鬱病と紛らわしい反社会性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害の場合、重大犯罪を犯す可能性があるため鑑別は慎重になるべきでしょう。
<アルコール中毒>
要するにアルコールで酔った場合、責任能力はあるのか…。
これはワイン好きの小生にとっても大問題です(真顔)!🍷
酩酊(酒に酔った状態)の分類としては、Binderの3分類が基本ですが、この分類によると酩酊とは以下のようなタイプに分けられます。
単純酩酊の場合、責任能力があると見做され、異常酩酊(複雑酩酊・病的酩酊)は減免される可能性があるようです。
<覚醒剤中毒>
覚醒剤による精神病症状は概ね統合失調症と類似しております。それ故、伝統的(?)に日本では覚醒剤中毒は心身耗弱にとどまることが多い傾向にあるようです。しかし、米国においては”アルコールや薬物の摂取による中毒に由来する精神病症状は責任の減免理由にはしない"というスタンスだそうです。その理由はよくわかりませんが、自己責任というドライな理由があるのかも知れません。
<てんかん>
てんかんは神経細胞の過剰放電により起こる繰り返しの”発作”です。
発作の症状としては、けいれん・意識障害などが主ですが、異常行動、特に暴力など他害行為に及ぶこともあります。
しかし、てんかん発作が犯罪行為を引き起こすことは極めて稀です。
てんかんを持病として抱える犯罪者が免責となりうる条件としては…、
以上の5つの条件があれば、心神喪失者・心神耗弱者と見做されることがあるようです。
<認知症>
最近のニュースでも報道されますが、高齢者犯罪が多くなりました。
高齢化社会を迎えた日本では、今後高齢者の犯罪は増えることはあっても減ることはないでしょう。
そして高齢者の犯罪で問題となるのが認知症です。
特に認知症患者が交通事故を起こした場合、認知機能のレベルによっては不起訴になる可能性があります。
また認知症周辺症状(BPSD)による犯罪、たとえば傷害などは心神喪失と判断されることが多いようです。
認知機能の目安としては、認知機能の心理テスト(MMSEや長谷川式)で1桁であれば心神喪失と見做される可能性が高いです。
<知的障害>
知的障害の責任能力に関しては、古くは内村祐之の見解「知能指数が50未満の中等度以下の精神遅滞(知的障害)があってはじめて責任能力の減免の対象となる」が有名です。
逆に軽度(IQ50以上70未満)は、通常、普通の犯罪者と扱われるようです。
ちなみに中等度の知的障害は概ね「小学校2-3年生」程度の知能であり、完全に自立した生活をおくることは稀です。
<発達障害>
発達障害において責任能力が争点となりうるのは自閉スペクトラム症です(ADHDや学習障害は例えあったとしても、責任能力には影響しないと判断されます)。
自閉スペクトラム症が注目され始めたのは他疾患にくらべて最近であるため、責任能力の有無については症例の蓄積がまさに現在進行形の状態です。
10年ほど前に緒方あゆみが書いた総説によると、25例の自閉スペクトラム症(広汎性発達障害、アスペルガーを含む)のうち実に21例が完全責任能力ありとされております。
ちなみに名古屋大学女子学生によるタリウム殺人事件では、犯人は発達障害の診断を受けましたが完全責任能力ありとされ無期懲役が確定しました。
<神経症>
神経症とはICD-10におけるF4にカテゴライズされる疾患群であり、不安障害、強迫性障害、恐怖症、心気症などを含みます。通常これらの疾患は”現実検討能力あり”と見做されるため免責の対象とはなりません。
しかし、神経症の中でも解離性同一性障害については”別人格”の犯行なので、責任能力について意見が分かれる…、と思いきや意外に”心神喪失”と見做されるケースは少いようです。
上原大祐が解離性同一性障害の5つのケースについてまとめておりますが、副人格(別人格)が行なったと認定されたのは3件であり、その3件のうち1件のみが「責任能力判断に影響する」と見做したようです。
<パーソナリティ障害>
いわゆる人格障害については、本疾患単独を理由に免責されることはほとんどありません。
パーソナリティ障害は色々ありますが、例えば反社会性パーソナリティ障害についてはヤクザをはじめとする職業犯罪者のほとんどが該当しますので…。
【鹿冶の考察】
すこし駆け足でしたが、精神障害者による犯罪の責任能力について解説しました。
皆様の中には、「精神障害だからといって、免責になるのは許せない」と思う方もいらっしゃるかも知れません。
しかし、本邦においては刑法39条があるため”心神喪失者(心神耗弱者)の行為は無罪(減刑)”なのです。
”心神喪失者・心神耗弱者”すなわち物事の理非善悪の分からない精神障害者が犯罪を犯しても本当に責任を問えないのか?という議論は、精神科医である小生の守備範囲外であり司法の判断としか言いようがないのですが、以前弁護士の先生から興味深い話を聞いたことがあります。
それは、意外にもこういった責任能力の有無を加味する裁判においては司法の判断は杓子定規なものではなく、「こりゃ犯人にも同情できる余地が…」と思えるか否かが判断を左右するそうです。
例えば精神障害により入退院を繰り返し、家族からの支援も全くない精神障害者が犯罪を犯した場合、「適切な治療があれば…」と同情され免責の対象となる可能性があります。
一方、若い頃から素行不良で反社会的なことを繰り返した者が後に精神障害を発病し、発病後に犯罪を犯したのであれば「同情の余地なし」と有責となる可能性が高いそうです(あくまでその弁護士さんの見解です。本当か否か、司法のスペシャリストからの意見を是非知りたいです!)。
要するにいくら精神鑑定医が心神喪失か否かと判断しても、その判断を採用するか否かは裁判官次第なのです...。
ここが医療と司法の大きな断崖であり、責任能力の有無とはまた違った次元での判断があるのだろうと思います(事件の社会的影響・重大性なども考慮するみたいですね)。
【まとめ】
【参考文献】
1.犯罪白書. 法務省. https://hakusyo1.moj.go.jp/jp/nendo_nfm.html
2.統合失調症の責任能力についてー「賦活再燃現象」を踏まえた「犯行時の精神状態」の検討. 東孝博, 精神神経学雑誌, 111(7):762-788, 2009
3.発達障がい者の刑事責任能力と量刑判断ー大阪高裁平成25年2月26日判決を端緒としてー. 緒方あゆみ, 中京ロイヤー, 2013
4.解離性同一性障害患者たる被告人の刑事責任判断・再考:近時の裁判例を素材として. 上原大祐, 鹿児島大学法学論集, 53巻2号, 39-58, 2019
5.事例から学ぶ精神鑑定実践ガイド. 林幸司.金剛出版. 2011
6.臨床医のための司法精神医学入門 改訂版, 日本精神神経学会, 新興医学出版社, 2017
7.妄想性障害と刑事責任能力. 本庄武, 一橋法学, 2022
https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/78398/hogaku0210301570.pdf
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