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【小説】耳を傾ける 第5話

※一話完結ですので、お気軽にご覧ください。
雪深い地方都市にある喫茶店『中継点CAFE』に、話を聞くことが得意な人がいるらしい。みんな自分が悪いんだと泣いてる人や誰も私を分かってくれないと怒り狂っている人を見つけたら、『中継点CAFE』を知る人たちは通りすがりに言います。「百坂さんのところに行ってみたら?」ーー。

 閉店後、明日の料理の仕込みを終えても、夏坂さんはなかなか帰り支度をせず、ホールのソファーに座ってポストカードくらいの大きさの紙切れの束を睨んでいた。帰ろうとしていた山田さんが、夏坂さんに何を見ているのか訊ねた。

「いや、あっちで見つけたんですけどね」

 と、夏坂さんはポストカードくらいの紙で「staff only」の扉を示して続けた。

「多分、開店したばっかのころの、メニューかな、って思って」

 山田さんも、夏坂さんの持っているカードを覗き込んだ。厚紙だけど、劣化してふやけて、また乾いてという時間を経たような、皺が寄っていた、と思ったので山田さんは夏坂さんに断言した。

「にしては、古いですよ」

「そうですよね」

 と、夏坂さんも同意した。
 山田さんはメニューを一つ一つ点検した。今の『中継点CAFE』のメニューは店主の辺見さんからのリクエストと自分たちが得意とするものを合わせて提供している。コーヒーや紅茶、ミックスジュースなどの飲み物は主に辺見さんが作り、デザートは山田さん、軽食は夏坂さんが作る。だが、軽食やデザートは、ケーキやスパゲッティなどの、よほどコツがいるものでなければ山田さんと夏坂さんでレシピを共有し、ある程度どちらも作れるようにしている。サンドイッチやパフェ、スープ、カレー、あんみつは二人とも作れる。

「辺見さんからリクエストされたメニューのまんまですね」

「ところがそうでもないんです」

 と、夏坂さんはスパゲッティのページの一番上のメニューを指ではじいた。

 ”ナポリタン” 

 しかも、当店一番人気、という煽り文句付きである。だが、メニューの上に細いボールペンのような線が二本、定規を当てたのか、真っすぐに引かれていた。

「なんでこれだけ引っ込めたのかが気になって……」

 夏坂さんがそう呟くと、山田さんは奥の方へ「百坂さーん」と大声を出した。のそのそと「staff only」の部屋から出てきた百坂さんを山田さんは夏坂さんのところまで引っ張って行き、メニューのことを訊ねた。

「これは、前身のお店のメニューだと思います」

 と、百坂さんはメニューを確認して答え、こう説明を続けた。

「『中継点CAFE』は三年前に辺見さんがオープンしたんですが、その前は、もっと歴史のある喫茶店がここで営業していたみたいです。辺見さんもそこによく通っていて、喫茶店が閉まっちゃうときに引き継いだんだそうで」

「じゃあ、これは?」

 と、夏坂さんは“ナポリタン”を指さして百坂さんに訊ねた。

「それは、作る人が辞めてしまったんだそうです」

 百坂さんの答えに山田さんは聞き返した。

「レシピの引継ぎをしなかったってこと?」

「たぶん」

「どうしてかな? 急に辞めちゃったとか? 病気? 職場の人間関係が上手くいかず?」

「そこまで詳しく聞いていませんでした」

 百坂さんは山田さんの考えが飛躍していくのに戸惑いながら答えた。
 夏坂さんは立ち上がり、帰り支度をするために「staff only」の部屋に向かった。

※※※※※※※※※※※

 数週間後、百坂さんは夏坂さんから耳を傾ける仕事を直接、依頼された。だが、いつも『中継点CAFE』でしているようなのとは勝手がやや違う内容だった。普段は、話したいことがあるお客さんの話に耳を傾けるのだが、夏坂さんが依頼したのは、話したがっていない相手からナポリタンのレシピを聞き出して欲しい、ということだった。
 その週の休みの日、百坂さんは夏坂さんに連れられて、介護施設へ行った。行く途中、夏坂さんは百坂さんに経緯を説明した。
 夏坂さんは『中継点CAFE』の前身の店である『喫茶 中継点』が歴史のある喫茶店であるということを聞いて、図書館で地元の新聞やタウン誌の記事を調べ、ナポリタンを作っていた当時の調理担当の人の名前を突き止めた。アナログながら連絡が取れるか不安だったが、電話帳でその人、棟方ゐよさんの名前を探し、連絡を取った。幸い、固定電話の番号はまだ使われていて、その人の孫と名乗った人が出て、今はこの介護施設で暮らしているということが分かったとのことだった。

「そんな迂遠なことしなくても、辺見さんに聞けばよかったのでは?」

 と、百坂さんは車を降り、ドアを閉めて訊ねた。夏坂さんは短く唸って答えなかった。

 介護士の方に案内されて、二人は棟方ゐよさんのところへ通された。棟方さんに挨拶をした途端、百坂さんは愛読書であるミヒャエル・エンデの『モモ』の一場面を思い出した。人の話を聞くのが得意なモモが町の人から鳴かなくなったカナリヤを託され、カナリヤが歌いだすまで耳を傾ける、というところだ。もしかして、棟方さんはナポリタンのレシピを忘れてしまっていて、思い出すまでずっとここで……なんて考えてしまった。
 だが、それとはちょっと違うようだった。夏坂さんによれば、棟方さんは耳が遠くて会話に少し時間がかかるものの、料理のことは忘れていないようなのだ。介護士の方々や一緒に暮らしている人たちと料理の話をしたことが幾度もあると、案内してくれた介護士の方が教えてくれた。

「けど、最近は料理の話をこちらからふると機嫌が悪くなるようになってしまって。なぜか」

 と、介護士の方は付け加えた。
 棟方さんはラジオを聴きながら、ところどころでくすくすと笑っていた。その楽しげな様子は、こちらの気持ちを温かくさせるようなものではなく、閉じられていた。これは、聞き上手な人に巡り合えなかった人独特の雰囲気だと、百坂さんは察知して、夏坂さんの依頼を引き受けることにした。

※※※※※※※※※※※

『中継点CAFE』での調理の仕事にも慣れ始めた頃に、パートでホールに工藤さんが入ってきた。工藤さんは、よくメニューにはないナポリタンの注文をお客さんに言われるまま確認を忘れて取ってきてしまうということが、彼女が仕事に慣れるまで数度あったので、なんとなく印象に残っていた。
 個人経営の喫茶店で調理の仕事をしているって言うと、親戚は顔をしかめ、かつての同期生は目が泳ぐ。たぶん、「あ、まだバイトなのかな?」って過るんだろう。調理の仕事であの人たちが一人前扱いできるのは、ここのような介護施設や病院、給食センターで働くか、もしくは、ホテルのレストランや有名店の料理人か、チェーン店の商品開発部か、自分で店を持つくらいなんだろう。
 俺自身は『中継点CAFE』が気に入っているし、調理場の使い勝手もいいし、来るお客さんや、一緒に働いてる人が自分のことを受け入れてくれてると思えて有難いから働かせてもらってるのに。たぶん、あの人たちが心配してくれてるのは「男なのに給料はどうなってるんだ?」ってことだと思うんですけど、俺だけの生活なら今の給料で全然いいし、第一、俺の両親も若いうちに結婚して低い年収で家族を養ってきてくれた。だから、年収が最初からある程度ないと話にならない、という物言いはむかつく。外野の無言の野次に気を取られるようなメンタルが憎い。

 百坂さんに耳を傾ける仕事をお願いしてから、休みの日に二人で棟方さんの暮らす介護施設に通って六週目、つまり一か月半。最初のうちは俺も百坂さんと一緒に棟方さんに付いていた。百坂さんは別段話しかけるわけでもなく、黙ってそばに座っていた。棟方さんが聴いているラジオについて話題を出すこともしないし、社交辞令としての天気や季節の話すらもしないし、核心を聞きだすような質問もしない。何度か俺が棟方さんに話かけようとしたら、百坂さんは俺の肘を手で叩いて止めた。仕方なくじっとしていると、まるで向こうに無視されてるような気持になって、暗い気持ちがわいてきた。もしかしたら、ナポリタンのレシピ、本当に忘れちゃってるんじゃないかとも思った。

 そうして今日、ついに車で百坂さんを急かすようなことを苛立った調子を隠し切れずに言った。すぐに謝ったら百坂さんは許してくれたが、気まずくなって今日は、棟方さんのことを百坂さんにお任せして、俺は来客用の自販機でコーヒーを買って、食堂で相撲中継を観ながら飲んでいた。
 しばらくして、高校生くらいのジャージ姿の男女が四人、食堂に入って来て、食事を終えて休んでいたおじいさんにお辞儀をして、ノートと筆記用具をカバンから取り出した。彼らの後ろを、テレビカメラを担いだ男と、ラフな格好をした男、スーツ姿の男が付いて来ていた。傍にいた介護士に聞くと、ジャージ姿の子たちは高校の演劇部で、大会に向けての脚本の取材のためにここで暮らす人たちに戦争体験を聞きに来たとのことだった。スーツ姿の男は顧問。後の男二人は地元テレビ局の取材だった。演劇部員たちのジャージに縫い付けられた校章を見ると、前に甲斐くんが「超強豪校なんです! 実はそこが第一志望だったんです」と眩しそうな目で喋っていた学校のものだった。
 話を聞かれているおじいさんはとても明朗で、的確に質問に答え、高校生たちも熱心に相槌を打ちながらノートにメモを取っていた。ああ、あんなふうに話が聞き出せればいいのに……、とため息をついた。
 その時、百坂さんと棟方さんが並んで食堂に入ってきた。棟方さんが椅子に座ると、顧問がすっと寄って行って彼女に挨拶をした。百坂さんを示して「お孫さんと一緒ですか?」と愛想笑いをした。テレビ局のラフな格好をした男も棟方さんを確認してからカメラマンに耳打ちをした。
 おかしいな。図書館の新聞で調べた年齢から計算して、棟方さんは今71歳だから、終戦の時はまだ産まれてないんじゃ? 終戦後しばらくの話が聞きたいのか? そうでなかったら人違い?
 考えを巡らせている間に、高校生たちも棟方さんに挨拶をして、取材が始まった。案の定、高校生たちが聞きたがったのは空襲の話だった。百坂さんは介護士を呼ぼうとしたのか、辺りをキョロキョロしていた。
 高校生たちとテレビ局の取材は前のめりになったまま、棟方さんの話を待っているようだった。棟方さんは無言だった。棟方さんの態度は不気味だった。高校生たちとコミュニケートする必要を全く感じていないかのようなその沈黙ぶりは、向かい合う人の気持ちを虚ろにさせる程だった。高校生たちはたじろいでいた。
 介護士が駆け込んできて、顧問に連絡ミスを謝罪し、一行を案内して退場していった。一連の棟方さんの態度を見て、もう無理かな、と俺も諦めかけた。
 すると、百坂さんが棟方さんの向かいに椅子を出して楽に腰かけた。「困っちゃいましたね。急に自分にとってはどうでもいいようなことを聞かれた」と、百坂さんは言った。

「…………私ね……」

 びっくりして、俺は耳を澄ました。棟方さんが自分から口を開いたのだ。

「料理の仕事がしたかったの。だから家庭科の料理の勉強、楽しみだった。でも、その他に裁縫は嫌いでね、もっと料理の授業がしたいですって言ったらね、お嫁さんになるには裁縫もできなくてはなりませんって言われて。え? 私はお嫁さんになるの? ってびっくりしたの。なんだか悲しくてね。でも、悲しいのは私だけのように感じたのが、もっと悲しかった」

「学校卒業して、お菓子の工場に勤めることになって、その時ね、一人暮らしだからって、断られた人がいたのよ。どうしてって聞いたら、身元がはっきりしている人がいいって言われたんですって。その方が、社員のお嫁さんにするのに安心だから、なんて。私、腹が立った」

「料理も裁縫も頑張ったのに、孫がね、家庭科が苦手なんだけど、娘と一緒に笑ってるの。料理ができなくても裁縫ができなくても買ったり作ってもらったりできるって言って、ずるいって思っちゃった」

 ぽつりぽつり話されたことに、百坂さんは耳を傾けていた。さっきの高校生たちやテレビ局の取材の、前のめりの態度とは違っていた。自分が聞きたいことを聞きたいタイミングで相手が話してくれるという期待が何もない。そのプレッシャーから解放されて、つられて話してしまうような佇まいだった。

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 棟方さんが忘れたのは料理のことではなく、料理にまつわる良い思い出だったのだ。聞き上手な人に巡り合えなかった人が陥りやすいのだが、悪い思い出を反芻することで良い思い出を思い出せなくなってしまうのだ。
 ここまで来たら、あとはもう少し。
 後日、棟方さんの外出を許可してもらい、夏坂さんの車で『中継点CAFE』に一度連れて行った。辺見さんは棟方さんを快く迎えた。辺見さんは『喫茶 中継点』に通っていて、彼女が作っていたナポリタンのファンだった、と告げた。
 
 棟方さんを介護施設に送り届けた帰り、夏坂さんもぽつりぽつりと話を聞かせて来た。

「棟方さんの家庭科の授業の話も、環境は全然違うけど分かるんですよね。男だからってだけで、ちょっとできると目立つし、しかも、親が共働きだから、なんて親に教えられた同級生もいて、しかもそいつ、素朴に信じたんですよ、小学生なんてバカだからしょうがないとは思ってるけど、今思い出しても悔しい。女子でも、いまだに『いいお嫁さんになるね』って言われて嫌だったっていう子もいたし、あと、ちょっと太ってた子がいて、その子も料理できるんですけど、同じ班の子に『ああ、さすがやっぱりできるんだね~』って意地の悪い目と言い方で、」

 百坂さんは耳を傾けていた。夏坂さんは少し興奮していたのに気が付いて、ぼそりと謝った。気を取り直すように瞬きをして、運転に集中した。

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 番組制作部で夕食を取りながら、男はこの前撮影した映像をチェックしていた。とはいえ、これは『特集 高校生、空襲を演じる』の映像ではなく、彼のスマートフォンで隠し撮った別の映像だった。
 介護施設の食堂で、百坂さんと棟方さんが向かい合っている映像だった。男はコンビニ弁当を食べながら、映像を見ていた。

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『中継点CAFE』にナポリタンが復活した。

 パプリカのような真っ赤なウインナーにさいの目に切った玉ねぎとピーマン、コーン、薄切りマッシュルーム、茹で置きした麺をサラダ油で炒め、ケチャップをベースにした甘いソースをしっとりあえる。百坂さんを経由して、棟方さんから教わったレシピ通りに夏坂さんは作って見せ、山田さんも作り方を覚えた。お客さんのところに運ぶ時は、タバスコの瓶と粉チーズも忘れずに、とホールの成田さんたちは声を掛け合った。
 
 人気メニューの復活はタウン誌に取り上げられた。辺見さんが張り切って、従業員たちと、百坂さんも一緒に写真を撮ってもらった。

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