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にあげ話

僕は首が長いが、太くもある。

先日、Yシャツを試着しに行ったら店員さんに
「首だけワンサイズ上ですね」と言われた。

細長いよりは良いのだけど、こういう時に不便だ。

間違いなく、大工をやっていたせいだ。


僕は屈強な男が集まる工事現場で、「アレだけはやりたくねぇなぁ」と言われる仕事をやっていた。




ソーラン節の踊りの中で天に掌を突き上げる動きがある。

大工を始めたての頃、僕はそれと全く同じ動きを7時間繰り返していた。

意味が分からないと思うが、これがマンションを建てるときに必要な仕事なのだ。
下の階に余ったサポと呼ばれる太いパイプを床に空いている穴からもらい、それを天井に空いた穴から一つ上の階に手渡すという、荷揚げと呼ばれる作業である。

しかもソーラン節のほうがまだマシだ。
こちらは15キロのパイプをノンストップで持ち上げているのだから。

しかし、力仕事は慣れである。

その頃の僕はモヤシもモヤシだったけど、最後のほうになると慣れて3本同時に持ってあげていた。

飲み会とかで初対面の人から
「今までどんな仕事をやっていたの?」と聞かれたときに

「30キロの重りを持って7時間ソーラン節を踊る仕事をしてました」

というと大抵食いつかれる。
本当なのだから仕方がない。

しかもなんなら、型枠大工の荷揚げは僕の中ではまだ楽なほうだった。





大工の前にやっていたのは内装屋の荷揚げ。
本日のメインディッシュはこちらでございます。



今考えるとマジでありえない仕事だった。

大工の時は、もちろん組み立ての工程があるから、新人と言えどそちらを手伝う。荷揚げは2週間に2日くらいだ。


僕がその前に勤めていたところは、「荷揚げ専門」の会社。
僕らは通称「荷揚げ屋」と呼ばれ、基本力仕事がメインの現場作業員がドン引きするような仕事をしていた。


部屋の中を仕切る石膏ボード(簡単に言うと、壁)をトラックから建築中のマンションやビルの各部屋に運ぶのだが、なぜか荷揚げ屋の伝統として基本が4枚持ち、背中に背負うと6枚持ちが義務だった。

ボードは1枚15キロ。
しかも、人一人分余裕で隠れてしまうような、大きな壁だ。
最初はめっちゃくちゃ持ちづらい。

新人は2枚で限界も限界だ。


…しかしなんだかんだで人間慣れるもので、最終的には8枚とかを当たり前に持っていた。


今文字にしていて思い出したけど、これは僕の中でも割と自慢できることだった。
だって一切の誇張をしていないもの。



常に100キロ越えのクソデカ壁を、朝から晩までひたすら運ぶ。
本当に朝から晩まで。
時間に間に合わない時は、よくダッシュする。

そんなとき、たまに他の業者さん達から拍手が起きたりもする。

工事現場のベテランの人は、一度くらい石膏ボードを持ったことがあるので如何に重くて持ちづらいかを知っているから。

とはいえ壁に体をくっつけて、顔を真っ赤にして走っているのでリアクションしている余裕はない。

もう症状は出ていないがちゃんと10代でヘルニアになった。




ボードの荷揚げはトップオブ力仕事なので少し特殊だが、力仕事なんてものは本当に慣れで、3ヶ月耐える根性さえあれば誰でもできる。

本当の怪物は12枚を平気な顔して持っていた。
(180キロ)



しかも当時18歳で入社した会社には、150センチ、いや下手したら140センチ台なんじゃないかというくらいのちっこい女の子の先輩が2人いた。

2人ともガリッガリで、別に筋肉質でもなさそうなどこにでもいそうなボーイッシュな女の子だ。

その人達も当たり前にボードを6枚持ちしていて入った当初は眩暈がした。
どこにそんな力があるのか…
(というか何故こんな仕事につくのか)


幸か不幸か、僕はまだまだ世間知らずだったので、「工事現場とはこういうものだ」と割り切って続けた。

そこで毎日ド根性を発揮し続けた結果、のちに続く大工やら人力車やら佐川急便やらの力仕事でさえも、難なくこなせたのである。

履歴書の職歴で会社の横に(荷揚げ屋)と書くと
「これ、何の仕事?水産系?」と言われるので、

「100キロの壁を抱えて走り回る仕事です」

と答えるとこれまた食いつかれる。




僕には変な経歴がたくさんある。
僕が変だからしかたないのか。

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