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言葉が変わると何が変わるだろう?
「日頃使う言葉が少しずつ変わってきた気がする」
そのようなことを思っています。
最近、時間のペースをゆっくり穏やかにして、自分の外側のあわただしい時の流れに流されるのではなく、自分の内側に流れる時の流れに乗るように過ごしています。
すると、不思議とふれたくなる言葉、読みたくなる本、一緒に時間を過ごしたい人、場所も変わってくるのです。
先日、「沈黙」とは「語らずに語ること」であると綴りました
「足るを知る」ということ。〜細く長くゆっくりと呼吸する〜
何か大きな変化の渦の真っ只中にいる時というのは、余白を作り、ゆったりと構える。呼吸を止めないように自分の内側を静かに見つめていると、自然と落ち着きを取り戻してゆくように思います。
「あれもこれも」を手放して、まずは空っぽになると、大切な物事が自然と引き寄せられてゆく。
今日もヨガに取り組みましたが、呼吸が深く入らない日でした。呼吸を入れようと入れようとすると、逆に身体が緊張して呼吸が入らなくな
教育とは「教わり、育つ」ことではないだろうか。 〜使い慣れた言葉を新鮮に感じる〜
「教育とは教わり・育つ」ということなのではないだろうか。
穏やかで爽やかな青空のもと、春の嵐のように吹き荒れる強い風に抗うように必死で歩いていると、ふとなぜか思い浮かんだのです。
教育の考え方は様々あると思いますが、「誰かが誰かに何かを教え、育てる」という一方向的なイメージを描くことが多いのではないでしょうか。ですが一方向な関係性だけではなく、本当は「双方向的で対等な関係性」も含まれているけれ