Makoto Shirasu

「毎日をていねいに暮らす」を大切に。 興味の中心は「生命・自然・調和」。哲学、ア…

Makoto Shirasu

「毎日をていねいに暮らす」を大切に。 興味の中心は「生命・自然・調和」。哲学、アート、デザイン、サイエンス、音楽、ヨガなど幅広く。 総合商社 → AIエンジニア → 事業統括・PM・事業開発・サービスデザイン@startup → 自由に。

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記事一覧

「イメージに囚われない」ということ〜流れとしてのイメージ〜

「イメージは流動的であり、時には手放してしまうほうがよい」 そのようなことを思うわけです。 5月6日(月・祝)のクラシックコンサート本番に向けて練習、調整を進めて…

Makoto Shirasu
5時間前
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詩情と至情 〜"言葉"の響きを通じて橋を架ける〜

『簡素な生き方』という本の中で「詩情」という言葉に出会い、この言葉の佇まい、響きに無性に惹かれました。そして、同音異義語を探してみると「至情」が見つかりました。…

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内観と外観 〜"見ることがすなわち作ることである"という言葉を手掛かりに〜

「見ることがすなわち作ることである」 西田幾多郎(哲学者)による言葉に触れたとき、「あぁ…そうかもしれない」と感じたので、この言葉の奥行きを、自分の経験を踏まえ…

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静と動の円環的調和〜瞑想を考えてみる〜

「瞑想」とは一体どのような状態なのだろう。少しばかりそのようなことに思いを巡らせてみます。 まず「瞑想」という言葉を引いてみると、様々な形態があることがわかりま…

2

「倍音」という概念を拡張する〜基音としての言葉、倍音としての質感〜

「倍音に耳を澄ませる」 この「倍音」という概念は、物理現象としての音(振動)だけではなく、実は「あらゆる物事に拡張できるのではないだろうか」と、ふと思いました。…

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「本来の生き方」とはなんだろう?〜表情のやわらかさを通して〜

「季節の変わり目は身体の調子も変化しやすいように、おそらく人生の節目においても身体が変わってくるのではないか」と思います。 最近は自分に流れる時間の流れを緩める…

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流れが速いと全体に、遅いと細部に意識が向いてくる 〜楽器の運指練習を通して〜

「テンポが上がると全体性に、テンポを緩めると細部に意識が向いてくる」 そのような気付きについて綴ります。 5月6日(月・祝)のクラシックコンサートに向けて練習を続…

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言葉の意味を「体得する」ということ。

「言葉の意味は体得するものなのかもしれない」 そのように思うことが度々あります。 ヨガや楽器の練習に取り組んでいると、「身体の使い方」のイメージをインストラクタ…

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言葉が変わると何が変わるだろう?

「日頃使う言葉が少しずつ変わってきた気がする」 そのようなことを思っています。 最近、時間のペースをゆっくり穏やかにして、自分の外側のあわただしい時の流れに流さ…

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「情的にわかる」ということ

身体というのは本当に不思議なもので、自分で自分の身体をどうやって動かしているのか説明ができないのですが、でも動いている。目や口や鼻、手足指先など、目に見えて意識…

Makoto Shirasu
10日前
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沈黙とは「語ることなく語る」こと。

時折、言葉に詰まってしまうことがあります。決して語る事がないのではありません。語る言葉が見つからないのです。 ふと、「沈黙」とは「語ることなく語る」ことではない…

Makoto Shirasu
11日前
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肯定でも否定でもない〜両否の論理・静観・中庸〜

あれかこれか。白か黒か。 物事を「二項対立」的に捉えることは、日常生活の隅々に根付いているように思います。このように捉えることは「どちらかを選ぶ」いや「どちらか…

Makoto Shirasu
12日前
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言葉との距離を縮めてゆく、ということ。

ふと「もっと適切な言い表し方があるのではないだろうか」と思うことがあります。 「前も同じ事を話したような気がする」とか「同じ事を繰り返し言い続けている」と感じる…

Makoto Shirasu
13日前
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「足るを知る」ということ。〜細く長くゆっくりと呼吸する〜

何か大きな変化の渦の真っ只中にいる時というのは、余白を作り、ゆったりと構える。呼吸を止めないように自分の内側を静かに見つめていると、自然と落ち着きを取り戻してゆ…

Makoto Shirasu
2週間前
5

教育とは「教わり、育つ」ことではないだろうか。 〜使い慣れた言葉を新鮮に感じる〜

「教育とは教わり・育つ」ということなのではないだろうか。 穏やかで爽やかな青空のもと、春の嵐のように吹き荒れる強い風に抗うように必死で歩いていると、ふとなぜか思…

Makoto Shirasu
2週間前
2

「物」を取り囲む環境まで含めて「事物」という。

春。 道端に色とりどりの花が咲きはじめ、外を歩いているだけで気分が和む季節になりました。 晴れの日、曇りの日、雨の日。 いつもの同じ道を歩いて、今日もまた咲いて…

Makoto Shirasu
2週間前
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「イメージに囚われない」ということ〜流れとしてのイメージ〜

「イメージに囚われない」ということ〜流れとしてのイメージ〜

「イメージは流動的であり、時には手放してしまうほうがよい」

そのようなことを思うわけです。

5月6日(月・祝)のクラシックコンサート本番に向けて練習、調整を進めています。「音を奏でる」というとき、その音がいったい何を描き出しているのか。楽譜に記された内容を理解し、イメージを持つことは演奏において大切な支えとなる一方、そのイメージに過度に囚われてしまうと演奏の妨げになるようにも思える。

固定的

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詩情と至情 〜"言葉"の響きを通じて橋を架ける〜

詩情と至情 〜"言葉"の響きを通じて橋を架ける〜

『簡素な生き方』という本の中で「詩情」という言葉に出会い、この言葉の佇まい、響きに無性に惹かれました。そして、同音異義語を探してみると「至情」が見つかりました。それぞれを辞書で引いてみます。

同音異義語、面白いですよね。響きが橋となって、異なる意味の世界を自由に行き来する。詩情と至情。たとえば「詩を作りたくなるような気持ち」と「この上なく深い心」には重なりが感じられます。詩(うた)は生み出すとい

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内観と外観 〜"見ることがすなわち作ることである"という言葉を手掛かりに〜

内観と外観 〜"見ることがすなわち作ることである"という言葉を手掛かりに〜

「見ることがすなわち作ることである」

西田幾多郎(哲学者)による言葉に触れたとき、「あぁ…そうかもしれない」と感じたので、この言葉の奥行きを、自分の経験を踏まえて探ってみたいと思います。そして、「見る」とはどういうことなのか、ということも。

ヨガに取り組んでいる時の自分の身体を思い浮かべてみると、西田氏の言葉にある「見る」とは、「内観」と「外観」が共時的に調和している状態ではないかと思えます。

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静と動の円環的調和〜瞑想を考えてみる〜

静と動の円環的調和〜瞑想を考えてみる〜

「瞑想」とは一体どのような状態なのだろう。少しばかりそのようなことに思いを巡らせてみます。

まず「瞑想」という言葉を引いてみると、様々な形態があることがわかります。

上記の説明も参照しながら思うのは、瞑想の核心にあるのは「つながる」ということではないかと思うのです。つながる先は様々ではあるものの、まず何より「自分自身とつながる」ということではないか、と。

先日、ヨガのレッスンを受けた後、イン

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「倍音」という概念を拡張する〜基音としての言葉、倍音としての質感〜

「倍音」という概念を拡張する〜基音としての言葉、倍音としての質感〜

「倍音に耳を澄ませる」

この「倍音」という概念は、物理現象としての音(振動)だけではなく、実は「あらゆる物事に拡張できるのではないだろうか」と、ふと思いました。

詳細は解説動画を参照して頂ければと思いますが、基音は「実際に鳴らした音」で、倍音は「(実際に鳴らしたわけではないけれど)基音に共鳴して鳴る音」です。

楽器の文脈で言えば、倍音は楽器の種類や音域(音の高低)、演奏方法などによって含まれ

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「本来の生き方」とはなんだろう?〜表情のやわらかさを通して〜

「本来の生き方」とはなんだろう?〜表情のやわらかさを通して〜

「季節の変わり目は身体の調子も変化しやすいように、おそらく人生の節目においても身体が変わってくるのではないか」と思います。

最近は自分に流れる時間の流れを緩めるように生活をしていますが、ヨガのインストラクターの方から「表情がやわらかくなりましたね」とのお言葉を頂きました。時の流れが自分にあっているというよりも本来的な自分に戻ってきているような感じです。

自分のことは案外自分が一番よくわかってい

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流れが速いと全体に、遅いと細部に意識が向いてくる 〜楽器の運指練習を通して〜

流れが速いと全体に、遅いと細部に意識が向いてくる 〜楽器の運指練習を通して〜

「テンポが上がると全体性に、テンポを緩めると細部に意識が向いてくる」

そのような気付きについて綴ります。

5月6日(月・祝)のクラシックコンサートに向けて練習を続けていますが、偉大な作曲家であるグスタフ=マーラーの大作「交響曲第5番 嬰ハ短調」をサクソフォンオーケストラで演奏する機会は大変貴重です(おそらく世界初だと思います)。

全体を通すと70分超と集中力を要する上、技巧的にも大変難しい曲

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言葉の意味を「体得する」ということ。

言葉の意味を「体得する」ということ。

「言葉の意味は体得するものなのかもしれない」

そのように思うことが度々あります。

ヨガや楽器の練習に取り組んでいると、「身体の使い方」のイメージをインストラクターの方が言葉や動作のデモンストレーションを交えて伝えて下さいます。

身体の動かす「部位(What)」を指定する。そして、その部位の「動かし方(How)」を伝える。「リラックスして〜」とか「足から先に〜」など、フレーズをつなげながら、動

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言葉が変わると何が変わるだろう?

言葉が変わると何が変わるだろう?

「日頃使う言葉が少しずつ変わってきた気がする」

そのようなことを思っています。

最近、時間のペースをゆっくり穏やかにして、自分の外側のあわただしい時の流れに流されるのではなく、自分の内側に流れる時の流れに乗るように過ごしています。

すると、不思議とふれたくなる言葉、読みたくなる本、一緒に時間を過ごしたい人、場所も変わってくるのです。

先日、「沈黙」とは「語らずに語ること」であると綴りました

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「情的にわかる」ということ

「情的にわかる」ということ

身体というのは本当に不思議なもので、自分で自分の身体をどうやって動かしているのか説明ができないのですが、でも動いている。目や口や鼻、手足指先など、目に見えて意識の届く範囲ならまだしも、身体の内側はまったくもって、どうやって動いているのかわかりません。けれども、生命を支える数多の働きが、自分の意識の外で調和しながら進んでいる。本当に不思議なものです。

毎日ストレッチをしても、朝起きて目が覚めたら元

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沈黙とは「語ることなく語る」こと。

沈黙とは「語ることなく語る」こと。

時折、言葉に詰まってしまうことがあります。決して語る事がないのではありません。語る言葉が見つからないのです。

ふと、「沈黙」とは「語ることなく語る」ことではないだろうか。そのようなことを思うわけです。

そして「語ることなく語る」ことは、生物も無生物も関係ない。身のまわりには、語ることなく語っている物事にあふれています。

例えば、日常的に使っているものの様子の変化。靴の踵のすり減り、食器の輝き

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肯定でも否定でもない〜両否の論理・静観・中庸〜

肯定でも否定でもない〜両否の論理・静観・中庸〜

あれかこれか。白か黒か。

物事を「二項対立」的に捉えることは、日常生活の隅々に根付いているように思います。このように捉えることは「どちらかを選ぶ」いや「どちらかを選ばざるをえない」構造や力学を生み出して、ある意味では「割り切る」というか、何かしらの形での状況の打破をもたらすわけです。

ですが、時にそれは「無理」を生み出すことにもなるのではないか、と思うわけです。本来は割り切れない物事でも割り切

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言葉との距離を縮めてゆく、ということ。

言葉との距離を縮めてゆく、ということ。

ふと「もっと適切な言い表し方があるのではないだろうか」と思うことがあります。

「前も同じ事を話したような気がする」とか「同じ事を繰り返し言い続けている」と感じる時、おそらくその物事は自分にとって何か大切な引っ掛かりがあるのですが、同じ言い回しを続けていると単調に感じてしまうのです。

はっきりとは姿の見えない「大事な何か」を中心軸として、周回軌道する衛星のように眺めてみたい。物事の眺め方というの

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「足るを知る」ということ。〜細く長くゆっくりと呼吸する〜

「足るを知る」ということ。〜細く長くゆっくりと呼吸する〜

何か大きな変化の渦の真っ只中にいる時というのは、余白を作り、ゆったりと構える。呼吸を止めないように自分の内側を静かに見つめていると、自然と落ち着きを取り戻してゆくように思います。

「あれもこれも」を手放して、まずは空っぽになると、大切な物事が自然と引き寄せられてゆく。

今日もヨガに取り組みましたが、呼吸が深く入らない日でした。呼吸を入れようと入れようとすると、逆に身体が緊張して呼吸が入らなくな

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教育とは「教わり、育つ」ことではないだろうか。 〜使い慣れた言葉を新鮮に感じる〜

教育とは「教わり、育つ」ことではないだろうか。 〜使い慣れた言葉を新鮮に感じる〜

「教育とは教わり・育つ」ということなのではないだろうか。

穏やかで爽やかな青空のもと、春の嵐のように吹き荒れる強い風に抗うように必死で歩いていると、ふとなぜか思い浮かんだのです。

教育の考え方は様々あると思いますが、「誰かが誰かに何かを教え、育てる」という一方向的なイメージを描くことが多いのではないでしょうか。ですが一方向な関係性だけではなく、本当は「双方向的で対等な関係性」も含まれているけれ

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「物」を取り囲む環境まで含めて「事物」という。

「物」を取り囲む環境まで含めて「事物」という。

春。

道端に色とりどりの花が咲きはじめ、外を歩いているだけで気分が和む季節になりました。

晴れの日、曇りの日、雨の日。

いつもの同じ道を歩いて、今日もまた咲いている花をじっと眺めていると、降り注ぐ光の明るさによって、花々の鮮やかさ、印象は変わってくることに気がつきます。

風のそよぎ方によっても印象は変わってきます。

風の強い日、やわらかな風がそよぐ日、無風の日。

風の強い日はじっと耐え

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