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フランス・パリで留学していた中での色々な経験とあと少し私自身のことについて。フェミニス…

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フランス・パリで留学していた中での色々な経験とあと少し私自身のことについて。フェミニスト。she/her。好きなもの:読書、フランス語、色々な人に出会うこと。考えること、書くこと。

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  • フランス紀行

    フランスで見聞きしたものごと。

記事一覧

私が生きやすい社会は、自動的に発生するものではない。作り上げていくものなのだ。

ロラン・バルトが日本へ訪れたときの考察を記した「表徴の帝国」を発表したのは1970年、今から約50年も前である。およそ、半世紀。 バルトがかつて描いたその帝国は、今終…

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5年前
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宗教的実践としての言語習得

言語習得の過程は、宗教に似ているのではないか、とふと閃いた。 言語習得において、その究極の目的はネイティブスピーカーのように話すことであるだろう。しかし、非ネイ…

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5年前

あえて言葉で表現しようとしないこと

何かを言葉で表現するということは、現実世界から何かしらの情報を失っているということでもある。言語を用いて何かを抽象化するというのは、情報の消失に他ならない。詳細…

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5年前

仕合わせ

前回のノートに、幸せになろうとしなくてもいい、と書いたばかりだけれど、やっぱり、幸せは素敵なものだ。 昨日と今日で、ちょうど平成と令和のあいだで、色々なことがあ…

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5年前

幸せになろうとしなくたっていい

人生は、幸せに過ごしてなんぼだと思っていた。物事の一つ一つを分析し、批判し、ネガティブに捉えがちな私の認知の偏りは、時に、幸せに生きるべき、という考えとの乖離を…

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5年前
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卒業生の会

今日は、私がフランスで所属している大学の自然言語処理コースの卒業生の会であった。7人の先輩方がそれぞれ今何をしているか、について語ってくれ、タダメシが食べられて…

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5年前
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大学教育における文化の差

今日提出の課題があって、寝落ちてしまってnote更新し忘れた! 今日は久々に日本の大学の教授とスカイプして、(卒論ゼミの第一回)やっぱり私は日本の自分の大学が好きだ…

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5年前
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日常が映画のワンシーンになる

パリという街に暮らしていると、ときどきまるで私が映画を見ているのではないかと感じる出来事が起きたりする。 平日のお昼間、バスに乗っていた。すると急に、ハイヒール…

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5年前
3

[悲報]いい人≠信用できる人

悲報ってか、今更なのか。最近、なんかふっと降りてきたんだけれど、(多分、3月の出来事が昇華され始めている証拠だと思う)、信用できる人と、いい人との間に相関関係は…

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5年前
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講義、最終週にて。

私があんまり好きではない教授の最後の授業で、先生が話したことで、少し心に残ったこと。 私たちは、その目的に応じて、異なる物事の切り方をする。 私たちはテーブルを…

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5年前
1

混沌の中に秩序を見いだすこと

混沌の中に秩序を見出すこと。 ランダムに見えるものごとの中に、ある一定の法則を見つけること。 自分の経験と他人の経験とに共通な何かを見つけて、一般化すること。 一…

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5年前
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サンマロ小旅行

友達とサンマロへ。街並みと海が美しい素敵な場所だった。バターにシードルにクレープに魚介に、食べ物も美味しいところだった。パリにいるときと比べると穏やかな気持ちに…

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5年前

自分の成長を感じたとき

フランスに来てすぐ、フランス語で授業を受けはじめて、言語のせいでわからないところが出てくると、そこから急に理解しようという意識を失って「ネイティブじゃないしわか…

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5年前
2

自分が何をすべきかわからないということ

まんまだ。自分が何をすべきかわからないと思うというのは、いったいどういうことなんだろうか。自分が何をすべきかについて考える、それは大切なことだ。ただ、それについ…

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5年前
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少々の波風は乗り越えられるようになってきたらしい

本日は、朝から配属希望先のひとつの先生とスカイプ面談。情報系の分野なのだけれど、理論と応用のどの辺を行くべきなのか、とか、自分にとっての研究していく中で自由と制…

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5年前
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「c'est la vie」というフレーズが嫌いになった話し。

結局私は、問題のあいつと話した。イさんの語るフェミニズムと何よりもこれ以上その「呑気さ」や「無意識」によって傷つけられる人を増やすわけにはいかないという使命感を…

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5年前
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私が生きやすい社会は、自動的に発生するものではない。作り上げていくものなのだ。

ロラン・バルトが日本へ訪れたときの考察を記した「表徴の帝国」を発表したのは1970年、今から約50年も前である。およそ、半世紀。

バルトがかつて描いたその帝国は、今終焉を迎えつつあると言わざるを得ないであろう。帝国は、いつかは滅びるものである。バルトがそのことを思って帝国と名付けたのかどうかは知る由もないが、もしこの社会システムの崩壊を見据えていたとすれば慧眼だと言えよう。

ただし、恐れること

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宗教的実践としての言語習得

言語習得の過程は、宗教に似ているのではないか、とふと閃いた。

言語習得において、その究極の目的はネイティブスピーカーのように話すことであるだろう。しかし、非ネイティブスピーカーはいかに努力を積み重ねようとも、ネイティブスピーカーになることはできない。これは、言語を学習する人にとって大いなる悲報である。が一方、ゴールが何であるかはっきりしているという点では幸運ではないだろうか。

そして、非ネイテ

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あえて言葉で表現しようとしないこと

何かを言葉で表現するということは、現実世界から何かしらの情報を失っているということでもある。言語を用いて何かを抽象化するというのは、情報の消失に他ならない。詳細部分の情報の消失。

という訳で、言葉で表すことによって少しでも失われてしまう情報があるがゆえに、言葉にするのを躊躇うことを覚えた。

例えば、愛している、という言葉。

愛している、と言ってしまえるのは、その体験が自分にとっての既存の枠組

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仕合わせ

前回のノートに、幸せになろうとしなくてもいい、と書いたばかりだけれど、やっぱり、幸せは素敵なものだ。

昨日と今日で、ちょうど平成と令和のあいだで、色々なことがあって、本当に色々なことがあって、平成の終わりにあったゴタゴタを、平成に置いて来られた気がするのだ。令和の始まりは、これ以上ない幸福とともに始まって、私は、なぜこのような仕合わせが可能なのかと、これまた私の人生の意味を考えざるを得なかった。

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幸せになろうとしなくたっていい

人生は、幸せに過ごしてなんぼだと思っていた。物事の一つ一つを分析し、批判し、ネガティブに捉えがちな私の認知の偏りは、時に、幸せに生きるべき、という考えとの乖離をもたらし、私を絶望におとしめることさえあった。

私の尊敬する作家に、上橋菜穂子さん、という人類学博士がいる。昨日、ちょっとしたきっかけで、彼女の新作が発売されていることに気がつき一気に読んでしまった。その後、彼女と聖路加の先生との往復書簡

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卒業生の会

今日は、私がフランスで所属している大学の自然言語処理コースの卒業生の会であった。7人の先輩方がそれぞれ今何をしているか、について語ってくれ、タダメシが食べられて無料というなんともコスパの良いイベントだった。運営陣は知り合いばかりだったので、最後片付けのお手伝いなどしたのだが、運営陣には本当に感謝でいっぱいである。

私自身、日本の大学で国際学会の運営でケータリングやら登壇者とのメールのやりとりだと

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大学教育における文化の差

今日提出の課題があって、寝落ちてしまってnote更新し忘れた!

今日は久々に日本の大学の教授とスカイプして、(卒論ゼミの第一回)やっぱり私は日本の自分の大学が好きだなあ〜と思ったよね。

まあ、先生時間割間違えたりするけどさ。生徒のために内容をきちんとオーガナイズしてくれるところとか、あと、少人数だからすぐ「how do you think?」って質問が飛んでくる。やっぱりそういうのがあった方が

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日常が映画のワンシーンになる

パリという街に暮らしていると、ときどきまるで私が映画を見ているのではないかと感じる出来事が起きたりする。

平日のお昼間、バスに乗っていた。すると急に、ハイヒールを履いた上品なマダムが席から飛び上がり、トラ柄のポシェットを取るのも忘れ、運転手に向かって行って何かを叫び始めたのだ。

「止めて!降り忘れたわ!このクソ!ありえない!そんなのないわ!クソ!大事なミーティングなのよ!止めて!頼むからお願い

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[悲報]いい人≠信用できる人

悲報ってか、今更なのか。最近、なんかふっと降りてきたんだけれど、(多分、3月の出来事が昇華され始めている証拠だと思う)、信用できる人と、いい人との間に相関関係はないと思った方が良い。「あの人は信用できるけど」に続くことよりも、「あの人はいい人だけど」の後に続くことの方がネガティブじゃないだろうか?

人を信用する、と言ったときの自分の判断基準はなんだろうかと考えるとき、一番わかりやすいことには「約

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講義、最終週にて。

私があんまり好きではない教授の最後の授業で、先生が話したことで、少し心に残ったこと。

私たちは、その目的に応じて、異なる物事の切り方をする。

私たちはテーブルを描写するのに、何が重要かに応じて、何を描写するのかを変化させる。テーブルの上にあるチョークについて話すか、それとも、テーブルの色について話すか。テーブルがなぜ立っているのか、もしくはこのテーブルが必要なのかどうか。

私たちの語る世界は

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混沌の中に秩序を見いだすこと

混沌の中に秩序を見出すこと。
ランダムに見えるものごとの中に、ある一定の法則を見つけること。
自分の経験と他人の経験とに共通な何かを見つけて、一般化すること。
一方で、抽象的な文章を現実に落とし込んでみることで、その抽象性の妥当性を確かめること。

今日、友達以上恋人未満の気の合う友達と話していて、ふとした瞬間に、私が何をしたいのかが”見えた”瞬間があったのだった。それは上のようなこと。私は、この

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サンマロ小旅行

友達とサンマロへ。街並みと海が美しい素敵な場所だった。バターにシードルにクレープに魚介に、食べ物も美味しいところだった。パリにいるときと比べると穏やかな気持ちになったのけれど、同時になんだかちょっと感傷的な気分にもなって驚いた。

それはこの街の辿ってきた歴史が関係しているのかもしれなくて、海賊のいる場所だったり、世界大戦で焼かれた場所だったりと、色々と争いだったり、死だったりのイメージがあるから

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自分の成長を感じたとき

フランスに来てすぐ、フランス語で授業を受けはじめて、言語のせいでわからないところが出てくると、そこから急に理解しようという意識を失って「ネイティブじゃないしわかんないのしょうがないよね〜」とか「それでもまあテスト半分取れたしいいんじゃない」とか思って自分を守ってた。そして、それはそれで一つの在り方だと思う。ストレスにあふれた新生活で、自分の身を守るための自己防衛本能に基づくものだったのだろう。

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自分が何をすべきかわからないということ

まんまだ。自分が何をすべきかわからないと思うというのは、いったいどういうことなんだろうか。自分が何をすべきかについて考える、それは大切なことだ。ただ、それについて考えすぎてもいけない。それについて考える時間が長いと、つまりは自分の存在価値について考えすぎるということで、その結末の1つのバージョンとしては抗不安剤服用だし、別のバージョンとしてはブラック企業だし。どちらにしてもロクなことにはならない。

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少々の波風は乗り越えられるようになってきたらしい

本日は、朝から配属希望先のひとつの先生とスカイプ面談。情報系の分野なのだけれど、理論と応用のどの辺を行くべきなのか、とか、自分にとっての研究していく中で自由と制限との間の理想のバランスとは、とか、考えている。自分が何ができて、何をしているときが一番力を発揮できるか、とかそういったことを知らないことにはわかるものもわからないな、という感じ。

将来どうしたいかにもよるのは間違い無いんだけれど、将来な

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「c'est la vie」というフレーズが嫌いになった話し。

結局私は、問題のあいつと話した。イさんの語るフェミニズムと何よりもこれ以上その「呑気さ」や「無意識」によって傷つけられる人を増やすわけにはいかないという使命感を抱いて、話しにいった。

あいつはどこまでも空気の読めない男だった。今回、私が話したいと言ったときも、まさか話題がフェミニズムになることなど想像もせずにホイホイとやってきた。私は「あなたには私の誘いを断る権利があるのよ」と忠告したのにもかか

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