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文化勲章のデザイン「橘」について 永遠性の象徴と追想、回想のよすが

2018年度の文化勲章受章者5人と文化功労賞20人が発表された。文化勲章は11月3日文化の日に皇居で親授式が行われる。

この文化勲章には白い五弁の橘の花が、ちゅう(金偏に丑:紐と勲章をつなぐ金具)には橘の葉と実が配されている。写真はこちらから(内閣府サイト「勲章の種類(文化勲章)」)

内閣府のサイトの解説にもあるように、常緑樹の橘は、京都御所の紫宸殿(ししんでん)の南庭に植えられ、「右近の橘」と称され、日本の古典文学にも数多く登場する。

実は「橘」とは、柑橘類の総称をいうようで、主に日本原生のニッポンタチバナ(ヤマトタチバナ)と中国系のキシュウミカンをさす(注1)。


『古事記』『日本書紀』では、垂仁天皇の命によって、田道間守(たじまもり)が「ときじくのかくの木実(このみ)」を常世国(とこよのくに)まで探し行くという物語がある。その実を手に入れてもどってきたときには、天皇はすでになく、田道間守(たじまもり)は悲しみのあまり、その実を天皇の陵(みささぎ)に捧げて果てる。その実が今の橘だという。

「ときじくのかくの木実(このみ)」とは、「時を定めず常に輝く木の実」という意味で、古代の人々は、どんな季節でも青々としている橘の生命力に、不老不死や永遠性を見出していた。

また、橘は初夏のころには白い五弁の花を咲かせる。柑橘系特有の甘くすっきりした芳香を放つことから、「五月待つ花橘の香をかげば、昔の人の袖の香ぞする」という和歌が『古今和歌集』『伊勢物語』に登場する。

五月を待つ橘の花の香りをかぐと、昔恋した人の袖の香りがする、という意味なのだが、この香りから過去を連想するというモチーフが引き継がれ、『源氏物語』では追想、回想のよすがとして橘が使われる。

古代では、優れた文化者や学者が輩出した時代は、それを統治した天皇の徳によってもたらされたと考えられ、平和で文化が興隆した御世は「聖代」として尊ばれた。光源氏の父桐壺帝がなくなったのち、その御世が「聖代」として回想される場面で、橘が和歌に詠み込まれる。

文化勲章も文化功労賞も国内外において文化に貢献してきた人々に対して授与されるものだが、文化功労賞とは違って、文化勲章は天皇から直接手渡される。

「橘」がそのデザインに使われるということは、いにしえの「聖代」の御世を回想、追想することをとおして、現在の御世が平和で文化栄えたものであり、永遠であれという願いが込められていると思われる。

ちなみに、文化勲章令が制定された昭和12年当時、長く宮内省を担当した記者によると、勲章のデザインには当初「桜」が検討されていたが、昭和天皇が、「桜」は「武」を表すことに使われるので、「文」の文化勲章には「橘」を用いたらどうかとおっしゃったという。おそらく昭和天皇は、古来「橘」に込めらたこのような意味を踏まえられたのではないか、と記者は推察している(注2)。


今年は現在の天皇が親授する最後の文化勲章。平成の30年は未曾有の経済不況や災害に見舞われ、昭和とはまた別の困難を伴うものであったが、私自身、20代、30代、40代と人生で最も精力的に動ける年代を過ごした時期でもあり、文化栄えた平成の御世に生きられたことに感謝している。

これから冬に向かうこの季節では、橘の芳香をかぐことはかなわないけれども、ちょうど来年の5月、新たな天皇が誕生する。そのときにはその御世を寿ぐように、橘の白い花が咲き、芳香を放つことだろう。



注1:『國文學 古典文学植物誌』(學鐙社2002年2月)「橘(たちばな)」58ページ

注2:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「文化勲章」の「意匠案と昭和天皇との関係」



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