嫌われる勇気 について

近年、身の回りでも個人で動きたいという考えの人やプライベートな配信をしている人を見かけることが増えてきました。

自分探しをする人が以前より増えてきているのかな?と感じています。

そんな最中、私の中で
自分の軸を持ちながら生きていくために特に使い方を間違えてはいけないと思っているのは「嫌われる勇気」についてです。

一時期、有名なインフルエンサーの方がこういう言葉や本を取り上げて話題に上がっていた気がしますが

嫌われる勇気とは、

「どんな状況でも、
本能的な心配事も乗り越えて
その人にとって軸となる信念を持ち続けられるか」

が本質であり、
そのようなものを持たずに嫌われる勇気を持つというのは、
本当に ただ嫌われる人 になってしまうと思います。
(攻撃的、自分勝手など)

また、

これは絶対あってはならない。
これは許せない。

等、正義や信念はあって良いのですが
それを使ってわざわざ人を攻撃するものでもないと思いますので

そのような合わないものがあるときは
尊重してスルーする、
「あえて近づかない」がベストであると考えています。

これは逃げることや無関心とは違います。
存在を認めた上で、でも自分が行きたいのはこっちなんだ。と移動する ことです。

私の場合でも
勿論人間なので、相手に対して「何言ってるんだこの人?」と思うことはありますし、
出来事に対して「これはおかしい。」と思うこともあります。

しかし、それを感じるだけ感じたら、そこから収穫するべきものだけを探して、
あとは近づかないという結論に至ることが多いです。
(かつて病んだとき、嫌だと感じること=悪いこと、ネガティブで駄目なこと と思い込んで、失敗したことがありました。)

尊重することとは、
自分の気持ちに蓋をして相手に合わせるのではありません。

嫌だと思ったときこそ、

何故嫌だと思うのか
→何を感じて嫌と思ったのか
→これから自分はどうするか

このようか整理を続けていくことで自然と
不要なものを無理に入れず上手くスルーして、
最終的には尊重することができるようになると思います。

(何が必要か明確に分かった上での買い物ほど、
目的以外のものはそこまで視界に入らなくなると思いますが、それに似ています。)

協調性を「同調」と間違えると、自分という内側を潰すことになりますが
嫌われる勇気 は、使い方を間違えると外側に敵を作ってしまうと感じましたので

上手くやっていく方法がないものか と考えた
独り言でした。

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