みれな|おやこで育む自己肯定感

わたしもわが子も大丈夫。そのままに あんしんできる自分を優しくふかく見つけていこう。

みれな|おやこで育む自己肯定感

わたしもわが子も大丈夫。そのままに あんしんできる自分を優しくふかく見つけていこう。

マガジン

  • 子どもが安心できるかかわり。

    子どもとともに生きる大人として、一番たいせつにしたいことは “ 子どもの安心 ” 。 「そのままの自分で、ここにいていい。」自分の存在に安心して、たいせつないのちが育まれますように。

  • おやこで育む自己肯定感

    愛するわが子を社会に送り出すとき、その手にもっていてほしいものはなんだろう。 『わたしもわが子も、大丈夫。』そのままに安心できる自分を、優しく見つけていこう。

  • ママが心地よくあるために。

    ついつい子ども優先になってしまう、わたしたちママ。 でも、子どもと心地よく過ごすためには、まずママが心地よいことが大前提ってこと、忘れずにいたいなぁと思うのです。

最近の記事

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【Self love kids®︎】 おやこで心のねっこを育む講座

『 わたしもわが子も大丈夫。』 そのままにあんしんできる自分を 優しくふかくみつけていこう。 🚩オンライン4days講座 わが子を厳しく叱ったあと ふと自分を責めてしまう。 わが子が困らないように 人に愛されるように そう思って育てているのに。 愛するわが子を 社会に送りだす そのとき。 わたしたちは 隣で守りつづけることも 代わりにわが子の人生を 歩むこともできない。 それなら わたしたちママが 今できることはなんだろう。 こころのまん中に たお

    • 4月から環境が変わるわが子へ。

      入園や入学をひかえたわが子に、わたしたちママや 周りの大人たちがつい言いたくなる言葉がある。 『幼稚園たのしみだね』 『もうすぐ小学生だね』 半分は大人のウキウキした気持ち、 半分は子どもにはっぱをかけるような気持ちで。 でも、言わない。 『ママは自分に何を期待してる?』 『自分はそれに応えられる?』 そんなふうに子どもの人生に 多めの荷物を背負わせること、 わたしたちには簡単にできちゃうから。 大事なのは、新しい世界に歩きだしていくわが子が 転んでも、たちあがっ

      • おやこで心のねっこを育もう。 【5月21日(火)イベント 親と子のつどいの広場 Licoにて】

        『おやこで心のねっこを育もう。』 「そのままのわたしが、 生きているだけですばらしい。」 それが心のねっこ、自己肯定感です。 イベントでは、 【Self love kids®︎】おやこで育む自己肯定感 4days 本講座より抜粋し 心をこめてお届けします。 わが子の寝顔を見ながら ふと自分を責めてしまう。 今日のわたしの ことばや表情は わが子のこころに 何を残しただろうか。 愛するわが子を 社会に送りだす そのとき。 わたしたちは 隣で守りつづけることも

        • ひとは、自分がしてもらったことしかできない。

          わが子に優しくできないときも まわりの人に求めたくなるときも ⁡ いつもいつでも 『わたしに優しくしてほしい』が 心の奥のほうにあるのだと思います。 ⁡ でね、それが叶わないと ⁡ 「わが子に優しくしたい」とか 「パパと仲良くいたい」とかはできない。 ⁡ じゃあ誰がわたしに優しくしてくれるの?って言ったら それはきっと、わたししかいない。 ⁡ 他の誰かがしてくれることもあるけど 「求めているのはこれじゃない」とか 「もっとこうしてほしい」とか 無理な要求はつきないから ⁡

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        マガジン

        • おやこで育む自己肯定感
          13本
        • 子どもが安心できるかかわり。
          5本
        • ママが心地よくあるために。
          13本

        記事

          自己肯定感の育みをつたえる理由。

          わが子が生まれてきてくれて、しあわせで大切で。 「このためにわたしがいたのかも」 なんて思えるくらいの感動を胸に抱いたはずなのに。 気がついたら、子どもと生きることは 『しんどい今をどう乗り切るか』になっていた。 こうすればいい。 誰かの話す明確な答えに心が揺さぶられて 「わたしはうまくできない。」 「ダメなママかもしれない。」 自分にがっかりして、 少しずつわたしがわたしを嫌いになっていく。  ママ、あなたが悪いんじゃない。 あなたが苦しくなるだけの理由があって、

          自己肯定感の育みをつたえる理由。

          わがままに見える子どものすがた。

          2歳8ヶ月。 今日の息子は「ここで納豆ご飯が食べたい!」と 泣いて暴れたのち、ソファーから落ちました。笑 「ソファーはベタベタが落ちないから 椅子で食べてほしいよ。」という 母の心からの願いはゴタゴタの中で流され、 結局ソファーで納豆を食べる息子。 だから、イヤイヤ期ってやつは…って 途方にくれるときもある。 わがままに見えるわが子の姿に、 ため息つきたくなる日もある。 「納豆ご飯をソファーで食べたい。」 そう言い張る姿は、わたしたち大人から見ると わがままに見え

          わがままに見える子どものすがた。

          伝えてよかったんだね。

          ごはんでベタベタした手でふれられるのが すごく苦手なんだなぁってやっと認められた。 保育士もしてて、ママにもなって、 息子をいつでも受けとめたいという理想もあって。 だからいつもイライラしながら 『やめて』ってひとことでごまかしていた。 でも、今朝はなんだか 「わたし本当に苦手なんだと思う。」って 自分で気持ちを受けとめてあげて あなたがだいすき。だけど ベタベタの手でさわられるのは苦手。 2歳の息子に、言葉とこころをつくして伝えたら 「ママはベタベタでさわるのが嫌

          小言を一切やめる、と決めた朝。

          息子の口から りんごが出た。 横向きに座って、口いっぱいにほおばっていた。 「前を向いて座ってね」 「一口ずつゆっくりね」 無意識に出かかったことば。 でも、のみこんだ。 この先、それを言ってくれる人はたくさんいるから。 わたしたちは先生でも厳しい世間の目でもない。 この子を産んで、今のところきっと この子のことを世界で一番愛している人。 そんな存在から わが子に贈れるのは 小さな注意や叱責ではなく 『あなたを見ているよ、安心してね』の目、だと思う。 いつからでも、

          小言を一切やめる、と決めた朝。

          ママだからしてはいけないこと。ってある?

          ちょっと前のわたしには、思い浮かぶことがたくさんあった。 スマホを見ながら返事をすること。 ぼーっとするために子どもを預けること。 子どもの食事より自分の食事を優先すること。 わが子が生まれたばかりの頃は もっともっとあった。 3時間たつまでは絶対に授乳をしない。 赤ちゃんが起きたら自分もからだを起こす。 朝起きたらすぐに服を着替えさせ、全身にクリームをぬる。 文字にしてみると、ガチガチでこわいくらい。 でも、きっとみんなそれぞれ 『わたしのフィルター』を持っていて

          ママだからしてはいけないこと。ってある?

          子育てには罪悪感がつきもの。

          自分の子がスーパーで走り回って 大きな声で名前を呼んだり 叱りつけたくなったりする日がくるなんて 赤ちゃんの頃は思ってもみなかった。 道端で泣き叫んで 周りの人から 白い目で見られてるんじゃないかって いたたまれない気持ちになるなんて 味わいたい感情じゃなかった。 それでも 『大事にするところ』は決めてます。 わたしをイライラさせるような 行動をしているわが子に問題があるわけじゃない。 わが子にイライラするような わたしに問題があるわけじゃない。 ただ、 『疲れ

          子育てには罪悪感がつきもの。

          手を離さなきゃいけないのは、ママのほうなんだね。⁡

          ひとりじめしたいくらい、 大好きでたいせつなわが子。 (離れたい、と思う日もあるけれども。) ⁡ ⁡だからこそ、わが子の分の悩みや不安まで 一緒に背負い込んでしまうわたしたち。 ふと周りを見回すと、物理的にはひとり(ワンオペ)でも 息子の世界には、パパもいてばあばもじいじも。 これからはお友達だって増えていく。 新しい世界をぐんぐん広げている子どもたちの 手を離さなきゃいけないのは きっと、ママのほうなんだね。 ⁡ ⁡手を離すって、放り出すことじゃない。 『わが子なら

          手を離さなきゃいけないのは、ママのほうなんだね。⁡

          イライラの、もとのもと。

          ⁡あぁ、またイライラしてる。 また子どもにあたってる。 わたしって、なんでこうなんだろう。 落ち込んで反省して 寝顔に謝ったこと、 きっと一度はあるんじゃないかな。 そんなとき 自分にかける言葉は 「なんでそんなにイライラしてるの?」 「なんで子どもにあたってるの?」 「わたしって最低。」 ちょっと冷たい目をして、冷たい声で言い放つ。 ひとり反省会をするけれど 次の日にはまたカッとなって、自分の中の黒いものを 爆発させてしまう。 そんな循環に違和感があって 子育て

          イライラの、もとのもと。

          ママの自己肯定感が下がるのなんて、簡単。

          お尻拭きの在庫がきれた。 気づいたら、あと2袋になっていて 「あ、頼まなきゃ。」って思っていたのに 気づいたら最後のひと袋を半分使い終わってる。 さすがに間に合わないかなぁと思いながら ポチッとしたら「明日届けますよ〜」って お知らせメール。(そんな言い方はしてない。) 「お尻拭きの在庫も管理できないなんて、ダメなわたし。」って無駄に自己肯定感を下げずにすんで 今の時代に感謝。運んでくれる方に感謝。 同時に思う。 ママの自己肯定感って、こんなふうに簡単に 下がるきっ

          ママの自己肯定感が下がるのなんて、簡単。

          欠点は、空欄で。

          日本人だから、聞かれた質問には答えたいし 空欄があったら埋めたい。 そんな気持ちで書いていた、息子の幼稚園に出す 『家庭生活調査票』。 そこにあった 「家庭での様子、良い点となおしたい点」の欄。 3つずつ点がうってあってね。 良い点は吟味したし、 なおしたい点は空欄で出してやりました。笑 親バカだって思われるかな、とか いやいや直すところたくさんあるだろって 思われるかな、とか そんなのは、どうでもいいこと。 大切なのは 『わたしが息子に安心している』ことなんだ。

          あ〜〜〜ひとりになりたい!!

          1時間でもいい。 ⁡ 昼寝の隙間に、いつ起きるかそわそわしながらじゃなく わが子とべつの場所でほっっとひと息つきたい。 ⁡ ママは、わが子が生まれてきてから いったい何年これを思うのでしょう。 ⁡ 1年? 2年? 3年? いや、集団生活に入ったって 夏休みのたびに、ぎゅっと密着の時間はある。 ⁡ じゃあ、10年? 20年? っていうと そんなわけない。 ⁡ 今は、こんなに苦しく感じて 言っちゃいけないけど うっとおしいこともあって。 ⁡ それでも、この今が 近い未来には

          あ〜〜〜ひとりになりたい!!

          今日は、失敗だった。

          そんなふうに思う日が、あります。 ⁡ ⁡ わが子のちょっとしたことに イラっとして 言い方がいつもよりきつくなったり ⁡ 目を合わせてにこって できなかったり ⁡ 「もうおしまいにしよう。」って 食事をさげたり。 (遊ぶときは、決まってお腹いっぱいなんだけども。) ⁡ ⁡ そんなときに必ず思うようにしているのは、 ⁡ 『おぉ、わたしイライラしちゃうくらい がんばって疲れちゃったんだね。』って。 ⁡ だから今日は、 自分のなかで勝手に反省して 自分を責めるのをやめて 『ねぇ