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松尾芭蕉が見た納涼床(京都・鴨川)。「四条河原涼」(しじょうかわらすずみ)現代語訳
今回は、芭蕉が元禄3年(1690)6月に京都を訪ねたときの文を現代語訳してご紹介します。
芭蕉が46歳(現在の年齢の数え方)になる年の作です。
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京都・四条の河原涼といって、夕月夜(ゆうづくよ)の頃(この場合6月上旬)から有明の月が見られるようになってしばらくの頃(同中旬)まで、鴨川の中に床を並べて、夜を徹して酒を飲み、ものを食べて遊ぶ。
女は帯の結び
星空と松尾芭蕉。「銀河ノ序(ぎんがのじょ)」現代語訳
「おくのほそ道」では、「暑さと雨のつらさで神経をすり減らし、病気になったので何も書き留めなかった」として、縦断した越後国(えちごのくに・新潟県)の記述が大幅に省略されていました。
でも、越後の出雲崎(いずもざき)を旅したときのことを、芭蕉は「銀河ノ序」という文にまとめていました。「おくのほそ道」の記述を補うものとしても読めますので、以下に現代語訳してご紹介します。
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松尾芭蕉も敦賀を旅しました。敦賀滞在についての芭蕉の文・現代語訳
2024年3月16日、北陸新幹線の金沢~敦賀間が開業します。
敦賀を訪問する方も増えそうです。
今から330年あまり前の元禄2年(1689)8月(旧暦)に、芭蕉も敦賀を訪れていました。『おくのほそ道』の旅の終盤で、金沢・小松・福井などを経て敦賀に8月14日到着。ここに数日滞在しました。
以下に紹介するのは、俳人・東恕(とうじょ)が残しておいた芭蕉の文です。「デジタル版日本人名大辞典+Plus」