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【映画感想文】『呪術廻戦』の釘崎野薔薇をきっかけに田舎の闇を考察してみた - 『パーマネント野ばら』監督:吉田大八

 アニメで『呪術廻戦』を見ている。すごく面白い。特に女性キャラクターがいい。みんな、意志を持っている。媚びないし、わきまえないし、空気も読まない。森元総理が嫌いなタイプの女性ばかりで、めちゃくちゃカッコいい。

 呪術師として、彼女たちは呪いと戦っている。その姿は家父長制の世界で因習に抗うため、必死に声をあげている現代の女性像に重なり合う。

 その中でも、主人公・虎杖悠仁の同級生で、物語の序盤から登場している釘崎野薔薇は面白い。閉鎖的な田舎のしがらみを振り払うため、東京にやってきただけあって、常に舐められまいと強気で生意気。ガールパワーにあふれている。

 直近数回の放送は釘崎野薔薇にフォーカスが当てられていたので、夢中になって見てしまった。ただでさえ渋谷事変は心に来る話が多いというのに、切実な回想シーンも相まって、胸がつぶれて苦しかった。

 詳細は明かされていないけれど、要するに、釘崎野薔薇は中学卒業までを過ごした田舎で、強過ぎる「絆」が「しがらみ」に転じ、暴力的な「呪い」と化している現実に直面。そんな田舎に嫌気が差して、呪術高専に進学。居場所を求めて上京してきたということらしい。

 結果、いい先生といい仲間たちに恵まれて、本当によかったということなんだけど、わたしは釘崎野薔薇の背景を知り、ある映画を思い出した。2010年に公開された吉田大八監督の『パーマネント野ばら』だ。

 原作は西原理恵子の同名漫画。田舎の漁村、唯一の美容院「パーマネント野ばら」を舞台にしたヒューマンドラマ。ネタバレ厳禁な映画なのであらすじは書かない。ただ、まさに田舎の「絆」が「しがらみ」に変わり、ときには「呪い」と化してしまう現実を巧みに描いていたことだけは間違いない。

 果たして、釘崎野薔薇の名前が『パーマネント野ばら』に由来しているのか。調べてもわからなかったけれど、もし、そうならいいのになぁと思ってしまう。というのも、『パーマネント野ばら』は田舎の「呪い」が「救い」に変わるところまで、しっかりと突き詰めていたから。

 とはいえ、実際に鑑賞したのは十年以上前。本当にそうだったのか自信がなかった。で、昨日、『パーマネント野ばら』を見返してみた。やっぱり、すごく、いい映画だった。

 おおむね、覚えていた通りだった。ただ、久々だったので、忘れていたシーンも多く、その中に強烈かつ重要な人物がいた。

 それは小池栄子演じるみっちゃんのお父さんで、認知機能が低下しているせいか、たびたびチェーンソーで電柱を叩き切り、地域一帯を停電させてしまうのだ。なんでも、むかし、同じことをやって木材を勝手に売りさばき、家族に焼肉を食べさせてやった幸せな思い出があるらしく、未だ、その幻想を追い求めてしまうんだとか。

 切れた電線がピリッ、ピリッとショートしている中、一心不乱にチェーンソーを回し続ける老人の姿はあまりに滑稽。前回見たときはぶっ飛んだコメディ描写と軽く笑って、わたしは済ませてしまったんだと思う。

 しかし、改めて見ると、これは単に頭がおかしいの一言で終わらせられるような代物ではないように感じられた。田舎のアイデンティティに関わる問題であり、なんなら『パーマネント野ばら』のテーマをなによりも象徴しているのではないか。

 というのも、もともと田舎には闇があった。都会のように夜もなんらかの明かりが灯されている場所と違って、田舎には完全なる闇があった。だからこそ、妖怪だったり幽霊だったり、土着の説話が存在し得た。見えないからこそ、イマジネーションが理性を凌駕できたのだ。

 いや、イマジネーションと言っては語弊がある。妖怪も幽霊も嘘ではないのだ。闇に紛れて見えていないだけ。むしろ、「隠れた現実」と称すべきか。

 それらを収集し、体系的にまとめ、民俗学を成立させた柳田國男は『山の人生』で、この「隠れた現実」の重要性を以下のように述べている。

一 山に埋もれたる人生あること

 今では記憶している者が、私の外には一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞で斫り殺したことがあった。

 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこへどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰ってきて、山の炭焼小屋で一緒に育てていた。その子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りても、いつも一合の米も手に入らなかった。最後の日にも空手で戻ってきて、飢えきっている小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。

 眼がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったという。二人の子供がその日当りのところにしゃがんで、頻りに何かしているので、傍へ行って見たら一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いでいた。阿爺、これでわしたちを殺してくれといったそうである。そうして入口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えもなく二人の首を打ち落してしまった。それで自分は死ぬことができなくて、やがて捕えられて牢に入れられた。

 この親爺がもう六十近くなってから、特赦を受けて世の中へ出てきたのである。そうしてそれからどうなったか、すぐにまた分らなくなってしまった。私は仔細あってただ一度、この一件書類を読んで見たことがあるが、今はすでにあの偉大なる人間苦の記録も、どこかの長持の底で蝕ばみ朽ちつつあるであろう。

<省略>

我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遙かに物深い。また我々をして考えしめる。これは今自分の説こうとする問題と直接の関係はないのだが、こんな機会でないと思い出すこともなく、また何ぴとも耳を貸そうとはしまいから、序文の代りに書き残して置くのである。

柳田國男『山の人生』

 都会の論理では裁けない田舎の論理というものがある。だからこそ、都会では残酷と見做される行為が田舎で当たり前のように行われてきたのである。

 たとえば、寺山修司がガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を原作に制作した遺作映画『さらば箱舟』も、そのことを題材にしていた。

 赤ん坊を間引いたり、障害のある人たちを隔離したり、結婚に制限をかけたり、田舎の掟に苦しむ若者の姿が延々描かれ続けるのだが、やがて、その村にも近代化の波が押し寄せてくる。道路が通り、都会とつながり、マンションが立ち並ぶようになったとき、かつての因習などどこへやら。すべてが忘れ去れてしまう。

 その際、田舎が田舎でなくなるきっかけとして、電柱の建設が用いられていた。電柱が都会と田舎をつないだことで、田舎はそれまでの田舎ではなくなってしまったのだ。

 田中角栄が日本列島改造計画を打ち立てたように、戦後、日本中の田舎が田舎を脱却しようと頑張ってきた。結果、地方都市はどこもリトル東京となり、国道沿いの大型ショッピングモールにお決まりのチェーン店が軒を連ねるようになった。

 一見すると、ドロドロとした闇は光によって明るくかき消されてしまったようだけど、果たして本当にそうなのだろうか。明るく見えているのは単に光が重なっているだけ。その下で、闇は未だに存在し続けているのではないか。

 だとしたら、『パーマネント野ばら』で電柱を切り倒し続けるお父さんは闇を取り戻そうと戦っていたことになる。都会とのつながりを断ち切ることで、田舎のアイデンティティを回復させようとしていたのかもしれない。

 このとき、闇の優しさが「見えない現実」として姿を現す。

 人間、望むと望まないとにかかわらず、ドロドロとした感情を抱えてしまうときがある。客観的に間違っているとわかっていても、自らの心を守るため、主観的に正しいと思い込むことで、目の前の仕事をやり過ごすなんて日常茶飯事。さもなくば、資本主義社会から簡単に振り落とされる。

 ただ、そうやって必死に食らいついた都会で、ふと、我々は猛烈な寂しさに襲われる。なるほど、ここでは「しがらみ」はないけれど、無条件で自分を受け入れてくれる「絆」も存在していないのだ、と。

 ゲーテは人生を変えたイタリア旅行で似たような境地に達している。

だれひとり知る人もない人ごみの中をかき分けて行く時ほど、痛切に孤独を感ずることはない。

ゲーテ『イタリア紀行』

 ヤマアラシのジレンマのように、我々は傷つけ合うのは嫌だけど、それでも誰かとつながっていたいらしい。そのとき、田舎の「絆」は「救い」となる。

 とどのつまり、度合いの問題なのだろう。「しがらみ」にならない程度の「絆」、「呪い」にならない程度の「救い」は必要なのだ。闇をゼロにしてしまってはわたしたちは生きていけない。

 『パーマネント野ばら』のラスト直前、すべてを理解した主人公・なおこ(菅野美穂)とその友人・みっちゃん(小池栄子)の会話がそのことを如実に物語っていた。

なおこ「みっちゃん、わたし狂ってる?」
みっちゃん「そんなんやったら、この町の女はみんな狂っちゅう。へいき。わたしらずーっと、世間様の注文してきた女やってきたんよ。これからは好きにさせてもらおっ」

映画『パーマネント野ばら』

 それから、女たちは田舎らしく、唯一の美容院に集まって、ワイワイがやがや、下ネタ満載の下品な会話で盛り上がるのだが、ああ、なんて心地のよい闇なのだろうと羨ましくなってしまう。

 釘崎野薔薇のその後についても、ぜひ、『パーマネント野ばら』のような優しい未来が待っていることを願っている。




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