見出し画像

嫌だった欲望も無くなると寂しいもの

出世欲、物欲、色欲、自己顕示欲、あらゆる俗な欲望に囚われていた時期というのは、人として、浅ましく下品な状態であると自分で自分を軽蔑する時もあった。でもそれらが薄れて行くというのは

人生経験をして、それらが自分を本当に幸福にしないという学びの末にたどり着いた境地でも何でも無く。老いや諦めによる影響も大きい。

私自身、そこまで老いを感じる年齢ではないが、精神的な老いを感じる時があり、それは欲望というのが、処理されるよりも増える量が上回り、混濁とした欲望の数々が私の器を満たし続けることがなく

常に器の底が見えるという状態が続いている。

だからといって、他のモノで満たされているのか?と言えばそうでも無い。これから何が自分を満たすのであろうか?漠然とした思いに耽る中で

欲望が人間に与える作用について思慮した結果、どんなものでも過ぎれば毒となるが、適量ならば薬となる。

毒も変じて薬となるとは良く言ったもので、愛されたい、お金が欲しい、美しくなりたい、みんなに必要とされたい等

様々な満たされない欲望というのが己を苦しめ、遠くを見渡す視界を奪ってしまっていたとしても、満たされない苦しみから解放される為にあらゆる欲望が創り出す苦痛をエネルギーに変え進み続けた結果

仕事で成功したり、ある事で一芸で身を建てることが出来たり、いじめられっ子が強靭な肉体を手にしたり等の、毒が自分を強く治療してくれる効果もあると

無論、毒に侵されそのまま終わってしまう人も居ると思うが、人間を構成するモノはピュアなモノだけではなく、上っ面は透明で美しく見えたとしてもその実は欲望や感情が混濁し、渦巻いている。

それが人間の本来の姿で、綺麗なモノだけを自分の中に取り入れるというのは、人間の持つ生命力を奪っている行為であるという結論に達した訳で

ならば、欲望が枯渇しつつある私は生命力が減退して来ているのか?と、いや、、目に見える欲望の種類が変わって来たのかもしれない。

文章を書いたり、身体を鍛える、音楽を聴く、自分の内面世界に没入出来る時間というのを確保する為に、それをモチベーションに行動している。承認欲求や自己顕示欲では無い、自分ともっと向き合いたいという内面的な欲求であり

それは今、器を満たすほどの量に無いにしても、確かに欲として、私の中で湧き起こるモノとして動かしてくれる。

人間、今まで持っていたものが離れて行くと寂しく感じるものである。

あんなに嫌だった場所でさえ、ふと思い出して見ると懐かしく感じるように私は今、新しい自分に変わる時期として、昔の欲望とは違う、もっと自分の新しい欲望が私を満たす前段階。

そう思うと、寂しく暗澹あんたんとした気持ちも少しは晴れて行く。






この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?