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【短編】『読書するぼく』

読書するぼく


 美容院で髪を切り終わった後、たまたま次の予定まで微妙な時間が空いてしまったため、僕は喫茶店で本を読みながら時間を潰そうと思った。お店に入ると、そこら中に人がごった返しており、席が空くまで待機する必要があった。いくら待っても皆席を離れようとはせず、まるでここが喫茶店ではなく、会社のオフィスにいるかのようにそれぞれが自分の決まった席を持っているようだった。僕はなぜここまで長時間席を独り占めしては新たに注文をするわけでもなく、ただ自分の時間に没頭している者たちを店員たちが許すのか理解できなかった。一向に席の空かない状況に嫌気が指し、店を変えようと一歩足を踏み入れた。とその時、ちょうど店の中央に位置する仕切りを挟んで向かい合った長テーブルの二席に座っていた別々の客たちが同じタイミングで席を立ったのだ。幸い僕以外に待機していた客は皆諦めて店を出ていってしまい、僕はゆっくりとどちらかの席に座ろうかと思案した。自分から見て左側の長テーブルの方は一人客が多く、読書をするに良さそうだったためそちらを選んだ。椅子の下にリュックを置いてから、読んでいる最中の「気狂いピエロ」の小説を取り出してジッパーを閉めた。

 僕は普段読書をする時は机に両肘を乗せ、ちょうど本が自分の顔の目の前に来るように腕を固定する。なるべく全身を使って読む方が、文字情報が頭に入ってくるのだ。今座っている喫茶店の席は隣の人のプライベートが目に入ってきてしまうため、なおさら高い位置に本を置いてそれらを視界から外す必要があった。本を開くと、先ほども美容院で髪を切ってもらっている最中に本を読んでいたため、少しばかり自分の短い髪が本に挟まっていた。僕は嫌々ながら本を大きく開いては人差し指と親指を隙間に入れて髪を取り除いた。散髪中には本を読むべきではなったと思った。しかしあの時は目の前の鏡に映る本を読む自分の姿を見ることで、どこか優越感に浸ることができたのだ。喫茶店の席は狭苦しく、初めは本を読み進めようにも度々集中力の途切れることがあったが、次第に店の騒がしさに気をとられなくなり、本に没頭することができた。こうして今座っているこの席が僕個人のものとなった。

 しばらく自分の席を我が者顔で陣取っては本を読んでいると、ふと目の前の空席に若い女性客が座ったのが垣間見え、一瞬手が止まった。ちょうど目の前にある仕切りが邪魔をして彼女の顔の下半分が見切れてしまった。僕は少しばかり背筋を伸ばしてから本を読むふりをしてその素顔をこの目に収めようと前に視線を送った。彼女は長髪でその髪は金色に染まっていた。まつ毛も長く、目がくっきりとしていて鼻も若干高かった。彼女は美しかった。まるで今読んでいる小説「気狂いピエロ」に出てくるアリーをそのまま具現化したかのような顔立ちだった。すると、一瞬彼女がこちらの視線に気づきお互いに目が合った。僕はすぐに視線を本の方に戻し、引き続き読書に励んでいるように装った。しかし実際に読み進めようとしたところ、ちょうど一行を読み終えるごとに本の頭の方に視線を送る必要があることに気づいたのだ。彼女とまた目が合ってしまうのではないか、あるいは僕が彼女を見ていると誤解されるのではないかとあれこれ妄想が膨らんでしまいどうも落ち着かなかった。とうとう僕は恥ずかしくなってしまい、肘を崩して本の位置を少し下にずらすことにした。僕はようやく、彼女の存在を完全にないことにして本を読み進めることに成功した。と思った矢先のことだった。目の前にある仕切りの下から本が顔を覗かせたのである。しかもその表紙は今自分が読んでいるものとかなり似通っており、あるいはほとんど同じと言ってもよかった。彼女は「気狂いピエロ」の小説を読んでいたのである。

 僕はこんな偶然なことがあるのかと心のうちでは動転していたものの、彼女も同じく自分と読んでいる本が同じことに気づいているはずだと思った。むしろ彼女がそれを見越して僕がどう反応するかをうかがっているのだろうと察知し、僕はすかさず平静を装った。ただ何も考えることなく本を読み進めたいと思っても、終始彼女から見られているような気がして仕方がなかった。彼女も全く同じ本を、僕を目の前にして読み進めた。その読み進める速度、そしてページを捲るタイミングも完全に模倣され、まるで店内の監視カメラで僕のことを全方位から見ているのではないかと思うほどだった。

 僕は再び両肘をテーブルについて彼女の顔の方に本を移動させた。彼女は本を移動させては来なかった。しかし、やはり彼女と目が合ってしまうのではないか、僕が彼女を見ていると誤解されてしまうのではないかと考えすぎてしまい、一層のこと自分の真似をするのをやめてくれないかと一言言ってやろうと僕は席を立った。しかし驚くことに彼女の手元を見ると、魔法のように向こう側のテーブルからは「気狂いピエロ」の小説が消えており、代わりに資格試験の教科書のようなものが彼女の目の前に広げられていたのだ。僕は気が狂ったかと思い、再び席について本を開いた。すると、同じタイミングで仕切りの下から再び本が現れては、僕を真似るかのようにそれを読み始めた。


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