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«1995» (3)

高校のカリキュラムは生徒の志望に沿って選べるようになっていて、僕は文系3科目(国語、日本史、フランス語)に絞って、苦手の理数系からは早々に逃げおおせていた。

高3ではフランス語の授業が週11時間もあって、ここで叩き込まれた語彙や表現は、受験勉強の範疇に留まらない幅と厚みがあり、今なお得がたい財産になっている。

そしてフランス語を除けば、授業体系が受験シフトなのに、教える側が大学受験のことをまるで考えていないというのも、わが母校の特徴だったかもしれない。授業がつまらないだけでなく、一部の教員は妙なイデオロギーに染まって気持ちが悪かった。
ある社会科の先生いわく
「君が代ではなく民が代だ」
「中華民国という国は存在しない。中華人民共和国台湾省だ」
「キリストは帝政ローマ時代に民主主義を提唱した革命家だ」
云々。いやはや。

塾嫌いの僕も級友の勧めで、予備校の夏期講習を一緒に取ったのだが、当の友人に初めてのカノジョが出来てしまい、いわばサカリのついた犬になった彼は予備校をサボって海に行ってしまった。
あの年にヒットしたDEENの『瞳そらさないで』を聴くたびに、あの頃純然たる非モテだった自分と、異性に溺れた挙句、センター試験直前に破局して浪人する羽目になったあの友人のことを思い出す。

別の級友は、しきりに東大を目指すと胸を張っていたのだが、受験直前の模試の世界史に出題された、毛沢東が天安門で建国の演説をする有名な写真を、それが何なのか分からなかったと言い放ち、唖然とさせられたものだった。果たして、彼が東大に行くことはなかった。

他にも、偏差値や模試の結果だけを指標に志望の大学や学部を決める級友がかなりいたけれど、人生の岐路をそんな数字に委ねてしまって良いのだろうか、という不安は他人事ながら拭えなかった。
僕自身、偶々フランス語に関心を持ち得たというだけで、確たる未来予想図を描いてなどいなかったのだけれども。

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