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ばあちゃん

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2020年4月10日に父方の祖母が、5月8日に母方の祖母が亡くなりました。自分の心の整理のために書いたnoteです。
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目が大汗かくこともある

目が大汗かくこともある

2020年5月28日、父方のばあちゃんの四十九日でした。

もしかしたら疫病を振りまいてしまう...

誰かの大切な人を奪ってしまうかもしれない...

そう考えると葬式に帰ることもできず。

父も「帰ってくるな」という考えで。

葬式に出られなかったこと、死顔を見られなかったこと、手を合わせ、たった一言「ありがとう」を言えなかったことを一ヶ月引きずってしまい...

残されたものにとっての葬式の

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「オラなんか撮っとらんとそれでも撮れや」

「オラなんか撮っとらんとそれでも撮れや」

"写真を撮ると魂を吸い取られる"

ばあちゃんはそういう時代の人間です。

写真を撮られるのを嫌がりました。

表題のことを言い、そして指差したのがこの黄色いツツジ。

つくづく、写真には見えているもの以外のものも写っているんだなぁと思います。

切り取られた部分以外の風景や周りにいる人、そこで交わされた会話、そして、撮る側にいる人間...

止まっているようで、止まっていない時間が写り込んでいま

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本当は泣いてなんかいなかった

本当は泣いてなんかいなかった

ばあちゃんが死んで

職場の60代の女性がひどい咳をしていたのもあり葬儀への出席を見合わせた。

2日後、その60代の方のお父様が亡くなられた。

その方は葬儀で帰省をした。

正直、許せなかった。

あんたが俺のマスクがどうなっとるか気になるってベタベタ触ってきたりするから、こっちはばあちゃんの眠った顔見て「ありがとう」の一言も言えんかったんやぞ

と。

それから一ヶ月、その人にも、出社を止め

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そこにばあちゃんは居なかった

そこにばあちゃんは居なかった

ばあちゃんは、よお草むしりしとる人やった。

「おらがやらなんだら草ばっか生えてどんならん」

そう言って、家の周りのどこかで草むしりをしていた。

玄関を出ればどこかに必ずいた人が

今はどこを撮ってももういない。

気付いたら泣きながらカメラのファインダーを覗いていた。

でも、ばあちゃんはずっと俺の中にいるなぁと。

ありきたりな言葉って、本当にその通りだからみんな言うんだろうな、と。

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両の手を力一杯ずっとずっと振る伯父さん

両の手を力一杯ずっとずっと振る伯父さん

写真は母と母方のばあちゃん。

今日は母方のばあちゃんの四十九日です。

まさか、父方と母方のばあちゃん二人立て続けに逝ってしまうとは思いませんでした。

母方のばあちゃんは数年前から体調が悪かったので、覚悟はできていました。

だから、楽になれたのかな?という安心感もあるにはあります。

この時に写真を撮っておいて良かったという気持ちの一方で、もっと前から写真を撮っておけば良かったという後悔もあ

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あの時嗚咽したのは哀しかったからじゃない。懐かしかったから。

あの時嗚咽したのは哀しかったからじゃない。懐かしかったから。

こんばんは。

ばあちゃんの死などを機に、地元に戻ってきた奴です。

そのことについてはこちらのMagazineを。

日々、生きる活動

「生活」

をしていてふと気づきました。

ばあちゃんの死を受け入れられていることに。

死顔を拝めなかったことや、最後のありがとうを骸にさえ伝えられなかった無念は別の感情としてあるんですが...

毎日泣く、ということがなくなったんです。

僕の生活と、感情

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晩年のコーラ

晩年のコーラ

今日は地元に戻ってから初めてのばあちゃんの月命日を迎えたので、「石川に帰ってきたよ」という報告をしに、墓参りに。

なんで今頃戻ったんやろな、と考えてしまったけど、

ばあちゃんは、「元気でおれや」

と言ってくれとる気がしました。

葬儀に出られず、なんとか方法を考えて四十九日には墓参りをして、一度東京に戻った後は毎日泣いていました。

四十九日までは泣けなかったのに。

でも、石川に来てから数

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僕はゴミでした

僕はゴミでした



あの頃、僕はゴミだった。

人ごみという言葉があるけれど、人は多すぎるとゴミになってしまうのかもしれない。

例えば、コンビニのお釣りが100円多かったら「ラッキー♪」って懐にしまっていました。

でも、ある時ふと思ったんです。

「これって誰に教わったんだろう?」

って。

僕を育ててくれた両親やばあちゃんはそんなこと教えてくれたっけ?

答えはもちろんNO。

生きているうちに、自分で勝

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死を想え

死を想え



1983年初版の藤原新也氏『メメント・モリ』の序文をご紹介します。

ちょっとそこのあんた、顔がないですよ

いのち、が見えない。
生きていることの中心(コア)がなくなって、ふわふわと綿菓子のように軽く甘く、口で噛むとシュッと溶けてなさけない。
死ぬことも見えない。
いつどこで誰がなぜどのように死んだのか、そして、生や死の本来の姿はなにか。
今のあべこべ社会は、生も死もそれが本物であればあるだ

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