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「先入見の虜(とりこ)」にならない方法

▼前号では、斎藤正二氏の『植物と日本文化』(八坂書房)を読み、「令和」の出典である『万葉集』の「梅花歌三十二首」の「序」だけでなく、「梅花歌」そのものも、圧倒的な中国の影響下で生まれたことを確かめた。そのつづき。

▼順番が前後してしまったが、以下のような「総論」的な表現を紹介したかったので、何回か、具体例に触れた。適宜改行。

律令制中央集権国家を出発させた7~8世紀の日本の支配階級(知識人層)は、政治制度から日常生活的風習にいたるまで、東アジア世界の先進国である唐の文化を模倣し咀嚼(そしゃく)することに懸命であった。

律令政治機構の運営者たちは、官僚制支配の方式を大唐帝国から学んだばかりでなく、天皇制の原理をまで中国から学びとった。そして、詩歌文章というものの存在を、初めて中国詩文から知らせてもらったのであった。

漢詩集『懐風藻』と和歌集『万葉集』と正史『日本書紀』と、この三つの古典は、中国文化の影響なしには生まれ得なかった。〉(『植物と日本文化』12-13頁)

▼この総論を基本にして、以下の文章を読むと、より文脈がよみとりやすくなると思う。『斎藤正二著作選集』第3巻から。本文傍点は【】。

〈むかしは(ひょっとすると、現在でもそうだとおもうが)『万葉集』の魅力に取(と)っ憑(つ)かれ、人類史最高の詩歌のように思い込む人も随分いたけれど、われわれのがわに国際的展望や比較文化的視野が豁(ひら)けるに従って、日本律令貴族文人が四時(しいじ)手許(てもと)に置いた“虎之巻”たる『芸文類聚(げいもんるいじゅ)』(唐の欧陽詢(おうようじゅん)撰の学芸エンサイクロピーディア、624年成立)の学習=模倣の仕方なども明らかになり、また、『文選(もんぜん)』(梁(りょう)の昭明太子編の詩文アンソロジー、530年ごろ成立)や『玉台新詠』(陳(ちん)の徐陵編の抒情歌謡アンソロジー、530年ごろ成立)に対する読解能力の程度などにも大体の測定が可能になると、『万葉集』にしろ『懐風藻』にしろ(それから、さらには記紀撰修にしろ)極めて薄っぺらい掻(か)い撫(な)で式の“猿真似”仕事でしかない、と気付かざるを得なくなってきた。〉(103頁)

▼ここに出てくる『芸文類聚(げいもんるいじゅ)』や『文選(もんぜん)』や『玉台新詠』などの、『万葉集』の文化的な価値を論ずるためには必須の書物についても、いまはインターネットでたちどころにどういう書物か調べがつく知的環境になっている。とてもいい時代になった。

〈わたくし個人のちいさな探究作業の結果では、五七調を重畳(ちょうじょう)する長歌形式および短歌形式すら中国の五言律・七言律の“鸚鵡(おうむ)の口真似(くちまね)”でしかないが、いまはそれについて言及せずにおく。

4~5世紀の壮大な中国詩文の世界に触れたあとでもなお、7~8世紀の日本詩歌の貧相ぶりを認別できぬ人がいるとしたら、その人は、よほど先入見の虜(とりこ)となってしまっているのである。《実体》を問題にしたら、『万葉集』のもつ美学的普遍性などは【ひと堪(た)まりもなく】潰(つい)えるほかない。

『万葉集』を愛するためには、《過程》や《関係》をこそ問題にしなければならない。そして、この《相対化》ないし《システム化》をとおして『万葉集』を評価し直すとき、かえって、たちまち『文選』をさえ押さえて、人類最高遺産のひとつたる地位を回復することが可能になる。〉(同)

▼この「過程」や「関係」、「相対化」「システム化」といった術語を、少しかみくだいたら、下記のような表現になるだろう。

〈いったい「日本的」とはどういうことか。他所(よそ)の国で発明創意された技術や知識を輸入し咀嚼し自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものとし、そして、やがて【教わった以上の水準】の技術や知識を独自に開発してのける、という“思考方式”をさす。

花の場合もまた、まったく同じ方式が繰り返され、種子や苗木から栽培法まで、さらには当該植物の鑑賞法(花の見かた)から利用法まで、すべて輸入=学習によって始まり、謂(い)うところの「日本化」を完結するに至るのである。〉(同97頁)

▼こうした「思考方式」の意味づけは、「日本的な価値」の一表現として、筆者はよく納得できる。

すぐれた芸術は、相対化したとき、相対化しきれぬ何ものかが残る。その美しさを、斎藤氏はまた別の表現で論じている。(つづく)

(2019年5月11日)

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