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万葉集が生まれた「過程」や「関係」が重要である件

▼前号では、『万葉集』は〈日本全土の人口構成比率は、苛斂誅求(かれんちゅうきゅう)を極める中央政府の収奪に苦しみ抜いた律令農民が90パーセント以上も占めていた〉社会でつくられた史実をたしかめた。そのつづき。

キーワードは「相対化」である。

〈全体を摑(つか)み“相対化”を加えていく思考には、どうしても、それに必要なだけの時間とエネルギーとが費やされねばならない。思い付きや“勘”だけでは、国際的視角を生みだすことなど不可能である。〉(108頁)

『万葉集』には、この「相対化」の力が満ちている、というのが斎藤氏の見立てである。違う言葉でいえば、万葉歌人たちは「世界の中の日本」という視点を有していた、ということになる。

〈松といえば、長寿や貞節のシンボルだと学習し、たちまち「一つ松幾代か経(へ)ぬる吹く風の声(おと)の清きは年深みかも」(巻第六、1042)、「たまきはる命は知らず松が枝(え)を結ぶ情(こころ)は長くとぞ思ふ」(同、1043)という倭詩(わし)をつくりだす。

梅(これ自身が渡来植物であるが)が風流(みやび)のシンボルとわかり、梅と鶯とをワン・セットにして詠ずれば高尚な趣味世界を現出し得ると気付けば、たちまち「梅の花夢(いめ)に語らく風流(みやび)たる花と吾念(あれも)ふ酒に浮べこそ」(巻第五、852)、「梅の花散らまく惜しみわが苑の竹の林に鶯鳴くも」(同、824)という倭詩をつくりだす。

中国詩文を規範にして学習を進めていけば“安心”できたし中国詩文の規範をいちじるしく逸脱したときには詩仲間(しなかま)(詩人共同体というか、文人サロンというか)から注意してもらったり添削してもらったりして“不安”を取り除く、といった努力さえも支払うことを厭(いと)わなかったが、そのうちに、ついには、ひとりでにすらすらと口を衝いて詩が生まれでるまでになってきた。

しかも、いったん、すらすらと詩句(スタンツァ)が湧き出るようになると、あとは案外に造作(ぞうさ)なく作詩(=作歌)できるようになってくる。--こうして、いつのまにか、詩とは何か、美とは何か、律令官人に必需の教養とは何か、という問いに対する答えを身に習得することに成功していったのであった。

悪口(あっこう)を言っているのではない。後進国文化の担い手が、こんなにも短期間に、こんなにも正確=忠実に、先進大国の文物制度を学習し畢(おお)せた、という奇跡的出来事(イヴェンツ)に、感嘆しているのだ。

たしかに、『万葉集』は、これを《実体》として見るかぎりは貧弱と見るほかないが、ひとたび《過程》ないし《関係》として見直すとき、今日的意義(エレクトロニクス時代の解釈に立っても、の意だが)においても〈新しさ〉に満ちた知的創造物と言い得るからである。

『万葉集』が生みだされるまでの《過程》および《関係》こそ、真に豊かさの名に値するし、また偉大の名に値する。

 国際性の視角を取り入れてみると、このように、かえって『万葉集』が生き生きと見えてくる。この“見かた”を、かりに《相対化》と呼ぶことにするが、本当は、万葉時代人自身がこの《相対化》の眼差(まなざし)をちゃんと持っていた。

当(とう)の万葉人の所有する《相対化》思考を見失ってきたのが、永い万葉集解釈史の通弊(つうへい)である。〉(108-109頁)

▼詩を読む人は、その人の生きる時代の置かれた「過程」や「関係」によって、そしてその個人の置かれた「過程」や「関係」によって、その詩の読み方を変えうる。『万葉集』から何を読み取るかもまた、時代によって変わりうる。

ひるがって「令和」は、『万葉集』の原義とはまったく関係のない意味づけがなされた元号であることは、以前指摘した。と同時に、安倍総理の元号解釈がどれほど独創的であるか、小学校の高学年なら読めばわかることも、たしかめた。

▼念のため、再掲しておこう。(2019年4月2日付の産経新聞1面トップから)

■出典の「令」と「和」の意味 令=〈佳き〉、和=〈風はやわらか〉

■「令和」の意味 〈人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ〉

「令和」の意味に、出典の意味はほとんど含まれていないことがわかる。

▼8世紀の万葉人が有していた「世界の中の日本」の視点と、2019年の総理大臣が有している国際感覚と、それぞれが生みだされた「過程」や「関係」をくらべるきっかけも、「令和」という元号は与えてくれる。

筆者の印象は、いまのわが国は、自らを「相対化」する力が弱まっているのだろうと思う。(つづく)

(2019年5月13日)

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