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「昔は男の方が賢かった」という父の言葉から見えてくるもの。東大に2割しか女子生徒がいないのは女の子がバカである証拠?

はじめに

たしかこれは、先週の日曜の出来事。いつも、書きたいことは山ほど出てくるものの、大枠とタイトルだけを下書きに記し、そのままいつか肉付けしようしようと思いつつ放置してしまう。そんなんだから、その鮮明であったはずの記憶はやがて色褪せ、結局、下書きボックスの奥底へと落ちていくのだ。

大学進学率。大卒の両親を持つ私。

コロナの影響で、この春から東京勤務予定だった兄は依然として実家で自宅待機をしており、土日が休みの父、実家の手伝いをする専業主婦の母、大学もバイトもなくなった私、家族全員、今週末も勢揃いの昼下がりのリビング。得にだれが真剣に見入るでもなく、何となくつけていたテレビを見ていた私はふと、先日ちらっと読んだ「上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください! 」のことを思い出した。タイトル通り、上野千鶴子先生が漫画家の田房永子先生との会話形式で、一般大衆向けにやさしくフェミニズムについて語ってくださる本だ(と紹介しつつ、実はまだ一部しか読んでない笑)。この本の中に、載っていたある表が私の目に留まった。年度別大学進学率に関する表。私も兄も20代前半、私たち世代の親だとだいたい45~55歳くらいの人が多いのでないだろうか。この表の大学進学年度で言うと、1983~93年といったところだろうか。この当時の大学進学率は、女14.7%男34.1%。そう。これが私の手が止まった所以だ。

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というのも、私は両親とも4大卒なのだ。大学進学率20%台の時代、大学生カップルのというのはレアものなはず。大卒の両親と兄を持ち、当たり前のように一ミリの迷いなく大学進学した私にとって、親世代の大学進学率が30%に満たないことに驚きを隠せなかった。ましてや14.7%。母の友人や私の友達のお母さんたちは無論、大卒者ばかりなので、母ですら、そんなに低いの??と驚いていた。確かに母は元お嬢だし、そんな反応を近所のママ友の前でしたら、世間知らずも甚だしいとドンびかれるにちがいない。今となっては母が通っていた大学の法学部は、男女比ほぼ5:5だが、当時は、クラスに女の子なんて、数えるほどしかいなかったらしい。

男子の方が賢かっただけ。進学における差別はない。

そして、父は言った。「確かに女の人の方が大学に行く人は少なかったけど、それは女に教育は必要ないと言ったような差別的考え方があったわけではなく、高校の中で男の方が賢かっただけ。同じクラスで大学に行けるようなレベルの女の子なんて少なかった。」と。差別があったのではなく、女子生徒の学力が低かっただけだと。現在、進学率の地域差はあれど、男女の差はほとんどない。それどころは、地域によっては女子の方が進学率が高い。確かに上位校には男子校が多いし、東大には2割しか女子生徒はいない。だが、個別、偏差値的に見れば、もはや現代には男女差はない。男女の生物学的脳の違いが知力の差になんて一ミリも影響していないことがすでに実証済みにもかかわらず、「男子の方が賢かった」などとよくもやすやすと言えたものだ。ここ数十年で女性の脳に変化が起きて、女の子も賢くなり、進学率が同等になったとでも言うのだろうか。ちなみに、今なお、地域によって進学率は大きく異なるが、下記の表を見て、「差別的考えがあるわけじゃない。だた、都会の人間の方が田舎の人間より賢こいだけ。」と発言する東京人が出てきたら、リアルホラーである。そこまでこの国が腐っていないことをこれから社会に出なければいけない私としては願うばかりだ。

周囲の環境が女の子をバカに仕立て上げる?

差別的考えがあったわけではないと言い張る父親、その一方、母は父より5歳くらい年下なのだが、高校進学の際に、私立高校に進学している。私が公立高校を受験した際に、母親に、わざわざなぜ私学に行ったのかと聞いたことがある。すると母はこう言った。「あなたと同じ高校を受験しようとも思ったけど、おじいちゃん(母の父)や塾の先生に、『女の子なんだし、わざわざまた大学受験頑張らなくても、そのまま上に上がれるところにいっておけば?』と言われたから、別にいいかな~と思って」と。人生の選択を実に周りに流されてしまうところが、母らしいなと感じたのは置いておくとして、これでもまだ、父は差別的考えあったわけではないと言い切れるのだろうか。

父親の通う普通の公立高校で、女子生徒の方が、勉強できる子が少なかったのはそれは本当に女の子がただのバカだったからなのだろうか。その高校に入学する能力があるのだから、別に知能レベルやそのポテンシャルは父と変わらないはずだ。わざわざ、勉強することやより偏差値の高い大学に行くことを求められない雰囲気だとか、勉強を熱心に頑張ったところでそれが自分の価値の向上に繋がらない周囲の価値観だとか、どうせ就職しても結婚してやめる運命なんだろうなと先の見えた進路だとか、そんなもので、そういった考えや雰囲気の塊によって、彼女たちの勉強意欲が無意識のうちにそがれていったのではないだろうか。現代でも似たようなことが、女性のキャリアアップをめぐって起こっているのではないだろうか。

上野千鶴子先生の東京大学入学式における祝辞が物議を醸した際、バイト先で、母と同世代くらいの店長(女性)に、「私も東大いける頭持ち合わせてたら、余裕で堂々と入るわ~(まぁ当然のように無理なんだけど笑)」と漏らしたことがある。すると、短大の家政学部出身の店長に、「そんなの絶対モテ無いじゃん~別に行きたくないわ~」と一蹴りされてしまった。そういえば、従妹も「東大なんて行けても行きたくないわ」と言っていた気がする。どうやら世間の女性たちは、最高学府に行ける可能性があっても、行きたくないらしい。まぁ確かに、私だって、”賢さ”に人間的憧れは抱くが、賢いからと言って、”女の子”の価値が上がるわけではないことを十二分に承知している。(そんなのくそくらえだが)

まだ終わっていない

「女に勉強は必要ない」その考え方は当の昔に葬りすてられたものなのだろうか。いや、そんなことはない。東京女子が大学進学率70%越えを誇るのに対して、かたや、地方に目を向けると30%台の地域もある。学部によっても男女差がある。東大京大女子は少ない。私の大学受験の条件は、自宅から通える国公立であること。兄は私学理系の一人暮らしをしていたにもかかわらずだ。私の親は十分、教育機会を与えてくれているが、それでも、脈々と、親から子へと、無意識に価値観は受け継がれていっている。親は自分の親にしてもらった子の育て方しか知らない故、無意識にそれを踏襲している。別にこれは私の家に限った話ではない。近所に住む祖父母は、「〇〇大学に行けば学費出してあげるよ」と言った。学校の先生は「女子の方が数学苦手な子多いよね」と言った。「今でも一人暮らしの女の子は就活でいいように見られないから家から通える大学にしておきなさい」そう、塾の先生は言った。この大人たちに囲まれて、進学した今の大学は、完全なる私の自由意思で選んだものと言えるのだろうか。エスカレーター式の私立高校に進んだ母の状況と大して変わっていないのではないだろうか。これは私の周囲が前時代的であったわけでも、私のみにだけ起こった出来事でもない。地域別進学率のグラフを見れば、同じようなことが、依然として、全国各地で起こっていることがわかる。他人ごとではない。昔の出来事ではない。確かに、教室の中を見れば、男女同数がいて、同じ授業を受けいる。一見、平等に見える。でも、取り巻く環境は、家庭内でも兄と私で異なるのように、個別差はあれど、男女で異なるのだ。女の子がバカだから、東大の女子生徒が少ないわけではない。


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