私が会話が苦手なのは、「自分は面白い人間だ」と思ってるからかもしれない。


書いても、話しても、本当に伝わったという確信、相手の心を動かしたという実感、自分と世界の間にある薄皮を確かに突き破ったという手応えが無い。会話が苦手だ、すぐ他人と自分の間にある壁を感じて、伸ばしかけた手を引っ込めてしまう……と悩んでいる時に、「断片的なものの社会学」を読んで、インタビューの達人、そしてエッセイの達人の語り口調から、タイトルにあるような発見を得た。

というお話。


世界を遠く感じることがある。
アホみたいに書きまくっても、書きまくってるだけじゃ、全然突き破れないな、と思う。私と世界の間にうっすらと張ってる膜を。
え、渋澤さん、書いて、読まれてるじゃん、うん、そうなんだけど、本当に伝わっているという確信、本当に誰かを動かしたという実感、薄皮を確かに突き破ったという手応えが無い。

みんな、膜の向こうで楽しそうにしてるけど、みんなどうやって仲良くなったの? どうやって属する仲間を、コミュニティを、社会を、きめたの? いやどうやってって、大学の同級生が~とか知り合いの知り合いが~とかそういう話じゃなくて、仕事だってフロムエーやらリクナビやらできっと無数に偉そうに選べる、でも、食い扶持じゃなくて魂のホーム。私は多分食い扶持を見つけるのはそんなに困らないけど、魂の食い扶持がないと人は普通に死ぬだろ。最近、親友だと思っている人や恋人の前でも遠慮している自分を知ってしまった。一体この先の人生であと何人、あと何刹那、私を覆う薄膜を破れるんだろうね

知らない人と喋って仲良くなることや何かを教わったりするのがすごく苦手で、ちょっとつついて、うまくいかなくて諦めてしまう。
多分自分のやり方が良くないのに「この人つまんないな、パス」ってうまくいかない理由を相手のせいにして正当化してしまう。すぐ、他人を見下してしまう。
その人の面白さを引き出す能力が私に無いってことなのに。あるいは私こそが相手に「つまんないやつ」って思われてるからだろうに。

そういえば調べ物が超苦手だ。

「自分よりワンステップ先にいる人」「自分をアシストしてくれる人」を見つけるために、とりあえず行動しよう! 出かけよう! イベント行こう! とか思ってfb開いてありとあらゆる可能性の束にアテられて黙って閉じたりとか、よくする。
教科書に書いてあることを1ページ目から読んで学ぶみたいなのはすごく得意なんだけど。大量にある情報の羅列から取捨選択するのがすごく苦手。それもあってネットより本が好き。アラカルトよりフルコース。でももう受験じゃないし、常に目まぐるしく流転するお品書きの中からキラッと光るアラカルトをつまみとる瞬発力がものをいうフェーズに入ってるんだよ、人生が、時代が。ああ資格試験を受けて合格したら望みがかなう人生であればよかった。1から100まで並んでて100まで食ったら合格、みたいなシステムに与する人生なら良かった。

会話が苦手、というのも、この「ネットが苦手」「調べ物が苦手」というのと同じ理由からくるのかもしれない。「会話より本読む方が早くて内容濃いわ」と思ってすぐそっちに逃げてしまう。

というようなことを考えている時に、「断片的なものの社会学」という本を読んだ。

社会学、と名打ってあるが、中身は社会学者・岸政彦さんによるエッセイだ。

統計データを使ったり歴史的資料を漁ったり、社会学の理論的な枠組みから分析をおこなったりと、そういうことが私の仕事なのだが、本当に好きなものは、分析できないもの、ただそこにあるもの、日晒しになって忘れ去られているものである。(p6)

物語化についてはこの記事で書いたけど、人は自分自身の/他人の人生を認識する際に物語化しないとやってけない。岸さんが社会学者として論文や書籍を提出する際も、当然、分析、理論化=物語化は必須の作業となる。

けど、その物語化という行為は暴力性もはらんでいる。

社会学の制約から逃れて、バラバラの断片をあえてバラバラのまま、岸さんの愛するままに並べたものが本書だということになる。編集された=物語化されたものしか摂取できなくて、原材料に素手で触る自信のない私にとって、強烈にうらやましかった。

岸さんは社会学者としてインタビューを長らくやっている。

インタビューと、息を止めて海に潜ることは、とてもよく似ている。ひとの生活史を聞くときはいつも、冷たくて暗い夜の海の中に、ひとりで裸で潜っていくような感覚がある。(p125)

私が飛び込めなくておどおどしてる他人という名の海の中に潜って、いろとりどりの、バラバラの、キラキラしたガラクタをかき集めて戻ってくる岸さんが、強烈に羨ましい。

書いている岸さんはすごく楽しそうだなと思った。自分の中に溜まった断片のつらなりを連想的に並べ立てていくこと自体に喜びを見出してるんだと思う。カードをすごく沢山持っている即興プレイヤーのような豊かさ、余裕が、文体からにじんでいる。きっと、社会学の「分析して統合せよ」「物語化せよ」という制約が押しつぶしてきた岸さんの自由な部分を、このエッセイでは奔放にはばたかせているんだろうなという感じがする。

何か言うとことを意図的に逃れているような岸さんの態度に苛立つ人もいるかもしれない。
差別はいけないとも差別は必要悪だとも言わず、ただ「どうしていいか分からない、困る」で終わるようなエッセイも多い。
でも私はそれを誠実だと思った。何も知らずに/知ろうとせずに「難しい問題ですねー」と流す態度とは真逆の、沢山の断片を持った人の保留だから。情報量が違う。情報量は行間から読み取れる。結論が無くても我々はちゃんと何かを読み取れる。

本当に、岸さんは驚くべき情報量をもっている。
「なんであなたの周りはこんなに面白いことばっか起こるの!?」「変わった知り合いが多いんだね!」という人が、あなたの周りにも一人はいると思うけど、その権化みたいな人が岸さんだ。

岸さんがインタビュワーとして優れているのは、自分自身もまたしょうもない断片のあつまりに過ぎない、ときちんと諦めているからだと思う。

自分のなかには何が入っているのだろう、と思ってのぞきこんでみても、自分のなかには何も、たいしたものは入っていない。ただそこには、いままでの人生でかきあつめてきた断片的ながらくたが、それぞれつながりも必然性も、あるいは意味さえもなく、静かに転がっているだけだ。(p193)

自分のなかにはしょうもない断片しか転がっていない、と腑に落ちているからこそ、他人の断片に興味がもてるし、相手はキラキラした宝物もゴミも全部岸さんに見せてくれるんだと思う。

対して私は、「自分て、すっごい、普通の人なんだよ、私以外の人にとって、他の人と何にも変わらない、しょうもない断片の寄せ集めに過ぎないんだよ」という、あたりまえの事実を、この年になってもまだ飲み込めていない

このエッセイは、私から最も遠いと思う。でも、久々に「こういうものを書きたい」と思うエッセイ、「こうなりたい」という書き手に会った。


そして、インタビューをしてみたいなと思った。インタビューって、通常の会話のように自分の話をし合うのではなく、一方が一方の話を聞くという別フェーズに入るから。そしたらもしかしたら私は変な我を消して、他人の海に潜れるようになるかもしれない。

先日受けたコーチングは逆に、自分の話を思う存分聞いてもらう場だった。それも通常会話とは異なり「私面白い人ですよアピール」「あなたの話分かってますよアピール」をしなくて良いから、逆に我が消えて話せた。自分のしょうもなさ、つまらなさを受け入れられた。

岸さんと話してみたいと思ったし、岸さんみたいに書きたいと思った。

もしかしたら私の文章から、「私面白い人ですよアピール」「あなたたちのこと分かってますよアピール」が抜けたら、次のフェーズに行けるのかもしれない。

そういう意味で、インタビューを、人の話を聞いて書く仕事をすることが、もしかしたら私が薄膜を破る方法の一つなのかもしれない。


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