157.大晦日ぼっち
『ぼっち』とは、一人で寂しい『一人ぼっち』の略。
***
先日、「ぼっちで寂しい!!」ということを知人から聞いて、なんだか違和感を感じたのです。
「ぼっちで寂しい?」
「わたしはどこからどう見ても『ぼっち』だけど、そういう「寂しい!」と人に言いたくなるような感情はないなー…」と思いました。
今(大晦日の夜)家に一人でいます。
恋人もいませんし、家族も遠くにいます。
合唱サークルの友人たちとも、このコロナ渦の影響から疎遠になっています。
大晦日、ぼっちです。(ドーン)
だからなんだ?という話なんですが(笑)
よくここまで平気になったものです!
私はほんっっっとに『一人』が嫌で、嫌で、寂しさを感じないために自傷的な依存行為に走っていた人間です。
それが、「ぼっちですけどなにか?」と言わんばかりに、ひとりで悠々と近所の回転寿司屋さんに行ってきました(笑)
(日中、おやつをつまんでましたから、これでもうお腹いっぱいw 大晦日感を味わいつつ、1,000円もしないお会計でした( *´艸`)満足♡)
***
私にだって人の目が気になっていた頃が、もちろんあります。
「一人で寂しい女だと思われたくない」
「一人な自分は可哀そう」
『一人』から直結するこれらのネガティブ(感傷的)な想いから解放されたこと。
それがこの一年間で変わったことのひとつです。
正直、こんな自分になるなんて、考えられませんでした。
いつも「だれかー」「だれかー」と、人を求める意識のゾンビ状態でしたから(笑)
***
今も「寂しさ」を感じることはあります。人ですから、もちろんあります。
「あ、寂しい」くらいです。
「そうだよね、寂しいね、じゃあなにしようか?」と、感情に浸るのではなく、すぐ切り替えができるようになりました。
なぜ?
自分のネガティブな感情に自分が支配されそうになったら、切り替える!ということを何度も何度もオエッっとなりながら(笑)やってきました。
その積み重ねをしていたら、あら不思議(笑)です(^_^)
一人ぼっちは悪いことでも、
悲観的になることでも、
なんでもなかったのです。
自分がそう思い込んでいただけ。
ひとりで居られる自分、
ひとりを楽しめる自分、
最高じゃないですか?|ω・)✨
そしてなにより、今、目に見えるかたちで周りに人が居なくても、
繋がっている、と自然に思えるようになったこと。
私も相手を想っているし、相手も私を想っている。
そう思える人が今はいるのです。
だから私は『一人』ですが、もう『孤独』ではない。
そう感じています。
そして、やりたいことがいっぱいある(笑)
寂しいと言ってる暇がない( ̄▽ ̄;)
(幸せ♡)
***
2020年6月から始めたnoteですが、現在92人の方にフォローしていただいています。ありがとうございます(*^_^*)
そのなかでも、毎日投稿をあげてくださり、私のnoteにも毎日のようにおいでいただいている皆さん、ありがとうございます(*^-^*)
お会いする機会はこの先もないとは思いますが、想っていただいていること、ヒシヒシと感じていますし、私も想っています♡
相互的なやりとりにいつも心温まる思いです。
来年も変わらぬペースで、自分の経験と学びを発信していきます。
お役に立てますように✨
2021年もどうぞ宜しくお願い致します(^-^)/
りみ子@元引きこもり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?