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157.大晦日ぼっち

『ぼっち』とは、一人で寂しい『一人ぼっち』の略。


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先日、「ぼっちで寂しい!!」ということを知人から聞いて、なんだか違和感を感じたのです。

「ぼっちで寂しい?」

「わたしはどこからどう見ても『ぼっち』だけど、そういう「寂しい!」と人に言いたくなるような感情はないなー…」と思いました。



今(大晦日の夜)家に一人でいます。

恋人もいませんし、家族も遠くにいます。

合唱サークルの友人たちとも、このコロナ渦の影響から疎遠になっています。


大晦日、ぼっちです。(ドーン)



だからなんだ?という話なんですが(笑)

よくここまで平気になったものです!

私はほんっっっとに『一人』が嫌で、嫌で、寂しさを感じないために自傷的な依存行為に走っていた人間です。

それが、「ぼっちですけどなにか?」と言わんばかりに、ひとりで悠々と近所の回転寿司屋さんに行ってきました(笑)

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(日中、おやつをつまんでましたから、これでもうお腹いっぱいw 大晦日感を味わいつつ、1,000円もしないお会計でした( *´艸`)満足♡)



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私にだって人の目が気になっていた頃が、もちろんあります。

「一人で寂しい女だと思われたくない」

「一人な自分は可哀そう」

『一人』から直結するこれらのネガティブ(感傷的)な想いから解放されたこと。

それがこの一年間で変わったことのひとつです。

正直、こんな自分になるなんて、考えられませんでした。

いつも「だれかー」「だれかー」と、人を求める意識のゾンビ状態でしたから(笑)


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今も「寂しさ」を感じることはあります。人ですから、もちろんあります。

「あ、寂しい」くらいです。

「そうだよね、寂しいね、じゃあなにしようか?」と、感情に浸るのではなく、すぐ切り替えができるようになりました。


なぜ?


自分のネガティブな感情に自分が支配されそうになったら、切り替える!ということを何度も何度もオエッっとなりながら(笑)やってきました。

その積み重ねをしていたら、あら不思議(笑)です(^_^)



一人ぼっちは悪いことでも、

悲観的になることでも、

なんでもなかったのです。

自分がそう思い込んでいただけ。



ひとりで居られる自分、

ひとりを楽しめる自分、

最高じゃないですか?|ω・)✨



そしてなにより、今、目に見えるかたちで周りに人が居なくても、

繋がっている、と自然に思えるようになったこと。

私も相手を想っているし、相手も私を想っている。

そう思える人が今はいるのです。

だから私は『一人』ですが、もう『孤独』ではない。

そう感じています。



そして、やりたいことがいっぱいある(笑)

寂しいと言ってる暇がない( ̄▽ ̄;)


(幸せ♡)


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2020年6月から始めたnoteですが、現在92人の方にフォローしていただいています。ありがとうございます(*^_^*)

そのなかでも、毎日投稿をあげてくださり、私のnoteにも毎日のようにおいでいただいている皆さん、ありがとうございます(*^-^*)

お会いする機会はこの先もないとは思いますが、想っていただいていること、ヒシヒシと感じていますし、私も想っています♡

相互的なやりとりにいつも心温まる思いです。

来年も変わらぬペースで、自分の経験と学びを発信していきます。

お役に立てますように✨

2021年もどうぞ宜しくお願い致します(^-^)/


                   りみ子@元引きこもり


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