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「自己責任論」は思考停止の始まり

少し前、友人からとても興味深い本を教えてもらった。

イチロー・カワチというハーバード大学の教授が書いた『命の格差は止められるか』という新書。

ハーバード大教授と言われると、しかも新書って、なんとなーく難しい内容が書かれているイメージがあるかもしれないけれど、その真逆で、正直この1年くらい私が読んだ本で最も読みやすく分かりやすく面白い本だった。本当の頭の良さとはこういうことか・・・と思い知らされるレベルの。小学生高学年くらいであれば、たぶん読める。

イチロー・カワチという人は、医者なのだけれど、今は社会疫学というものを研究しているらしい。お恥ずかしながら、初めて知った学問。

ざっくりいうと、医者というのは、病気になった人を治す仕事。対して社会疫学っていうのは、社会全体を見渡した時に「病気になる人」をいかに少なくするか、ということを考える学問らしい。こういうのを、パブリックヘルス、というとか。

この本では「命の格差」つまり、「健康にも格差がある」ということを書いている。その格差というのは、所得であったり、学歴であったり、職業であったり、居住地であったり。あらゆる条件下で、死亡率が異なっているらしい。一つの指標だけで挙げるとすれば、貧乏であればあるほど死亡率が高く、裕福であればあるほど死亡率が低い、ということ。

ある意味納得感があるし、ある意味酷な研究結果だと思うけれど、その悪循環をどうしたら止められるのか、というのが書かれているのがこの本だった。パブリックヘルス、の出番らしい。

よく、発展途上国の貧困層や難民を取材したニュースや特番なんかで、ふくよかな人が映ることがあるけれど、お金がないのにたらふく食べている、という訳ではない。所得が少ないほど太ってしまうのは、たくさん食べているからでは無く、偏ったものしか食べることができないから。栄養価が低く、安価なものは、概して太りやすいらしい。

なるほどなるほど、と思いながら読み、かなり感銘を受けている時に、先日飲食店でこんなお弁当を食べた。

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まさにその本に書かれていることが表れているようなお弁当で、食べながらハッとした。

その本では、アメリカ人になぜ肥満が多く、日本人は健康で平均寿命が長いのか、を説いていた。よく「自制ができないから太るんだ」とか「太っているのは自己管理能力がないことのあらわれだろう」という声を聞くのだけれど、この本ではそういったいわゆる「自己責任論」を否定している。もちろんそういった個人の性格等に起因する部分もあるかもしれないけれど、社会という大きな括りで見ると、自己責任ではなく、そもそもの「社会のつくり」がそうさせているらしい。

アメリカで売られているポテトチップスの袋は、日本で売られているポテトチップスの袋よりずっと大きい。アメリカで飴を買うと、個包装が無く、裸の飴玉がぎっしり詰まった袋が売られているため、一度に何粒もの飴を口に放り込むことができるけれど、日本では一粒一粒が個包装に包まれているから、一度に何粒も舐めようとする人は少ない。アメリカでは、飲食店で出されるお皿一つ一つが大きいけれど、日本人がよく使う器は、小さくて料理を細々と盛り付けられるようになっている。

上のお弁当を食べながら、確かにそうだな、と思った。お弁当でなくたって、日本のいわゆる定食や御膳みたいなものは、小さな器に少しずつ盛り付けられていて、白米を中心としながらそれらをちょっとずつつまんで、食べる。これでは「食べすぎる」ことがないだろうし、ゆっくり食べることになるから比較的早くお腹がいっぱいに感じるだろう。

パスタなんかは、意外に量が多いのに、一皿に盛り付けられてあってとても美味しいからぺろっと平らげてしまう。そして食べ終わった後になって、満腹感に襲われる。これじゃあ、日本人が痩せ型になるわけだ、と思った。

これは、日本人が偉いわけでも優秀なわけでもない。「たまたま」そういう文化だっただけなんだろうと思う。(この本では、文化の成り立ちまではわからなかったけれど)そして逆に言えば、アメリカ人総じて不摂生で健康意識が低いから肥満になるのだ、とも言い難い。「社会」がそうさせている。だからこそ、変えるべきは「社会全体」なのだ、ということらしい。

※上記の例だけ読むと、食事は何品も作らなければならない、とか、幾つもの器を使わなければならない、とか、個包装バンザイ!みたいに読み取られる可能性もあるけれど、それらはそれらで別の論点(個包装はエコではない、日本の家事は手間がかかりすぎている等)があるので、それが良いということを言いたいわけではない。

「パブリックヘルス」の中で一般的によく行われているのは、CMやポスターなんかで見る「喫煙は体によくない!」というような啓蒙キャンペーン。ただ、これはそもそも情報感度の高い人や健康意識の高い人にしか届かない可能性があるから、格差をより一層広げてしまうリスクもあるらしい。社会で生きる全ての人に影響力を持つためには、国が法律や制度を作るという方法があるとか。例えば、栄養価の高い食品に国が補助金を出して、安価で提供するようにする、とかどう?(これは私が今思いついただけだけどもうやってるのかな?)

また、キャンペーンなんかは、マーケティングのプロである民間企業の力が有効らしい。結局人間は「綺麗なモデルさんはみんなマイボトル持ってるなぁ」とか、そういう単純な感覚で動く生き物だから、理屈をいくら捏ねても伝わらないこともある。そういう時には、民間企業の底力が発揮されるみたいだ。

社会疫学の研究者が一生懸命調べた研究結果を元に、官民一体になって、どんな環境に生まれ落ちた人でも「健康」というかけがえのない財産を手に入れることができたなら、とても幸せな世の中だなぁと思う。負の連鎖は、どこかで止めなければならない。

もし自分がそこに加わるのであれば、どんなところで役立てるのだろうか。そんなことを考えると、ワクワクする本だった。とりあえず今私に出来るのは、こんな考え方があるらしいよ!と、このnoteに書くことぐらいかな。

紹介した内容はほんの一部でこれ以外にも興味深い情報や実験結果が満載だし、「自己責任論」が耳障りな今、健康だけでなく、会社組織とか色々な事象にも当てはまるような深い内容だなぁと思った。気になる方は是非。

Sae

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