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Noteの一部記事を「金額あり→金額なし」に戻した理由


※ここでは金額あり設定の実質無料の投げ銭方式→金額なし設定にした経緯を書いています。


今、自分自身の立場は、決して余力がある立場ではない。だからアルバイトをして、就職活動もしながら、勉強をして、記事を書いて、ラジオを収録している。

ギリギリのお金と合わない仕事のなかで
経歴と年齢で通らない就職活動に心が折れそうになりながら
これまでのことや現在考えていることを発信している。

その中で、noteの機能である「金額設定」を記事にするべきではないか。という反応があった。確かに、今後続けていくうえでは、生活資金や活動資金は必要である。

合わない仕事をして、いつまでも就職活動で戦い続けるよりも、今できることで繋いでいくほうが現実的なのかも知れないと思った。

金額設定をすることで、様々な意見が出てくるだろう。

そもそも、自分の記事に自信があるわけではない。
自分の書いていることが万人受けするものではないから。

もちろん、傲りがあるわけではない。

でも、何かを続けていくためには「お金」は必要になってしまう。

そのための一つとして「金額設定」を行ってみたのだ。ただ、金額設定は行ったが、実質無料の投げ銭方式にした。しかし、予想した通りの結果になる。


ちょうど先週(12/1)のあたりに金額設定を行った。そして、1週間経って、先々週(11/24-12/1)とのアクセスを比べてみると2倍ほどの違いが数字として表れてしまった。


特に、定期的に読んでいただいている記事に付けたことや最近の記事から設定したことで如実に表れたのかもしれない。

noteの記事でお金を取ること自体、土壌として育っていないことやnoteの記事の役割のようなものが関係しているのかもしれない。

良質な記事を無料で読めるということが社会での認知としてあるからである。そもそも、お金を取るというスタンスが難しいのかもしれない。

note自体は、金額設定をするなどクリエーターに対する支援と謳っている。しかし、実際の支援や拡散をするのは「有名人やnoteの独断と偏見で選ばれた人や記事」のみである。そして、土壌自体を商業や資本主義という立場とは真逆の形成を促してしまった。

そうなるとnote内で資金を獲得できるのは、違法な商売方法(詐欺紛いなもの、出処不明なものなど)かそもそも商業ベースにいた人や有名人のみということになる。

だから無名で金額設定をするというのは、実績も肩書もない人間の傲りとして受け取られてしまう。単に、自分の能力がないという結果とも言えるが・・・。

noteは、とても簡単で、とてもシンプルに自らの意見を書くことができる。
そして、自分も1万人以上の人々にフォローしていただいて嬉しい。

しかし、Twitterとは違い、そこから何かしらの仕事に結びつくことはない。
仕事や本に結びついている人たちは、そもそも有名であったり、別の媒体の実績がある。

結局、noteでやっていることはブログの意味でしかなく、大きな媒体や他のメディアでは描けないことをnoteで補完することで拡散や仕事になるということなのだろう。

noteという媒体だけで書いている自分は、商業ベースを出せば見てくれる人いなくなってしまうし、売れるような(マジョリティに好かれる内容)ではないため日の目も浴びれないということである。

だとするならば、なんために書いているのかということになる。

できることを模索して、言葉を封じられてきたからこそ書いて、それが誰かの力になって、社会がそれに気が付いて変わってほしい、あるいは、変わるための一歩を成し遂げたいから。

でも、そのためには書いているだけでは難しいのである。

自分が野垂れ死覚悟はない。もうこれ以上しんどい思いもしたくないのも本音である。


基本、noteでは金額設定をすることはお勧めしない。何かを発信するならば、何かしらの余裕が必要であるし、別の場所で有名になっておくこと、あるいは人脈を広く作っておくべきである。

そして、なによりも多くの人に好かれるような内容でなくてはならないということだ。

自分は、それをするつもりもないし、することもできなかった。

ここはあくまでも無料ブログである。


でも、この場所できっと何かできるはずと信じている。

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