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脱学校的人間(新編集版)〈68〉

 人が所属し構成している社会、そして国家においては、罪人とはその社会=国家への敵対者であり、そのようにある特定の人が「罪人=敵対者として名指しされること」はすなわち、もはや彼らが「その社会=国家の構成員ではない」ということの、社会=国家による証明であり宣言(※1)であるものと見なされる。彼らは社会=国家によってなされたその証明と宣言により、まさしく「非−国民」と見なされることになる。
 なぜ、そうなるか?
 彼らをその社会の構成員=国民のままにしておくと、彼ら自身がその社会=国家の中で存在し続けることと共に、彼らの罪すなわち「この社会=国家に敵対する」振る舞いやその事実もまた、この社会=国家の中に存在し続けうるということも、同時に認めてしまうことになるからである。

 そこで「一般の」国民は、こう考えるわけだ。
 それではまるであたかも「私たち国民」までもが、彼らと同じような罪を犯すことになるかもしれない、ということにされてしまうのではないか?それは「国民として」全く我慢のならない恥辱だ!
 私たちは、私たちの社会=国家に対して忠実に従っている。その私たち国民において、私たち自身の社会=国家に対し、何ら敵対的な意志などあるはずもない。そのような私たち「従順な」国民において、一体どのような罪があろうか?ありうるだろうか?あるはずがないではないか!
 ゆえに私たち国民は、私たち自身はけっして罪人ではありえないのだということを証明し宣言するためにも、「実際の罪人、すなわち私たちの社会=国家に対する敵対者を、私たちの社会=国家の規律あるいは法の違反者として追放するか、公敵として死刑にするかして、私たちの社会=国家から除外しなければならない」(※2)のだ。そうでなければ私たち国民も、私たちの社会=国家から追放され除外されうることを受け入れなけばならなくなってしまうのではないか!

 私たち国民は、私たちの社会=国家に従う、私たち自身の社会=国家の、その諸機能の主体である。
 反して「彼ら=罪人」は、私たちの社会=国家に従わず、私たちの社会=国家の諸機能を毀損しようというのである。
 ところが彼らときたら驚き呆れ果てることに、罪人の分際であるにもかかわらず、なおもまだ「この国に居住している」がために、私たち一般の国民と同様に、この国家の一員であると自認している(※3)のである。なんと厚かましいことか!
 彼ら罪人が「国民として生きているというだけ」で、ただそれだけで私たちの社会=国家の諸機能は損なわれてしまうのである。
 ゆえに私たち国民は、国民としての権利にもとづいて、以下のごとく宣言するのだ。
「…国家の維持は彼(罪人)の生命維持と両立できない。いずれかが滅亡しなければならない。…」(※4)
 彼ら罪人の存在が、すなわち「私たちの社会=国家」の危機そのものなのだ。彼らは、私たちの社会=国家の敵である。彼らの排除は、私たちの社会=国家にとって、何をおいても「必要なこと」なのである。
「…社会の法を攻撃する悪人はすべて、その大罪によって祖国に対する反逆者、謀叛人となる。…」(※5)
「…(罪人は)祖国の法を破ることによって、構成員の資格を失い、祖国に対して戦争をすることさえある。…」(※6)
「…罪人が殺されるのは、市民としてより、敵としてである。…」(※7)
「…敵は、法的人格ではなく、単に人間である…。」(※8)
 罪人であるということは、彼がまさに社会=国家に対して戦争を起こしたのだと見なされているということである。ゆえに彼は、社会=国家集団の「外」に置かれるべきものなのである。そして彼らはあくまでも「外の者」として、つまり「敵」として殺されるべきなのだ。

 しかし一方で彼ら罪人の、その罪人であるべき理由とは、あくまでも彼がこの社会=国家に対して罪を犯したということ、つまり「その社会=国家集団の内部における法の適用によるもの」であることによって、その正当性を持つものである。ゆえに彼は「罪人として殺されることによって、むしろその社会=国家集団に含まれる者となる」わけだ。そしてそれが、その社会=国家集団にとって「彼を殺すことの正当性」あるいは「大義名分」にもなるのである。
「…執政体が『おまえの死ぬのは、国家のためになる』と言えば、市民は死ななければならない。…」(※9)
 このことは別に、「お国のために死んで役に立て」と言っているのではない。「社会や国家のためにその生命を捧げよ」とか、「その身を捨てて社会や国家の恩に報いるべし」などという、「高潔な精神」を謳っているわけではない。
 それはただ単に、「死んで存在しなくなることだけが、お前が国家のためにできる唯一のことだ。だから死ね。死んで存在しなくなれ」と言っているだけのことである。罪人に求めるべきことは実にシンプルだ。つまり「もはやお前は市民として死ぬことは許されず、市民の敵として死ななければならない。敵であるお前は、私たちの社会=国家の害悪であり、そのような者が死ぬということは、私たちの社会=国家にとって有益なのだ。だから死ね。死んで私たちの利益となれ」と言っているのである。
 そして、この罪人への要求の正当性とは、あくまでも「私たちの社会=国家の法」にもとづくものであるということにおいて担保されているのである。私たち国民が私たちの利益のためにすることは全く正当なことではないのか?
 こういった私たち国民の要求に、私たち自身が何ら「良心の呵責」を覚える必要などはかけらもない。むしろ私たち国民の要求は、全く「私たちの良心によるもの」なのだ!

 とはいえ、人間とは社会の「中」においてでなければ生きていくことができないものだと設定されているならば、社会から追放され除外された者はただそれだけで、もはや瞬く間に死ぬことになるであろう。殺されるまでもなく、彼ら罪人はまるでそれが自らの運命であるかのように「ただ単に死ぬ」のだ。
 結局のところ彼ら罪人に対する殺戮は、誰が手を下すまでもなく、誰に罪が及ぶこともないように、ひっそりと「自動的に」遂行される。いずれにせよ「一般市民」の手はいっさい汚れない。彼らの「正当性」は、彼ら自身が意識する必要もなく担保されるのである。
 そのように、「私たちの敵対者」を罪人として排除することで「私たちの秩序」を維持しようとする、社会的人間あるいは一般的人間すなわち国民は、しかし今度は、自分自身がいつそのような罪ある者と特定されはしないかと、常に不安を抱えながら生きている。そのような不安とは、実はすでに彼ら自身で自らの「社会への敵対を予想しているからこそ」のものなのではないのだろうか。だとすればむしろその不安は、それ自体として「すでに罪となっているもの」なのではないのだろうか?
 とすれば「まだ罪人ではない」一般の人たちは、いつか実際の罪に問われるよりも前に、そのような不安をもって罪を先取りし、それによって実際の罪に問われることへの恐怖を解消しているかのようである(※10)。あるいはそのような不安を抱える人は、むしろ実際に罪を問われたときにはじめて、ようやく自分の居場所を見つけることができたかのように思い、心からの安堵が得られるようになるものなのかもしれない。
 一方で、「すでに罪人として社会的に定められた者たち」が、かえって自らが罪人であるということを「自らにおいて正当化する」ようなこともよくあることだ。つまり、「自らが罪人であるということに、自ら意味あるいは価値を与えることで、それによって自らを社会的に位置づける」というわけである。罪は、むしろ彼らに「自らの居場所」を見出させてさえいる。そんなときの彼らは、もしかしたら「もはや罪人であるようには見えない」ものかもしれない。時として反逆者が、あたかも英雄に見えるかのように。とすれば彼らにとって罪人であることは「むしろよいこと」にすらなるのかもしれない。

 何者かであること、「何者かである」という名を自分自身として持つこと。それが一体「どのような意味を持つことであるか」は、あるいはそれが「どのような価値を持つものであるか」は、結局のところそれが自分自身にとって利するものとなりうるか否かにかかっているようだ。自身に利するものであるならば、人は容易にそれを受け入れるだろう。逆に害するものならば、人は何としてでもそれを避けようとするだろう。もちろん「名づけられること」は、自分自身の「外」からなされるものであるが、それを「受け入れるか否か」は自分自身の感性的な判断によるのであり、その結果は自分自身に内面化されることになるのである。
 自分自身が何者かであること、それが自分自身の利害感性において判断され決定されているものであるからこそ、人は自分自身であろうとすることをさておいてでも、まずはともかく何者かになろうとする。なぜなら自分自身である限り人は、自分自身が何者であるのかがわからないからだ。ただ、何者でもない自分自身には「そもそも本質的に何もない」ということだけは、身に沁みてよくわかっている。何しろ、自分自身そのままでいる限り人は、他の者たちと同じようなものでしかないことは、子どものときから存分に思い知らされてきているのだから。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 ルソー「社会契約論」
※2 ルソー「社会契約論」
※3 ルソー「社会契約論」
※4 ルソー「社会契約論」井上幸治訳
※5 ルソー「社会契約論」井上幸治訳
※6 ルソー「社会契約論」井上幸治訳
※7 ルソー「社会契約論」井上幸治訳
※8 ルソー「社会契約論」井上幸治訳
※9 ルソー「社会契約論」井上幸治訳
※10 フロム「正気の社会」


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