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留学思い出話

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‘95年夏〜’99年冬 コロラド州デュランゴ フォートルイスカレッジ、’00年1月〜’01年12月 ボストン バークリー音楽大学で過ごした約6年半の大学留学生活の思い出を綴ってい… もっと読む
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記事一覧

【留学体験記④】一般教養はつらいよ…の話

【留学体験記④】一般教養はつらいよ…の話

前回「【留学体験記③】早速アメリカ大学生活の洗練を受ける」の続き。
今回は1999年9月〜フレッシュマン・イヤーがスタートしてからの学業の話。

私の通っていたフォートルイス・カレッジはコロラド州立のリベラルアーツ・カレッジ。
なので、専攻が音楽であろうとなんだろうと他学部の方々と同じ一般教養を取る必要があった。

(ちなみにTOEFLは一応形式上現地で受けたが、留学機関の提携校だったので、入学前

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留学思い出話〜ボストン編③…夏休みに両親がやってきた

留学思い出話〜ボストン編③…夏休みに両親がやってきた

2000年1月にバークリーに入学し、最初の夏休み。

両親がボストンに遊びにきた。
せっかくなのでボストン観光に加え、私自身も行きたかったタングルウッド音楽祭にも一緒に行こうと思い、私は計画を立てた。

早速まさかの事態に遭遇…

以前家族でハワイに行った時にコンドミニアムに泊まったことがあったのだが、母がホテルよりも楽しいと気に入って、ボストンでもコンドミニアムが良いと希望してきた。
私は市内観

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留学思い出話〜ボストン編②…アパートとルームメイトの話

留学思い出話〜ボストン編②…アパートとルームメイトの話

初めて男性ルームメイトと住む心構え

前回①のつづき。

なんとかユースホステルに滞在している2週間の間にアパートを見つけることができ一安心だった一方で、ユースを出たら、今度はよく知らない、友達ですらない日本人男性と同居するという新生活が始まる。
私は日本から渡米してきたばかりの男性ルームメイトと生活するにあたり、気持ち的にも実生活の面でもいろいろと折り合いをつける必要があった。

まず彼に「異性

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留学思い出話〜ボストン編①…4年半住んだデュランゴから引っ越し

留学思い出話〜ボストン編①…4年半住んだデュランゴから引っ越し

1999年5月に私はコロラド州デュランゴのフォートルイス大学を卒業し、約半年間の準備期間(レストラン、教会、小学校でピアノ弾いて小遣い稼ぎしつつの浪人生活)を経て、2000年の1月からボストンのバークリー音楽大学に入学することになった。
9月入学が一般的だが、私は他の音大の大学院の受験をした後にバークリーを決めたので、9月は間に合わず、翌年1月の入学になった。
バークリーは確か、秋・春・夏の3学期

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【留学体験記③】早速アメリカ大学生活の洗練を受ける

【留学体験記③】早速アメリカ大学生活の洗練を受ける

前回の【留学体験記②】とにかく渡米してしまった では、ホストファミリーに見送られて寮に入ったところまで話した。
1995年9月、コロラド州のデュランゴという山に囲まれた小さな町で、いよいよ本格的に大学生活がスタートした。

人生初の寮生活

まずFreshman Dormという新1年生専用の寮に入らされた。
平屋造りコの字型の建て物で、手前半分が女子、奥半分が男子に分かれていて、男女各セクションに

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留学思い出話〜サイアクの出会いから大恋愛へ…?!

留学思い出話〜サイアクの出会いから大恋愛へ…?!

1996年 大学1年を修了した夏休みのこと。
私は7週間のChautauquaサマープログラムを終え、8月中旬頃にデュランゴへ戻ってきた。

見知らぬ男と爆破予告

大学の音楽学部のある建物にはピアノ専攻の生徒用に鍵付きのグランドピアノ練習室が1つあるのだが、それ以外のアップライトピアノの練習室は全て開放されていて、音楽学部以外の生徒も使える。なので、時々見慣れない顔の生徒もぽろぽろピアノを弾いて

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留学思い出話〜憧れの先輩とジャズとの出会い

留学思い出話〜憧れの先輩とジャズとの出会い

1995年、コロラド州デュランゴという町にある小さな総合大学の音楽学部1年生の時の話。

訳のわからぬまま大仕事を引き受けてしまった…

大学生活が始まり、まだピアノをしっかり勉強し始めたばかりの私に、先生がものすごいチャレンジングな話を持ちかけてきました。トランペット専攻の先輩Erinnのシニアリサイタル(卒業リサイタル)で演る曲の伴奏をやってみないか?とのこと。
渡された楽譜に”CONCERT

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留学思い出話〜大学3年のピアノリサイタル

留学思い出話〜大学3年のピアノリサイタル

1998年の話になります。
私の通っていたコロラドの大学は当時生徒数約5,000人の州立大学で、おそらく50名ほどだった小さな音楽学部に教育学科と演奏科がありました。
教育学科は4年生のシニアリサイタルだけで良いのですが、演奏科は3年生の時にも30分のハーフリサイタルが必須でした。私はピアノ演奏科を専攻していましたので、3年生の時にジュニアリサイタルを開催しました。

リサイタル…?!30分も出突

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【留学体験記②】とにかく渡米してしまった

【留学体験記②】とにかく渡米してしまった

前回の①を書いてから1年以上経っていたが、続きを書こうと思う。

日本国内での英語研修を全て終えると、渡米の日まで10日ほどしかなかったと思う。
合宿の期間中からもうビザの準備は進んでいて、後は実際の持ち物の準備や会っておきたい人に会いに行くなど、とても慌ただしかった。
1浪して全落ちして絶望感に打ちひしがれていた私が会いたかった人なんて居たのか…という話だが、突然異国に住むことになり精神的に切羽

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留学思い出話〜初めての愛車

留学思い出話〜初めての愛車

'95年の9月にコロラド州デュランゴという町で大学生活がスタートした。

最初の1年は学校の寮に入っていたのだが、修了後すぐ、仲良くしていた同期の日本人で数学専攻のTちゃんと町でアパートを借り、一緒に住む事になった。そして、2年目からはしばらくバスで学校まで通うことにした。

学校は山の上、町は麓にある。町の標高は1,988メートル(Wikipediaより)。アスリートが高地トレーニングするような

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留学思い出話〜2001.9.11 ボストンで最後の新学期を迎えた直後のこと

留学思い出話〜2001.9.11 ボストンで最後の新学期を迎えた直後のこと

2022年9月11日。今朝、Twitterで
【「最悪の1日」孫は知らない9.11】
とキャプションのついたこちらの記事を偶然目にした。
21年前の今日、私はボストンでの学生生活最後の学期を迎えたばかりだった。
正直今でも映像は見れない。毎年日本のニュースで流れる程度のことも見るのを避けてきたのだけれど、21年…、時を経てやっと冷静にこの記事は読むことができた。

忘れてきたからこそ、やっと当時を

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留学思い出話〜夏のChautauqua(シャトークア) School of Musicピアノプログラム編

留学思い出話〜夏のChautauqua(シャトークア) School of Musicピアノプログラム編

軽く経緯から。
私は高校を卒業して1浪した後、20歳からアメリカの大学に留学した。
日本で大学受験の勉強をしていた頃から英語だけ好きで、読み書きはまあまあできたのだが、とにかく喋るのが苦手だった(英語に限らず日本語でももともと私は口が重い) 。
そんな私の性質を知った上で、留学を勧めてきた母が「向こうで大学に行くならピアノができるところにしなさい!」と猛プッシュしてきた。英語が喋れない上に専攻も決

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【留学体験記①】決意してからのこと

【留学体験記①】決意してからのこと

1995年、1浪で大学受験に失敗した直後の3月20日、留学機関にお世話になり、同年9月からアメリカ留学することが正式に決まった。(その経緯はコチラ⇨"役に立たない受験体験記④〜20数年前、1浪で受験失敗、その後進路は…?")

提携大学への留学ということで、TOEFLは一旦免除(形式上必要だったため入学後に受けた)。だが、免除ということはもちろんそれなりの対価がある。
4月中は都内の留学機関オフィ

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