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ずっと、母が嫌いだった

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ずっと母が嫌いだった

ずっと母が嫌いだった

昨年、母と決別した。

もう、関わらない、と決めて家族の前で宣言した。

途端に、悪夢を見なくなった。

母を怒鳴り付けたいのに声が出ない、

母を殴りつけたいのに足が動かず近寄れない

なんでなんでなんで、声が出ないの!今こそ言ってやるその時なのに!

焦るほどに喉は詰まり、足は言うことをきかない。

泣きたくなるほどの焦燥。

そうしたものからスコン、と解放され、清々した。

亡くなった父には

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ずっと母が嫌いだった 終

 前のテキストでは、向き合わないといけない、一度きちんと見詰めなければいけない、自分が被った児童レイプの被害について、やっと、告白することができた。しかしどなたでもどうぞ、知ってください、という気持ちには未だなれず、匿名で、有料にした。言うなれば簡単な鍵を掛けたようなスタイルだ。しかし、それでも短いものしか書けなかった。詳細に覚えているがその全てを書くと、官能小説のようになってしまうだろう。あの短

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ずっと母が嫌いだった 9

ずっと母が嫌いだった 9

 小学生の頃、夜遊びと浮気にせっせと精を出していた母。

この頃の私は、性的いたずらも受けていて、しかしそれが何なのかも当時はよくわかっていなかった。

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ずっと母が嫌いだった 8

ずっと母が嫌いだった 8

(行政書士が活動停止処分になるまで)

 母が雇った行政書士は、土地登記に関わるという違法行為を犯した。

このことについて、まずは行政書士会へ不服申し立てをした。しかし、のらりくらりとした対応で埒が明かない。役所で行われている市民相談に出向き話したところ、身内同士、守る意識が働いているのだろう、という。

そこで、県庁へメールを送ってみることにした。

調べた限りでは行政書士に対する懲戒は、都道

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ずっと母が嫌いだった 2

ずっと母が嫌いだった 2

 昨年二月に逝った父は、病院を三カ所変わった。

病名が判明しなかったためだ。

一院目の病院で誤診され、移動した病院では結果的に無駄な手術を施され、

そこから更に移った病院で

「もう、助からないのだろう」と覚悟を決めたようだった。

長女である私がお見舞いに行くと、遺産の話ばかりをするようになった。

遺産と言っても、いち会社員の財産なので、自宅建物と土地だけである。

であるが、元朝鮮引き

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ずっと母が嫌いだった 3

ずっと母が嫌いだった 3

 父がまだ元気だった頃、実家を二世帯住宅にして一緒に住まないか、と持ち掛けられたことがある。私達夫婦の一人娘はまだ幼く、保育園に通い始めた頃だ。

私が専業主婦で娘にかかりっきりになっていた時、夫が入院した。腫瘍である。夫の退院後すぐ、私はパートの仕事を始めた。

幸い術後の経過はとても良かったが、何しろガンである。今後何がどう転ぶかわからない。心配した父からの、一緒に住まないかという申し出であっ

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ずっと母が嫌いだった 4

ずっと母が嫌いだった 4

 父は、母の浮気に気が付いていたと思う。

私がまだ小学生だった頃、父は単身赴任で家を空けることが多くあった。元来家庭に向いていない母は、子ども達が幼いにも関わらず、家庭に縛り付けられることを嫌い、商売を始めた。

タバコの販売である。

父は、この「母の商売」をやらせたことをずっと後悔していた。初めは自宅の一部を増築し、小規模なコンビニのような店を始めた。その後近所のもっと車通りの多い場所に同じ

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ずっと母が嫌いだった 5

ずっと母が嫌いだった 5

(自筆証書遺言の開封編) 

 父が亡くなり、その亡骸は病理解剖された。死因は脊髄梗塞だろう、という診断を下されていたが非常に稀な病気だったため、研究材料とされたのだ。解剖が終わり、父を引き取りに出向いたときには、血の滲む頭部の傷に、怒りを覚えた。父を助けてくれなかった上に、こんな大きな傷まで作って、と。

父の葬儀には定年後の父が情熱をもって活動していた、歩こう会の面々が協力してくれた。会社員時

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ずっと母が嫌いだった 6

ずっと母が嫌いだった 6

 母の怒りは凄まじかった。電話口で怒鳴りつけられた私も「何言ってるの、お母さんもお父さんから言われていたでしょう。三重のおじさん達だって一緒に聞いていたじゃない」と、親戚の存在もほのめかしたりしながら、初めはなんとかいさめようと努めた。

しかし、次第にふつふつと怒りが込み上げてきて、それは弾けた。

気付けば「ふざけるな!」と怒鳴り、電話を切ったのだった。

そして、兄弟間のグループラインに、相

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ずっと母が嫌いだった 7

ずっと母が嫌いだった 7

(母への反撃開始) 

 母が好き勝手にしていることをそのままにはしておけなかった。横浜の親戚との縁は元々薄いのでともかくとして、三重の親戚はとても大切な人達だ。

幼少の頃から母に可愛がられた記憶のない私は、母と一緒にお風呂に入った記憶もない。

小学校の長い夏休みは、三重県の祖母の暮らす家にしばらく預けられていた。子どもは三人なのに、預けられるのは大抵私一人だけだった。洋服の仕立て屋だった祖父

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