たかぱん

お読みくださり、まことにありがとうございます。プロテスタントのキリスト者・父・塾教師・…

たかぱん

お読みくださり、まことにありがとうございます。プロテスタントのキリスト者・父・塾教師・偏向的な本好きとして、生き生きと歩むことができるような言葉を聖書から誰かに提供できたら、と願っています。書くことに力を注いでおりますが、ここから何かを拾ってくださればなによりです。

マガジン

  • レスポンス

    礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だと考えました。

  • 表メッセージ

    もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取り次ぎをお手伝いします。

  • ショートメッセージ

    聖書から日々黙想をしている中で、短いひとまとまりのメッセージを書き留めています。それをおすそわけします。ご面倒ですが、聖書箇所について聖書を開くか、検索してくださると、いっそう身近に感じられるとお薦めいたします。

  • 教育のはしくれ

    塾産業の中で教育などと偉そうには言いませんが、父親として息子たちと向き合ってきた一人としての体験と意見。時代的に早すぎた「イクメン」としての背景から、言葉を零してみます。

  • 本とのつきあい

    本に埋もれて生きています。2900冊くらいは書評という形で記録に残しているので、ちびちびとご覧になれるように配備していきます。でもあまりに鮮度のなくなったものはご勘弁。

記事一覧

目を覚ますことと祈ること

説教に「まくら」などという言葉を使うのは不適切かもしれないが、説教者により、いくつかのタイプがあるように思われる。まず人間的な挨拶から始めるタイプ。人への気遣い…

たかぱん
7時間前
3

守れない戒め (出エジプト20:17, 申命記5:21)【十戒⑩】

◆家か妻か 十戒を辿る11週の旅が終わろうとしています。いよいよ最後の戒めとなりました。この第十戒を開くとき、私たちは戸惑います。出エジプト記と申命記とで、始まり…

たかぱん
21時間前
1

立ち上がらせたのは幻

イザヤ6:1-8    私イザヤは、玉座の主を見ました。それは、ウジヤ王の死の年でありました。ウジヤ王は、半世紀ほどの長きに渡り、南ユダ王国を治めました。北イスラエル…

たかぱん
22時間前

『宗教と子ども』(毎日新聞取材班・明石書店)

当然、と言ってもよいと思う。2022年7月8日の安倍元首相銃撃事件から、毎日新聞社に、ひとつの取材が始まった。   宗教とは何か。これを問うことも始まった。特にその狙撃…

たかぱん
1日前

隠れた差別感

エフェソ2:11-22    「無割礼」とイスラエル人が呼ぶとき、そこには侮蔑の意がこめられていたと思います。ダビデが、ペリシテ人のことをそのように呼んだことがあります…

たかぱん
2日前

教会の問題

教会もまた、ひとつの組織である。だが、新約聖書で「教会」と訳されている語は、私たちがイメージするものとはだいぶ違うように思われる。   もちろん、建物のことではな…

たかぱん
3日前
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イザヤ書が閉じられる

イザヤ66:18-23    「私は来る」との預言を以て、大預言書イザヤ書が閉じられます。第三イザヤなどと呼ばれていますが、学説はどうでもよいのです。とにかくイザヤ書がこ…

たかぱん
4日前

どうしてそんなことができるのか

凶悪事件に、若者が群がっていたということで、ワイドショー関係は盛んに話題にした。世間を驚かす殺人事件だと、時に容疑者の「心の闇」を暴こうとする世間。それは浅薄で…

たかぱん
5日前
2

信仰深そうに見せていても

ホセア6:1-6    「さあ、我々は主のもとに帰ろう」と聞くと、主に対して誠実な民の声のようです。主は癒やし、包んでくださるという信頼が、ここにあります。「主は主は…

たかぱん
6日前

絶望ゆえの勝利

黙示録を読み解くひとときが続く。17章が開かれたが、ここから18章辺りまでが、実に黙示録らしいというか、謎めいた記述が犇めいているという。それは荒唐無稽なもののよう…

たかぱん
7日前
1

偽りの証言を超えて (出エジプト20:16, 申命記5:20)【十戒⑨】

◆偽証と嘘 隣人について偽りの証言をしてはならない。(出エジプト20:16)   出エジプト記も申命記も、殆ど変わりはありません(原語にわずかな違いはある)。「偽りの証言…

たかぱん
7日前
2

『現代思想04 2024vol.52-5 特集・<子ども>を考える』(青土社)

曲がりなりにも教育を生業としている以上、「子ども」が特集されたら、読まねばなるまい。「現代思想」は、多くの論者の声を集め、内容的にも水準が高い。そして同じことを…

たかぱん
7日前
3

共に苦闘するパウロ

フィリピ1:27-30    私は今にも殺されるかもしれない。だが、できれば、もうしばらく生きていたい。生きてあなたがたに会いたい。こんなパウロの心の揺れを吐露するよう…

たかぱん
8日前

『説教25 説教塾紀要』(教文館)

自分の手の届く世界ではなかった。説教のプロたちの営みは、遠い雲の上の世界だった。「説教塾紀要」の存在は知っていたが、自分が読むようなものではない、と思っていた。…

たかぱん
9日前
3

信じる故の勇気

ヨハネ16:25-33    「もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る」とイエスが言います。その「時」とはいつのことでしょう。誰の、どんな時なのでしょう…

たかぱん
10日前

若葉のいろ

「ファースト・オブ・メイ」と聞いて、ピンとくる人はかなりの年配になるだろうか。映画「小さな恋のメロディ」の挿入歌である。邦題は「若葉のころ」とつけられ、映画のシ…

たかぱん
11日前
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目を覚ますことと祈ること

目を覚ますことと祈ること

説教に「まくら」などという言葉を使うのは不適切かもしれないが、説教者により、いくつかのタイプがあるように思われる。まず人間的な挨拶から始めるタイプ。人への気遣いからかもしれないし、講演会ならばそれでよいかもしれない。また、いきなり何かの話題から入るが、本題とは違うところから入るタイプ。新聞のコラムに多い。そこからやがて、本筋へと繋がる脈略が生じる。落語では最もポピュラーな入口かもしれない。そして最

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守れない戒め (出エジプト20:17, 申命記5:21)【十戒⑩】

守れない戒め (出エジプト20:17, 申命記5:21)【十戒⑩】

◆家か妻か

十戒を辿る11週の旅が終わろうとしています。いよいよ最後の戒めとなりました。この第十戒を開くとき、私たちは戸惑います。出エジプト記と申命記とで、始まりから大きく違うのです。
 
隣人の家を欲してはならない。隣人の妻、男女の奴隷、牛とろばなど、隣人のものを一切欲してはならない。(出エジプト20:17)
 
隣人の妻を欲してはならない。隣人の家、畑、男女の奴隷、牛とろばなど、隣人のものを

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立ち上がらせたのは幻

立ち上がらせたのは幻

イザヤ6:1-8 
 
私イザヤは、玉座の主を見ました。それは、ウジヤ王の死の年でありました。ウジヤ王は、半世紀ほどの長きに渡り、南ユダ王国を治めました。北イスラエル王国との関係を良くし、国を安定させたといいます。紀元前8世紀のことです。イザヤから見れば、国の繁栄よりも、人間が傲慢になってゆくことが、主の民に相応しくないように見えたようです。
 
だが、今はイザヤはまだそのことに立ち入ってはおりま

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『宗教と子ども』(毎日新聞取材班・明石書店)

『宗教と子ども』(毎日新聞取材班・明石書店)

当然、と言ってもよいと思う。2022年7月8日の安倍元首相銃撃事件から、毎日新聞社に、ひとつの取材が始まった。
 
宗教とは何か。これを問うことも始まった。特にその狙撃犯が位置しているという「宗教2世」という存在に、世間が関心をもった。次第にその眼差しは、彼らを被害者だという世論を巻き起こしてゆく。そして、子どもに宗教を教えてはいけない、というような風潮が、「無宗教」を自称する人々により、唯一の正

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隠れた差別感

隠れた差別感

エフェソ2:11-22 
 
「無割礼」とイスラエル人が呼ぶとき、そこには侮蔑の意がこめられていたと思います。ダビデが、ペリシテ人のことをそのように呼んだことがあります。今、この書でエフェソの教会の人々に、この言葉が向けられています。軽蔑の意が隠れているのかどうか、分かりません。でも、この箇所には、根深い差別感覚が含まれているような気がします。
 
イスラエルの優越は、神との契約に基づくと思われま

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教会の問題

教会の問題

教会もまた、ひとつの組織である。だが、新約聖書で「教会」と訳されている語は、私たちがイメージするものとはだいぶ違うように思われる。
 
もちろん、建物のことではない。これは教会の説教でもあり、鉄板の説明である。また、「共同体」であるとか、「信じる人々」のことであるとか、いろいろ注釈が加えられるのも、よくあることである。「呼び集められたもの」という、語源的な説明も、常識的である。そうして「一つ」にな

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イザヤ書が閉じられる

イザヤ書が閉じられる

イザヤ66:18-23 
 
「私は来る」との預言を以て、大預言書イザヤ書が閉じられます。第三イザヤなどと呼ばれていますが、学説はどうでもよいのです。とにかくイザヤ書がこれで終わるのです。世界中の人々が集められます。神は、人間の行いと考えをご存じです。相応しい人々がそこに集められます。人々は神の栄光を見ます。神はそこにしるしを置くといいます。
 
誰の目にも、それは明らかになるのです。生き残った者

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どうしてそんなことができるのか

どうしてそんなことができるのか

凶悪事件に、若者が群がっていたということで、ワイドショー関係は盛んに話題にした。世間を驚かす殺人事件だと、時に容疑者の「心の闇」を暴こうとする世間。それは浅薄でよくないことだ、と私は常々考えており、幾度も見解を述べた。だが今回は、容疑者たち自身が浅薄であることが目を惹いている。闇バイトとでも言うのか、残酷なことでも、淡々とやってのけているという風景が、報道から見えてきたというのだ。
 
これをワイ

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信仰深そうに見せていても

信仰深そうに見せていても

ホセア6:1-6 
 
「さあ、我々は主のもとに帰ろう」と聞くと、主に対して誠実な民の声のようです。主は癒やし、包んでくださるという信頼が、ここにあります。「主は主は二日の後に我々を生き返らせ三日目に起き上がらせてくださる」とは、イエスの復活を預言しているかのようではありませんか。イスラエルは確かに、主に背く姿勢を見せていました。
 
しかし、主を覚え、主が立ち直らせてくださると信じていることを表

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絶望ゆえの勝利

絶望ゆえの勝利

黙示録を読み解くひとときが続く。17章が開かれたが、ここから18章辺りまでが、実に黙示録らしいというか、謎めいた記述が犇めいているという。それは荒唐無稽なもののように見えるかもしれない。だが、こういう表現に出会ってこそ、私たちは知る。世界を、別の眼差しで見るようにさせてくれるのだ。説教者はその点に触れた後、キリスト者と教会は、この黙示録があったからこそ、歴史の中で闘い続けることができたのだ、と断言

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偽りの証言を超えて (出エジプト20:16, 申命記5:20)【十戒⑨】

偽りの証言を超えて (出エジプト20:16, 申命記5:20)【十戒⑨】

◆偽証と嘘

隣人について偽りの証言をしてはならない。(出エジプト20:16)
 
出エジプト記も申命記も、殆ど変わりはありません(原語にわずかな違いはある)。「偽りの証言をしてはならない」とは、やはり裁判でのことでしょう。十戒というと、それぞれが自分にとって切実な問題であり得たものでした。神に対するものはもちろんですが、殺すな、盗むな、というように、一人ひとりの日常の倫理に関わる問題です(日常的

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『現代思想04 2024vol.52-5 特集・<子ども>を考える』(青土社)

『現代思想04 2024vol.52-5 特集・<子ども>を考える』(青土社)

曲がりなりにも教育を生業としている以上、「子ども」が特集されたら、読まねばなるまい。「現代思想」は、多くの論者の声を集め、内容的にも水準が高い。そして同じことを何人もが述べるのではなく、多角的な視点を紹介してくれる。「こどもの日」ということで、こどもへ眼差しを向けてみよう。
 
確かに多角的だった。全般的な対談に続いては、「家族」「法律」「制度」「学び」「未来」といった概略に沿った形で、論述が進ん

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共に苦闘するパウロ

共に苦闘するパウロ

フィリピ1:27-30 
 
私は今にも殺されるかもしれない。だが、できれば、もうしばらく生きていたい。生きてあなたがたに会いたい。こんなパウロの心の揺れを吐露するような文面が見えます。その後、視点をフィリピ教会の人々へと移します。教会も、また苦しいではないか。敵によって苦しめられているではないか。だが、その苦しみすら、神から与えられているのだ。
 
私たちは他人に対して、このような言い方をすべき

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『説教25 説教塾紀要』(教文館)

『説教25 説教塾紀要』(教文館)

自分の手の届く世界ではなかった。説教のプロたちの営みは、遠い雲の上の世界だった。「説教塾紀要」の存在は知っていたが、自分が読むようなものではない、と思っていた。
 
だが、主宰の加藤常昭先生の最後の説教が掲載されていると聞き、迷わず購入の手続きをとった。2024年3月発行の最新版である。
 
2023年10月8日のその礼拝の末席を私は汚していた。加藤先生と時を共有してその説教を聴くのは、初めてだっ

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信じる故の勇気

信じる故の勇気

ヨハネ16:25-33 
 
「もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る」とイエスが言います。その「時」とはいつのことでしょう。誰の、どんな時なのでしょう。これを読む私たちにとっても、まだその「時」は来ていないのでしょうか。だったら、私たちに神のすべてが明らかになっているはずがない、というのも当たり前でしょうか。
 
ところが、イエスの十字架と復活の時を、ここでは指しているように見

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若葉のいろ

若葉のいろ

「ファースト・オブ・メイ」と聞いて、ピンとくる人はかなりの年配になるだろうか。映画「小さな恋のメロディ」の挿入歌である。邦題は「若葉のころ」とつけられ、映画のシーンに相応しいタイトルとなった。ビージーズが、まだディスコサウンドに入る前の名作である。それは、5月1日を指すのだろうか。もっと広く指してもよいのだろうか。「駆け出し」の意味もあるというから、幼くて一途な恋をモチーフに、「子どもたちの世界」

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