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哲学のかけら

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哲学も少しはかじっています。なにもそんなこと考えなくてもいいんじゃない、と言われるところも、でもさ、と考えてみる、それが哲学。独断と懐疑に終わらずに常に自分の至らなさを認めるあた… もっと読む
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記事一覧

逆説と説教

逆説と説教

「逆説」として自分が発案して説を出すとき、世間の人が騙されているのに自分だけは真理を見出した、のような心理を含んでいることがある。
 
はたして逆説とは何か。こういうときに、昔は決まって「広辞苑」によると……と言っていた。広辞苑信仰があった世代に染みついた性であるのかもしれない。少なくとも、それだけを権威にして寄りかかろうとはしないほうがよいだろう。
 
因みに、旧い広辞苑では、「逆説」について、

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カント生誕300年

カント生誕300年

イマヌエル・カントは1924年4月22日に生まれたと伝えられている。ケーニヒスベルクの町から出ずして、世界中の情報を得ていた。大学教授としての哲学者の出現は、カントを嚆矢とする、と言ってもよいであろう。論文はラテン語の時代から、じわじわと母国語に移る時期であったが、哲学者が専門的になってゆくにはまだ早い時代であった。
 
つまり、カントは当初は自然科学者であったのであり、論理学は当然かもしれないが

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『道徳的人間と非道徳的社会』(ラインホールド・ニーバー:千葉眞訳・岩波文庫)

『道徳的人間と非道徳的社会』(ラインホールド・ニーバー:千葉眞訳・岩波文庫)

岩波文庫から、ニーバーの著作が出る。そのニュースだけで、すぐに注文した。ニーバーといえば、キリスト教の世界でその祈りを知らない人はいないであろう。本書でも、訳者解説の最後の頁で紹介されている。
 
  O God, Give us
  Serenity to accept what cannot be changed,
  Courage to change what should be chan

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『現代思想03 2024vol.52-4 特集・人生の意味の哲学』(青土社)

『現代思想03 2024vol.52-4 特集・人生の意味の哲学』(青土社)

なんとも思想らしくないタイトルである。同時に、一般の人が手に取りやすいタイトルである。「人生」を問うことが、哲学であるかのように見なされやすい日本の風土では、こうした誘いは適切であるのかもしれない。
 
だが、実のところ、この問いは、哲学の中では案外疎い分野である。問われて然るべきであるのに、あまり問題にされない。日本人だからこれを問う、というのではなく、もっと原理的に、根柢的に、この問題は扱われ

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音楽について考えるひとつの入口

音楽について考えるひとつの入口

息子たちが、私のできなかったことをやろうとする。それを見るのは、頼もしくもあり、ありがたくもある。哲学に興味をもっており、とくに音楽というものについて、関心が強いようだ。同時にそれは、芸術や文化というものについて、思いを懐いているということでもある。
 
音楽は、時間と共に成立する。絵画のように、静止画像でそこにある性質のものではない。もちろん、静止画でも、それを眺める側には時間が発生している。が

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『死刑 その哲学的洞察』(萱野稔人・ちくま新書)

『死刑 その哲学的洞察』(萱野稔人・ちくま新書)

テーマは死刑、ただそれだけである。死刑は是か非か。そういうふうに受け止めても構わないだろう。だが、それを試験や感情で片付けるようなことをするわけではない。そもそもどういうことを根拠にそれを肯定するのか、否定するのか、などを考慮しようとする。そこが「哲学的」という意味なのだろう。だが、著者は社会理論を専門分野としているように、プロフィールで紹介されている。社会学的視点というものは、どうしても強く働い

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入門

入門

「哲学入門」というタイトルの本は、実に多い。シンプルにそれだけでも沢山あるが、もしそれにいくらかの飾り言葉が付くものまで含めると、数え切れないほどである。
 
何かを真面目に考えたい、という気持ちが、人々に「哲学入門」を手に取るように仕向けるのかもしれない。中には、哲学だったら、自分の考えをどんなふうに言い述べても構わないのだろう、と勘違いしている人もいる。科学であれば、いくら自分の信念を述べても

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『現代思想 2024vol.52-1 特集・ビッグ・クエスチョン』(青土社)

『現代思想 2024vol.52-1 特集・ビッグ・クエスチョン』(青土社)

大きな問い。人類の難問。哲学と縛ってよいかどうか分からないが、思想全般において、大きな問題となっていることを網羅する。「大いなる探究の現在地」という日本語が付せられている。一つのテーマを深める営みではないけれども、そもそも「現代思想」誌は、多くの論客の原稿が、10頁ずつくらいの長さで集められたものである。但し1頁あたりの文字数はかなり多いため、ボリュームはなかなかのものだ。連携して思索を展開すると

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もしトラと田中美知太郎

もしトラと田中美知太郎

「もしトラ」という言葉が、ニュース関連で飛び交っている。うまいこと言ったものだ、とも思うが、もうあの「もしドラ」が流行したのが15年近く前だと知ると、複雑な気持ちになる。あのとき私もドラッカーは読んだ。教会運営についても声を出していることを知り、教会でも参考にしてみたらどうか、と提言してみたことがあるが、全く関心を寄せてもらえなかった。教会には、「イノベーション」という概念が入り込む余地がないよう

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直方体の点線

直方体の点線

直方体の見取図を書かせる。経験上、小学四年生が境目になるように思われる。それより下だと、かなり厳しい。それより上になると、ほぼ適切に書ける。空間図形を平面図にするというのは、かなり高度な能力なのである。
 
不思議なもので、見た目は長方形がひとつと、平行四辺形がふたつの図であるのに、人間はそれを、立体として認識する。その立体性をよりはっきりさせるために、点線を加えることがある。実際、背後の辺を点線

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インフルエンサー注意報

インフルエンサー注意報

スカッと答える人が偉く見えることがある。
 
多くの人が、何か言いたいのだけれど、うまく言うことができない。そこで、誰かがスパッと言ってくれると、そうだそうだ、と支持するようになるわけだ。
 
あるいは、実は事態がよく分からない中で、バシッと発言している人がいたら、その自信ぶりを信頼して、この人ならきっと正しいことを言っているのだろう、と思ってしまうのかもしれない。そうして、思い切り意見を叩く人は

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言論が含みもつ危険性について

言論が含みもつ危険性について

慎重に、いろいろなケースを想定しながら話をする人がいると、聞いていてもやもやする。それに対して、自信満々に物事をきっぱりと言い切る人は、言うことが分かりやすくて、なんだかカッコいい。これはこうなんだ。何々は何々に決まっている。そんな強い言い方をぐいぐいと続ける人は、正しいことを言っているように見えて仕方がない。
 
その心理が、理解できないわけではない。だがもちろん、それは危険なことだ、というのが

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猫の写真家に

猫の写真家に

猫の写真家の本に対して、吠えている書き込みがあった。この写真家は汚い猫の写真を撮らないが、世の中には傷つき病気になり死んでいく猫がいることを知らないのか、そのために尽力しないで自分だけ猫の写真で金儲けをしているのはけしからん、というのだ。どうも、このような考えを呈する人は時折いるようで、ちょつと検索すると、ブログなどでも複数見かけた。
 
私が猫が好きだから、というわけでもないし、その写真家の写真

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『神さまと神はどう違うのか?』(上枝美典・ちくまプリマー新書)

『神さまと神はどう違うのか?』(上枝美典・ちくまプリマー新書)

ちくまプリマー新書というのは、もしかすると岩波ジュニア新書を意識したかもしれないが、「プリマー」というからには「オトナ未満」をターゲットにした新書シリーズである。物事を、比較的分かりやすく、ティーンエイジャーに伝わるように説き明かそうとする目的があると思われる。
 
なんだ、若向けか。そんな印象を与えてしまう可能性もあるが、少なくとも本書に限っていえば、そんなことは全くない。ガチである。確かに説明

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